ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 Stage 82026年8月30日文: Grand Tour Hub 管理人

12回のグランツールで勝てなかった34歳が、ついにスプリントを制した

プソル → シェラコ 171km(平坦/獲得標高1,270m。バレンシアの北の郊外から走り出し、海には一度も出ずに果樹園の中の内陸ルートを南下します。ナケラ、チェステ、モンセラート、カルレット、アルヘメシと平地が続き、残り33.6kmのシマット・デ・ラ・バルディグナに中間スプリント。唯一の起伏はその直後、残り32kmから始まる3級山岳プエルト・デ・バルシュ(4.7km・平均5.6%、山頂319m)で、頂上は残り27.4km。越えたあともしばらく上り基調が続き、下りきってからの残り5kmは完全な平坦。直角のコーナーが4つとロータリーが3つ待っています)

個人TTで幕を開けたレースは、そこから6日間、丘か山のどちらかを登り続けていました。コース欄に「平坦」の2文字が出たのは、8日目のこの日が初めてです。スプリンターのための一日になるはずで、実際そのとおりになりました。ただしこの日の集団は、レースが正式に始まる前から、ゴールの300m手前まで転び続けています。そしてその途中で、赤いジャージがレースを去りました。

S3
果樹園の中をゆるやかに上って、ゆるやかに下る一日です。勝負どころは終盤だけ。中間スプリントを過ぎてすぐ3級山岳バルシュに入り、頂上を越えてもしばらく上り基調が続きます。そこから海抜10mのゴールまで一気に下ります 中間スプリント シマット・デ・ラ・バルディグナ残り33.6km地点 3級山岳 プエルト・デ・バルシュ残り27.4km地点

📊 今日のデータ

シーズン集計を見る →
スタート曇り 30.1℃・風3.9m/s
ゴール快晴 28.5℃・風3.9m/s
逃げ1人 → 捕獲(残り38km)
決着集団スプリント(ブライアン・コカール)
総合エンリク・マスが首位奪取(+60秒)
完走173 / 177人
敢闘賞シヌヘ・フェルナンデス(#197・Burgos Burpellet BH)

肋骨を折ったまま完走した選手は翌日走らず、ぶつけた側は電話をかけた

この日の集団は、177人でスタートしました。前日より1人少ない数字です。

欠けていたのはルーカ・ファンボーヴェでした。前日の第7ステージ、残り28kmの小さな町で、アレッサンドロ・ロメが減速帯にハンドルを取られて右へ膨らみます。ちょうどそのとき、チームメイトのぶんのボトルを受け取って戻ってきたファンボーヴェンが右側にいました。行き場を失った彼は歩道に乗り上げ、激しく転倒します。

それでも彼は自転車に戻り、獲得標高3,750mのその日を走り切りました。178位、勝者から33分17秒遅れ。最後にゴールした選手です。ゴール地点での診断は腰と臀部の打撲と擦過傷でしたが、レース後の精密検査で、肋骨2本の骨折と気胸が見つかりました。ロット・アンテルマルシェの発表です。「ルーカは経過観察のため一晩入院し、残念ながら明日のステージはスタートできません。引き続き注意深く見守ります。ルーカに大きな力と、一日も早い回復を」

ロメレにはイエローカーが出ました。彼はそれを受け入れています。「彼が抜こうとするのに理想的な場面でもなかったし、右コーナーに入るところでもあった。でも責任は僕が取ります。カードは受け入れる。もらって当然でした」「F1で言うレーシングアクシデントです。集団はかなり緩んでいて、速度も遅かった。減速帯で少し自転車の制御を失って右にふらついた。ちょうどルーカが、チームメイトのボトルを受け取って上がってきたところでした」。ステージのあとすぐメッセージを送り、病院へ向かうと聞いて番号を調べて電話をかけた、とも話しています。ロット・アンテルマルシェの側もロメレを責めていません。「後ろに目が付いているわけじゃない」

そして走り出したその日、レースが正式に始まる前にまた落車が起きました。パレード走の区間です。スタートはしばらく遅れ、全員が体勢を立て直してから旗が振られました。この落車で、ディエゴ・ウリアルフロリス・ファントリヒの2人がレースを降りています。ファントリヒトは、これが初めてのグランツールでした。

