ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 Stage 72026年8月29日文: Grand Tour Hub 管理人

2位ばかりだった男が山頂ゴールへ逃げ切り、味方が追走をせき止めた

バル・ダルバ → アラモン・バルデリナレス 149.8km(山岳/獲得標高3,750m。カステリョン県の内陸から、さらに奥のテルエル県へ、一日かけて登っていくコース。2級山岳プエルト・エル・レモルカドール(12.4km・平均4.3%)、3級山岳アルト・デ・スカイナ(5.5km・平均5%)、3級山岳フエンテ・デ・ルビエロス(6km・平均6.3%)と越え、残り26.5kmのモラ・デ・ルビエロスに中間スプリント。その先に2級山岳プエルト・デ・サン・ラファエル(11.1km・平均4.3%)が待ち、下って残り9.8kmから1級山岳アラモン・バルデリナレス(9.8km・平均5.9%)の山頂ゴール。頂上の標高は1,963m)

レースは海を離れ、内陸のテルエル県へ入っていきました。ゴールは標高1,963m、スキー場アラモン・バルデリナレスの山頂です。スタート地点のバル・ダルバでは、出発の前に1分間の黙祷が捧げられました。その朝、ノルウェー国王ハラルド5世が亡くなったと王室が発表したからです。そしてレースが正式に始まったその瞬間、その国のチームの選手が、緑のジャージと一緒に飛び出していきました。

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一日かけて内陸へ登っていく形です。前半に2級と3級をひとつずつ、中盤にもう1つの3級。中間スプリントを過ぎてからが本番で、2級サン・ラファエルを越え、いったん下ってから最後の9.8kmに入ります 2級山岳 プエルト・エル・レモルカドール残り97.6km地点 3級山岳 アルト・デ・スカイナ残り83.3km地点 3級山岳 フエンテ・デ・ルビエロス残り44.9km地点 中間スプリント モラ・デ・ルビエロス残り26.5km地点 2級山岳 プエルト・デ・サン・ラファエル残り13.5km地点 1級山岳 アラモン・バルデリナレスゴール地点

📊 今日のデータ

シーズン集計を見る →
スタート曇り 28.6℃・風4.6m/s
ゴール曇り 20.8℃・風3.1m/s
逃げ5人 → 逃げ切り 🎉
決着独走(アンドレアス・レックネスン)
総合タデイ・ポガチャルが首位堅持(+230秒)
完走178 / 178人
敢闘賞ワウト・ファンアールト(#31・Visma–Lease a Bike)

7人が先頭に並んだ黙祷のあと、逃げが決まるまでに50kmかかった

出走の前、集団の先頭に7人のノルウェー人が並びました。主催者の側からの申し出だったと、チームは説明しています。1分間の黙祷。ハラルド5世は同じ日の朝6時35分に、オスロの病院で亡くなっていました。89歳でした。

ウノエックス・モビリティのメディア担当ヘニング・アスキエル・レフサーケルが、スタート前にこう話しています。「もちろん、チーム全員にとって悲しく、特別な日です。ハラルド5世は温かさと品位と、気取らなさでノルウェーを体現し、同時にスポーツへの特別な情熱を持っていました」「僕らにとっては、チーム全員が黒い喪章を着けてスタートに立つことでこの日に印を付け、彼をたたえるのが正しいと感じます」

レックネスも走る前に答えていました。「もちろん、こたえます。僕らはハラルド国王を自分たちの王として育ちました。人をまとめる王でした」。7人のうち5人がウノエックスで、ヴィスマ・リースアバイクのヨルゲン・ノードハーゲもそのひとりです。「国全体にとって悲しいことです。家で起きていることを少し追いかけていたので、ここにいるのは特別な感じがします」

そのウノエックスが大会前に公表していた計画は、はっきりしていました。監督のレオナルド・スヌークスの言葉です。「個人的には、ほぼ毎日どこかに顔を出していたい。いい計画が要りますし、テレビに映らないところ——中継が始まる前の争いも含めた集団としての仕事を見たい。それがうまくできれば、決まる逃げの中に入れるはずです。ジロとツールでステージを勝っているので、ここで勝てない理由はありません。2勝できない理由も見当たりません」。チームの選手紹介でレックネスンに書かれていた役割は、「厳しい日、とくに道が上を向く日の逃げとステージの選択肢」でした。

この日の最初のアタックは、0km地点で旗が振られたその瞬間に飛びます。ワウト・ファンアール、アンドレアス・レックネスン、ミラン・ファデの3人でした。

ファデルは最初の2級山岳プエルト・エル・レモルカドールに入る前に千切れました。残った2人を追って何波もアタックがかかりますが、どれも逃げの形になりません。ようやく形が決まったのは、そのレモルカドールの頂上まで4kmという地点でした。追走が噛み合わないことに焦れたエディ・ダンバアレクセイ・ルツェントビアス・ヨハンネセの3人が、そこから追いかけ始めたのです。

