7人が先頭に並んだ黙祷のあと、逃げが決まるまでに50kmかかった
出走の前、集団の先頭に7人のノルウェー人が並びました。主催者の側からの申し出だったと、チームは説明しています。1分間の黙祷。ハラルド5世は同じ日の朝6時35分に、オスロの病院で亡くなっていました。89歳でした。
ウノエックス・モビリティのメディア担当ヘニング・アスキエル・レフサーケルが、スタート前にこう話しています。「もちろん、チーム全員にとって悲しく、特別な日です。ハラルド5世は温かさと品位と、気取らなさでノルウェーを体現し、同時にスポーツへの特別な情熱を持っていました」「僕らにとっては、チーム全員が黒い喪章を着けてスタートに立つことでこの日に印を付け、彼をたたえるのが正しいと感じます」
レックネスンも走る前に答えていました。「もちろん、こたえます。僕らはハラルド国王を自分たちの王として育ちました。人をまとめる王でした」。7人のうち5人がウノエックスで、ヴィスマ・リースアバイクのヨルゲン・ノードハーゲンもそのひとりです。「国全体にとって悲しいことです。家で起きていることを少し追いかけていたので、ここにいるのは特別な感じがします」
そのウノエックスが大会前に公表していた計画は、はっきりしていました。監督のレオナルド・スヌークスの言葉です。「個人的には、ほぼ毎日どこかに顔を出していたい。いい計画が要りますし、テレビに映らないところ——中継が始まる前の争いも含めた集団としての仕事を見たい。それがうまくできれば、決まる逃げの中に入れるはずです。ジロとツールでステージを勝っているので、ここで勝てない理由はありません。2勝できない理由も見当たりません」。チームの選手紹介でレックネスンに書かれていた役割は、「厳しい日、とくに道が上を向く日の逃げとステージの選択肢」でした。
この日の最初のアタックは、0km地点で旗が振られたその瞬間に飛びます。ワウト・ファンアールト、アンドレアス・レックネスン、ミラン・ファデルの3人でした。
ファデルは最初の2級山岳プエルト・エル・レモルカドールに入る前に千切れました。残った2人を追って何波もアタックがかかりますが、どれも逃げの形になりません。ようやく形が決まったのは、そのレモルカドールの頂上まで4kmという地点でした。追走が噛み合わないことに焦れたエディ・ダンバー、アレクセイ・ルツェンコ、トビアス・ヨハンネセンの3人が、そこから追いかけ始めたのです。
残り98kmで彼らが追いつき、逃げは5人になりました。50kmを使い切った末の顔ぶれです。さらに後ろには20人近い第2集団ができ、そこでUAEチーム・エミレーツ・XRGは手綱を緩めました。先頭までの差は、やがて6分を超えていきます。
🔰 初心者向けメモ: アクチュアルスタート——レースは町を出てから始まる
グランツールのスタートは2段階です。スタート地点の号砲は「隊列を組んで動き出せ」の合図で、そこからしばらくは先導車の後ろを行列で走ります。パレード走行と呼ばれる区間で、ここではアタックが禁じられています。
町はずれの、あらかじめ決めてある0km地点。先導車に乗ったレースディレクターがそこで旗を振り、これがアクチュアルスタート(正式スタート)です。ここからが本当のレースになります。
つまり「0kmからアタックした」というのは、その旗が下りた瞬間に飛び出したという意味です。誰も脚が温まっていないところで全開の追いかけっこが始まるので、最初の1時間はいちばん荒れます。この日は、逃げの顔ぶれが決まるまでに50kmの激しい走りが必要でした。
出典:Cyclingnews: 第7ステージ レポート(0km地点でのアタック、ファデルの脱落、残り98kmでの合流、着順。英語) ↗ラ・ブエルタ公式: 第7ステージ(コース・ロードブック) ↗TV 2(ノルウェー): 黙祷と喪章、レフサーケル・レックネスン・ノードハーゲンの出走前コメント(「Kong Harald V representerte Norge med varme, verdighet og folkelighet」。ノルウェー語) ↗ウノエックス・モビリティ公式: ブエルタの布陣発表(スヌークス監督の計画と、選手ごとの役割。英語) ↗