落車はそのあとも続きます。スタートから50kmほどの地点でまた集団が崩れ、マッティア・ガッフーが3人目のリタイアになりました。同じ場所でプリモシュ・ログリッも倒れています。こちらはジャージが少し裂けただけで、平然と集団へ戻っていきました。

この日10位でゴールしたマシュー・ブレナは、レース後にこう言っています。「今日は落車がとても多かったし、それがこの日の空気を決めてしまった。今日は多くの人が自分をスーパーヒーローだと思っていた。僕だって多少のリスクは取ります。でも、勝つためなら落ちてもかまわないという人がいる状況は、あまり気持ちのいいものではありません」「一日じゅうそうでした。3時間ほど160ワットくらいで走っていた僕からすると、みんな何をしているんだろうと思います。160ワットでリスクを取るなら、ちょっとどうかしている」

🔰 初心者向けメモ: 「楽な日」ほど落車が増える

山の日には、ほとんど落車が起きません。上りは速度が出ないうえ、集団が縦に伸びて自然にばらけるからです。転ぶのは、決まって平らで広くてまっすぐな道のほうです。

理由は簡単で、脚が余っているからです。上りで削られないぶん全員が最後まで残り、170人がひとかたまりのまま時速50kmで走ります。そのうえで全員が同じことを考えます——勝負どころの手前で前にいたい。追い越す側にも追い越される側にも余力があるので、位置取りの争いは終わりません。

この日で言えば、勝負どころは残り32kmから始まる3級山岳ひとつだけでした。そのふもとに向かって集団全体が前へ前へと詰めていく。道が広いほど、集団は横に何列も並べます。列が増えれば、その一本ずつの間隔は狭くなります。ブレナンが「160ワットで走っていた」と言っているのは、その日がいかに楽だったかという意味であり、同時に、だから危なかったという意味でもあります。

出典:Cyclingnews: ファンボーヴェンのリタイア(肋骨2本の骨折と気胸、178位・33分17秒遅れ、ロット・アンテルマルシェの発表全文。英語)Cyclingnews: ロメレのコメント(「I accept the card, it was fair I got it」、チームの「he does not have eyes in the back of his head」。英語)Cyclingnews ライブブログ: 中立区間の落車とスタート遅延、ウリアルテ・ファントリヒト・ガッフーリのリタイア、ログリッチの落車(英語)Cyclingnews: ブレナンのコメント(「A lot of people thought they were superheroes today」。英語)

旗が下りた瞬間にひとりが出て、133km地点まで戻ってこなかった

ようやく旗が振られると、その瞬間に飛び出した選手がいました。ブルゴス・ブルペレットBHのシヌヘ・フェルナンデです。今日は攻めるつもりだと、走る前から公言していました。

チームメイトのホセルイス・ファウが追いかけて合流しようとしましたが、集団がそれを許しません。ファウラは引き下がり、フェルナンデスはひとりになりました。

そして集団は、そこで興味を失いました。この日は平坦で、逃げが残る見込みはほとんどありません。スプリンタのチームは誰も慌てず、差は最大で5分50秒まで開きました。170人あまりを相手に、ひとりです。

追いかける仕事を引き受けたのはヴィスマ・リースアバイクでした。もっと正確に言えば、ステフェン・クライスヴァイひとりです。1987年生まれのオランダ人は、100km以上にわたってたったひとりで集団の先頭に立ち続け、差を5分から3分20秒、2分、1分と、少しずつ削っていきました。途中で一度だけ用を足しに下がり、その隙をアルペシン・プレミアテックが埋めています。

このブエルタは、彼が現役最後のレースに選んだ大会です。自宅のあるモナコから始まる3週間を最後に選んだ39歳が、勝ち目のない逃げを追う仕事を、100km以上ひとりで引き受けていました。

前のひとりが集団に飲み込まれたのは、133km地点でした。中間スプリンの手前です。旗が下りた瞬間から、そこまで。この日の敢闘は、当然のようにフェルナンデスに贈られました。

アストゥリアスの山あいで育った26歳です。子どものころ、家の前をブエルタ・ア・アストゥリアスが通っていきました。2025年のブエルタが初めてのグランツールで、そのときは完走できていません。同じレースに、同じチームで戻ってきた2年目でした。