残り98kmで彼らが追いつき、逃げは5人になりました。50kmを使い切った末の顔ぶれです。さらに後ろには20人近い第2集団ができ、そこでUAEチーム・エミレーツ・XRGは手綱を緩めました。先頭までの差は、やがて6分を超えていきます。

🔰 初心者向けメモ: アクチュアルスタート——レースは町を出てから始まる

グランツールのスタートは2段階です。スタート地点の号砲は「隊列を組んで動き出せ」の合図で、そこからしばらくは先導車の後ろを行列で走ります。パレード走行と呼ばれる区間で、ここではアタックが禁じられています。

町はずれの、あらかじめ決めてある0km地点。先導車に乗ったレースディレクターがそこで旗を振り、これがアクチュアルスタート(正式スタート)です。ここからが本当のレースになります。

つまり「0kmからアタックした」というのは、その旗が下りた瞬間に飛び出したという意味です。誰も脚が温まっていないところで全開の追いかけっこが始まるので、最初の1時間はいちばん荒れます。この日は、逃げの顔ぶれが決まるまでに50kmの激しい走りが必要でした。

出典:Cyclingnews: 第7ステージ レポート(0km地点でのアタック、ファデルの脱落、残り98kmでの合流、着順。英語)ラ・ブエルタ公式: 第7ステージ(コース・ロードブック)TV 2(ノルウェー): 黙祷と喪章、レフサーケル・レックネスン・ノードハーゲンの出走前コメント(「Kong Harald V representerte Norge med varme, verdighet og folkelighet」。ノルウェー語)ウノエックス・モビリティ公式: ブエルタの布陣発表(スヌークス監督の計画と、選手ごとの役割。英語)

残り26.5km——ファンアールトが一日かけて取りに来た20点

モラ・デ・ルビエロスの町に置かれた中間スプリンは、スタートから123.3km地点にありました。残り26.5km、山を3つ越えた先です。ここに届くには、朝から前にいなければなりません。

「いまはとにかく脚が痛いです。逃げにいいチャンスだと思っていました。ジャージを着ていると逃げに紛れ込むのはいつも難しいので、『じゃあすぐ行ってしまえばいいじゃないか』と考えたんです」

ファンアールは先頭の5人でのスプリントを難なく制しました。1位に与えられる20点は、この日のゴールの1位と同じ点数です。朝の時点でポガチャに33点離されていたポイント賞の差は、この一瞬で13点まで縮まりました。

🔰 初心者向けメモ: 中間スプリントは、置かれた場所で戦い方が変わる

ポイント賞の点は、ゴールだけでなく道中の中間スプリントでも入ります。だから緑のジャージ争いは、その1か所がコースのどこにあるかで、走り方がまるで変わります。

ツール第10ステーでは、7つの峠が待つ山岳ステージなのに、中間スプリントは25.5km地点——最初の峠より手前に置かれていました。スプリンタのチームは朝だけ全力で列車を組み、点を取ったら仕事を終えて後方に下がればよかったのです。

この日は逆でした。山を3つ越えた先、残り26.5km。そこへ行くには一日ぶん逃げるしかありません。ファンアールトが0km地点から動いたのは、点の置き場所がそう決めていたからです。

出典:ラ・ブエルタ公式: ファンアールトのインタビュー(「With the jersey, it's always difficult to sneak in, so I thought 'why not try immediately?'」。英語)ラ・ブエルタ公式: 第7ステージ ポイント(中間スプリント1位20点・ゴール3位15点の内訳)

残り7.5km、ひとりが出て、もうひとりは追わなかった

最後の1級山岳アラモン・バルデリナレスは9.8km・平均5.9%。5人で入ったその登りで、最初に仕掛けたのはレックネスでした。残り7.5kmです。

追ったのはルツェンヨハンネセだけが、わざとレックネスンの車輪を見送りました。

「アンドレアスに『まず君が先に行ってみて』と言いました。そのあとで、ほかの選手たちに協力する気があるかどうかを確かめようと。でも、その気はありませんでした」——ヨハンネセン

追いかけ直したのはファンアールです。140kmを先頭で走ったあとの脚で、それでも差を詰めにいきました。その圧力に、ルツェンコが残り4.5kmで力尽きます。

残り3kmでの差は45秒。けれどそこから、差は縮まるのをやめました。前のレックネスンは脚が張っていて、後ろのファンアールトも同じでした。

最後の1kmで、ヨハンネセンがその背中から出ていきました。34秒差でレックネスンが勝ち、ヨハンネセンが2位、ファンアールトが3位。ウノエックス・モビリティのワンツーです。