🔰 初心者向けメモ: ひとりの逃げは、ひとりで追える

逃げと集団の差は、追う側が「何人で引くか」でほぼ決まります。ひとりが先頭で風を受けながら時速45kmで走れば、その後ろに並んだ170人は、同じ速度をずっと楽に保てます。これがドラフティングです。

だから逃げがひとりのとき、集団は追走に1人しか出しません。この日のヴィスマ・リースアバイクは、クライスヴァイクだけを前に置いて100km以上を走らせました。残りの選手は集団の中で脚を温存し、スプリンターは最後の1kmまで一度も風に当たらずに済みます。

逆に言うと、集団は差を「消す」のではなく「管理」しています。早く捕まえすぎれば、そこから新しい逃げが生まれて仕事が増える。遅すぎれば届かない。ゴールの少し手前で吸収できるよう、1人ぶんの出力で一日かけて調整しているわけです。

この日の場合、ちょうど中間スプリントの手前で追いつきました。ポイント賞を狙うチームにとっては、そこが締め切りでもあったのです。

出典:ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ レポート(旗が下りた瞬間のアタック、24km地点で5分50秒、133km地点での吸収。英語)ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ 敢闘賞(Combative の分類に「1 S. FERNANDEZ RODRIGUEZ」の1行)Cyclingnews ライブブログ: ファウラの合流失敗、クライスヴァイクの単独牽引と差の推移(英語)

中間スプリントの直後、残り32kmで赤いジャージが倒れた

シマット・デ・ラ・バルディグナの中間スプリントは、ワウト・ファンアールが集団から抜け出して1位で通過しました。誰も争いに来ず、20点をそのまま持っていきます。

その点を数えるひまもありませんでした。残り32km。バルシュの上りに向かって集団が前へ詰めていく途中で、赤いジャージが突然右へ振られ、隣の選手と接触して激しく転倒します。道は広く、まっすぐでした。

「彼は左側から上がってきていました。僕のいた位置から見ると、路面の凹凸でハンドルの制御を失って、バランスを崩し、集団に突っ込んで、そのまま一回転したように見えました」——ファンアールト。「だから、これは本当にひどい落車だと、すぐに分かりました。目の前でチームメイトが2人倒れていたので、そう、一瞬レースの最中だということを忘れるような場面でした」

タデイ・ポガチャは一度立ち上がり、自転車にまたがろうとして、また座り込みました。左肩から血を流していました。数分の手当てののち、左腕を三角巾で吊り、肩に当て物をした姿で救急車へ歩いていきます。

UAEチーム・エミレーツ・XRGのゼネラルマネージャー、ホセアン・フェルナンデス・マチンの言葉です。「最初の瞬間は、続けられると思っていました。でもそのあと肩の痛みがあって、この状態では無理だと理解しました」「自転車では続けられず、救急車に乗るしかなかった。いまは医師のところにいます。僕らはタデイと一緒にいます」

そして、こうも言っています。「いま僕らは、人としてのタデイと一緒にいます。タデイ・ポガチャルという選手や、チャンピオンや、ブエルタのリーダーとではなく。いい時よりも、悪い時のほうがそばにいなければならない」

病院での検査のあと、チームは診断を発表しました。脳震盪、左の鎖骨のずれを伴う骨折、C7頸椎の骨折、そして多発する擦過傷です。頸椎は首の部分の背骨で、上から7つ並んでいます。C7はそのいちばん下、首の付け根にあたる骨です。折れ方は「安定型」で、チームはこう続けています。「ほかに大きな怪我はなく、神経学的な後遺症もありません。鎖骨は手術が必要ですが、脳震盪への配慮から時期を遅らせます」

同じ落車には、白いジャージのオスカー・オンリも巻き込まれていました。「ポガチャルの落車で僕も倒れました。正直、運がよかった。タデイが無事だといいのですが、とても速度が出ていたし、怖かった。僕はうまく済みました。何が起きたのかは分かりません。UAEとヴィスマの後ろにいたら、突然そこらじゅうに人の体があったんです。ブレーキをかけて、倒れないようにするだけでした」

レースは前方でそのまま進んでいきましたが、集団は速度を落としました。誰も前に出ようとせず、上りのふもとが近づいても隊列は組まれません。落車に巻き込まれて待っていたUAEの選手たちが、そこへゆっくり戻っていきました。

これが10回目のグランツールで、初めてのリタイアでした。レースを落車で降りたのは2023年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ以来です。そしてブエルタで総合首位がレースを去ったのは、2010年にペーニャ・カバルガへ向かう途中で落車したイゴール・アントン以来だと、主催者は書いています。

一日も早く、痛みなく戻ってこられますように。

🔰 初心者向けメモ: 落車の原因は、たいてい分からないまま終わる

この落車を見ていた人たちの説明は、それぞれ違います。ファンアールトは「路面の凹凸でハンドルの制御を失ったように見えた」と言い、ベルギーの公共放送スポルザは路肩にあった小さな石を原因として挙げました。チーム側は原因を特定していません。マチンは「本人と何があったかを話すことは、その時点ではできなかった」とスペインの公共放送TVEに答えています。

これは珍しいことではありません。時速50kmで走る集団の中では、視野はほとんど前の選手の背中だけです。倒れた本人は落車の前後を覚えていないことが多く(この日は脳震盪も伴っています)、周りの選手は自分が転ばないことに手一杯で、カメラは大抵そこを向いていません。

だからロードレースでは、原因の断定を急がない習慣があります。ロメレが前日に言った「F1で言うレーシングアクシデント」という言い方は、まさにそのための言葉です。誰かの過失がはっきりしていればイエローカードが出ますし、そうでなければ、分からないまま記録されます。

そして、原因と同じくらい遅れて届くのが怪我の中身です。この日、レースが終わった時点で伝わっていたのは「左肩と顔の傷」だけでした。脳震盪と鎖骨の骨折、首の骨の骨折がチームから発表されたのは、その数時間後です。中継に映るのは倒れた瞬間だけで、それがどれくらい重いのかは、たいてい後から分かります。

出典:Cyclingnews: ファンアールトの目撃証言(「it looked to me as though he lost control of his handlebars due to bumps in the road」、VTM Nieuws での発言。英語)Cyclingnews: マチンのコメント(「Now we stay with Tadej the person」、スポルザの石の指摘、TVE での発言。英語)CyclingUpToDate: UAEチーム・エミレーツ・XRGの発表全文(「concussion, displaced left clavicle fracture, a stable C7 cervical fracture, and multiple abrasions」。英語)ラ・ブエルタ公式: オンリーのインタビュー(「suddenly there was bodies everywhere」。英語)ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ レポート(2010年のイゴール・アントン以来、2023年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュ以来。英語)Cyclingnews ライブブログ: 「This is the tenth Grand Tour of Pogačar's, and the first he has ever abandoned」、落車後に集団が緩んだこと(英語)

残り1.5kmで逃げが消え、300m手前で集団が崩れた

集団は上りをゆっくり越えました。誰も仕掛けず、ファンアールが先頭で頂上を通過して山岳ポイントを取ります。

下りに入ったところで動いたのはシャビエル・アスパレでした。残り25km、ひとりで飛び出して20秒を稼ぎ、下りきったあとの平坦もそのまま押していきます。捕まったのは残り1.5km地点でした。

その間に、また落車がありました。残り10kmで5人ほどが倒れ、ルーク・タックウェカルロス・カナヤン・ヒルカルロス・ロドリゲローラント・タールマが巻き込まれています。タールマンはジャージが裂け、ひどい擦過傷を負いながら自転車に戻りました。

最後の1kmは、ヴィスマ・リースアバイクの列車が先頭でした。ファンアールトとクリストフ・ラポルが順に引きます。ところが、そのために温存されていたはずのマシュー・ブレナは、10人以上後ろに閉じ込められていました。

残り300m。先頭のすぐ後ろで集団が大きく崩れます。多くの選手が巻き込まれ、スプリントを争える人数は一気に減りました。

ラポルトが残り150mで身を引き、マッズ・ピーダスが先に出ます。追いかけたのはヨルディ・メーウ。そしてもうひとり、前を走る選手のすぐ後ろに入り、その選手が離れるとまた別の選手の後ろへ移って、自分ではまだ一度も風を受けていない選手がいました。

ブライアン・コカーが横へ出て、自分で風を受けにいったのは残り50mになってからです。そこから前へ、最後は自転車を投げ出すようにしてラインへ。写真判定の差でした。

「グランツールでは何度も2位で終わってきました。僕は34歳で、とても誇らしいし、とてもうれしい」

発射を務めたのは、同じコフィディスのアレクシ・ルナーでした。

「チームは完璧な仕事をしてくれた。うちには一流の発射台がたくさんいるわけじゃないけれど、今日はアレクシがいた。クライマたちが全員、残り5kmまで僕をアレクシと一緒にいい位置へ運んでくれた。そのあとは、ただアレクシに付いていっただけです。残り500mでメーウスが見えた。この手のフィニッシュで彼がとても速いのは知っていた。だから待って、待ちました」

「向かい風と横風が少しあるのは分かっていましたが、街の中はもっと向かい風でした。ここという瞬間に、前の選手の風よけを使って踏み込んだんです。とても誇らしいし、うれしい。この勝利をずっと待っていましたし、そのぶん働いてもきました。すばらしい、本当にすばらしい一日です」

これが彼の13回目のグランツールでした。2014年のツール・ド・フランスが最初です。トラックでは2012年ロンドン五輪のオムニアムで銀メダルを取り、2015年には世界選手権のマディソンを勝っている選手が、ロードのグランツールでは一度も勝てずにいました。

「言葉にしにくいです。とてもうれしい、初めてのグランツール勝利で、13年間これを待っていたから。でも同時に、ポギ(ポガチャルの愛称)のことがとても残念です」「今日という日は自分の勝利として覚えているでしょう。でも同時に、彼のことがとても悲しい。心から応援していますし、回復を願っています」「明日の見出しが全部彼のことになるのは分かっています」

🔰 初心者向けメモ: 向かい風のスプリントは、先に出たほうが損をする

ロードレースでは、先頭に出た選手がいちばん損をします。前に誰もいないと、空気を全部自分で押しのけながら進むことになるからです。すぐ後ろに付いている選手は、同じ速度で走るのに使う力がずっと少なくて済みます。

だからスプリントは、どこで先頭に出るかを選ぶ勝負になります。早く出れば、そのぶん長く空気を押しのけ続けなければなりません。最後の1kmを先頭で走っているのが、たいてい勝ちにいく選手ではなく、エースを守って運ぶ役目の選手なのはそのためです。

追い風のゴールや下りのゴールなら、早めに出てしまう手も使えます。すでに速度が乗っているので、後ろの選手が加速して抜き去る余地が小さいからです。向かい風は逆になります。先に出た選手は空気の壁に正面からぶつかりに行き、後ろの選手はその裏を、力を使わずに付いていける。そして最後の一瞬だけ横にずれて出れば、温存した脚がそのまま残っています。

この日のシェラコは、街に入ってからほぼ向かい風でした。だからピーダスンが最初に前へ出た時点で、有利だったのは後ろにいた選手のほうです。あとは、いつ出るか。早すぎれば自分が壁になり、遅すぎれば抜き去る距離が足りません。この日その一点は、残り50mのところにありました。

出典:Cyclingnews: 第8ステージ レポートとコカールのコメント(「At 500 metres, I saw Jordi Meeus」ほか、フィナーレの展開。英語)Cyclingnews: コカールのコメント(「I'm very happy because it's my first Grand Tour win and I've been waiting for that for 13 years, but I'm very disappointed for Pogi' too」。英語)ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ レポート(残り25kmのアスパレンのアタック、20秒差、残り1.5kmでの吸収。英語)

表彰台に上がった新しい総合首位は、ジャージを手に持ったままだった

ゴールから数時間後、表彰台に上がったエンリク・マは、赤いジャージを受け取りました。そして、袖を通しませんでした。手に持ったまま写真に写っています。

「正直に言うと、これはスポーツで、自転車競技だと分かっています。でもタデが落車したのであって、僕が赤いジャージを勝ち取ったわけではない。だからいま着ないことが、彼への敬意を示すことになると思うのです」

「落車は見ていません。僕のすぐ後ろだったと思います。集団が左へ動いて、そのせいで彼が転んだのだと思いますが、リプレーは見ていません。バスで見ます」

この2人は、2日前に同じ道を並んで走っていました。第6ステー、下りでコースを外れかけたポガチャルにマスが危ないコーナーを知らせ、そのあと20km以上を交代で牽き合って、ゴール後に握手を交わしています。そのときマスは、こう言っていました。「スプリントでは、できることはほとんどなかった。ポギはポギだから」

朝の時点で、マスはそのポガチャルに3分50秒離された総合2位でした。この日の夜、彼は総合首位です。2位のログリッまで1分00秒、3位のフェリックス・ガまで1分11秒、4位のセップ・クまで2分15秒、5位のオンリまで2分16秒、6位のリチャル・カラパまで2分22秒。上位6人が2分半に収まりました。

スペイン人がマイヨ・ロホを着るのは、2018年のヘスス・エラダ以来だと主催者は書いています。2018年から2024年にかけてこのレースの表彰台に4度立ってきた31歳が、いちばん前にいます。

「さあ、ここから別のレースが始まります。準備ができているといいのですが。明日は第20ステージと並んで、いちばん厳しい日のひとつです。ステージと、その場所を楽しみたい。チームがすごくいい仕事をしてくれるのは分かっています」

翌日のゴールは、標高1,558mのアルト・デ・アイタです。

出典:ラ・ブエルタ公式: マスのインタビュー(「Tadej crashed, I didn't win the red jersey, so I think to not put it on now is something to show the respect to him」。英語)ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ 総合成績(マスから2位ログリッチ1分00秒、6位カラパス2分22秒までの差)ラ・ブエルタ公式: 第8ステージ レポート(スペイン人のマイヨ・ロホは2018年のヘスス・エラダ以来。英語)

今日の寄り道

自転車をちょっと離れて、ステージが駆け抜けた土地の話。

伝統行事集団が通り抜けたその日に始まった、ユネスコの祭り

集団がスタートから113.9km地点で通過したアルヘメシは、8月29日から9月8日まで「マレ・デ・デウ・デ・ラ・サルー(健康の聖母)」の祭りを開く町です。起源は1247年までさかのぼり、2011年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。ドルサイナという民族楽器と太鼓の音に合わせて、棒を打ち鳴らす踊り、農婦の踊り、そしてムイシャランガと呼ばれる人間の塔が町じゅうで組み上げられます。祭りの初日は、まさにこの日でした。

土地の記憶「ふさわしい谷だ」——中間スプリントの町の名前の由来

中間スプリントが置かれたシマット・デ・ラ・バルディグナには、1298年3月15日にアラゴン王ハイメ2世が創建したシトー会の修道院があります。伝承によれば、アリカンテとムルシアでの戦いの帰りにこの谷を通った王が、その豊かさに感じ入って、随行していた修道院長にこう言いました。「あなたがたの修道会の修道院にふさわしい谷だ」。カタルーニャ語で「バル・ディグナ(ふさわしい谷)」。修道院長が「バル・ディグナ!」と応え、それがそのまま谷の名前になりました。19世紀に修道士たちが追われ、建物は解体されて石材として売られます。回廊のゴシック様式のアーチはマドリード近郊の邸宅に組み込まれ、2003年に州政府が買い戻して、2006年にもとの場所へ帰ってきました。

風土3級山岳の町から3km、氷河時代のアトリエ

この日唯一の山、プエルト・デ・バルシュの頂上のすぐ先にバルシュの町があります。そこから3kmほどのところに、コバ・デル・パルパリョという洞窟があります。高さ15m・幅4mの岩の裂け目で、旧石器時代の遺跡としてヨーロッパでも屈指の重要さを持つ場所です。ここから見つかった石灰岩の薄い板は5,034枚。そのうち6,245の面に、刻んだり色を塗ったりした跡が残っていました。いちばん多いのは幾何学的な記号で、次が動物です。シカ、ウマ、アイベックス、オーロックスと、モンドゥベール山塊のまわりに実際に暮らしていた顔ぶれが並びます。持ち運べる旧石器美術の集積としては、ヨーロッパで最も重要なものとされています。

写真: Wikimedia Commons(フリーライセンス)

この日の公式ハイライト

第8ステージ ハイライト(Velon公式。約6分、コメンタリーなし)

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この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。