ノルウェーのTV 2で解説していたマグヌス・ドリヴェネスは、この使い分けをこう読み解いていました。「ウノエックスは本当にこのステージを掌握して、いちばんいいカードのうち2枚を逃げに入れました。迷いはまったくなく、完璧に解いています。粘り強いレックネスンを先に行かせて、より爆発力のあるヨハンネセンを後ろに取っておく。正しいやり方です」

🔰 初心者向けメモ: 味方が後ろに座ると、追う側が損をする

逃げの中に同じチームの選手が複数いる利点は、ツール第4ステーの逃げで書きました。交代で牽けて、誰かのアタックには必ず1人付いていける——集団の中の小さなチーム戦です。

この日はその一段先が起きました。仲間が飛び出したあと、残った選手は追う必要がありません。むしろ牽かずに他人の後ろに座り続けるのが仕事になります。すると追う側は、前のひとりを追いかけながら、後ろで休んでいるひとりを一緒に運ぶことになる。追いつけば追いついたで、休んでいたほうが最後に出てきます。

どちらに転んでも損をするのは追う側です。だから逃げの中で味方がひとり座っているのは、何もしていないように見えて、いちばん効いている仕事だったりします。

出典:IDL ProCycling: レックネスンとヨハンネセンのコメント(「I told Andreas he should be the first to try it」。オランダ語メディアの英語版)ラ・ブエルタ公式: 第7ステージ レポート(喪章、残り7.5kmのアタック、「ノルウェー人のブエルタ区間勝利は2010年のフースホフト以来」。英語)Cycling Weekly: 第7ステージ レポート(「I didn't expect it to be this emotional」ほかレックネスンの発言。英語)TV 2(ノルウェー): 解説者ドリヴェネスの戦術評(「sender seige Leknessund først og sparer mer eksplosive Johannessen etterpå」。ノルウェー語)

同じ坂の数分後ろ、味方を剥がされた赤いジャージが自分で前に出た

先頭が争っているあいだ、総合勢の集団は同じ坂を数分遅れて登っていました。そこで動いたのはデカトロン・CMA CGMです。

登りの中ほどで、グレゴール・ミュールベルガマシュー・リッチテッが一気に前へ出て、UAEの隊列を丸ごと飲み込みました。このときUAEはポガチャ本人を含めて4人。集団は15人ほどまで削られ、マティアス・スケルモーリチャル・カラパプリモシュ・ログリッが後ろへこぼれていきます。

残り3kmの看板を過ぎたところで最後のデカトロンの選手が下がり、フェリックス・ガがアタックしました。300mほどの全力の踏み込みに食らいついたのは、ポガチャルとエンリク・マの2人だけです。振り落とせないと見たガルは、先頭を降りました。

「フェリックスが先頭を降りたので、僕もそのまま行きました。彼がそれまで出していたのと同じペースを続けたんです。2人が付いてこられないのが見えたので、頂上まで踏みました」——ポガチャル

ゴール後、マスは「ポガチャルは何かに怒っていて、それを示したかったのではないか」と話しました。本人は否定しています。「怒っていたわけではまったくありません。本当ならチームメイトのペースで頂上まで行きたかった。でもデカトロンがレースをする気になって、強く踏んだんです」

ガルとの差は6秒。マスはポガチャルから16秒(ガルからはさらに10秒)遅れ、そこから29秒後ろに、セップ・クス、ログリッチ、オスカー・オンリーの3人が同時にゴールしました。ポガチャルの総合リードは2位マスに3分50秒、3位ログリッチに4分50秒。ガルは総合4位に上がり、この日ずるずると後退したカラパスは、4位から7位に落ちました。

🔰 初心者向けメモ: エースをひとりにする——山で人数を削る攻め方

山岳ステージで挑戦者側がまずやるのは、ライバルのエースから味方を剥がすことです。

登りでペースを上げ続ければ、アシストは順に脚を使って落ちていきます。エースの周りの人数が減ると、風よけも、ペース管理も、アタックへの反応も、全部エース自身の仕事になる。この日デカトロン・CMA CGMがミュールベルガーとリッチテッロを一気に前へ出したのは、その作業を早送りするためでした。

狙いどおり、UAEは4人になり、残り3kmでは赤いジャージがひとりで残されます。それでも先に前へ出たのは、ひとりにされた側でした。

出典:Cyclingnews: ポガチャルのコメント(「Felix flicked his elbow for me to pass」。英語)Cyclingnews: ガルのコメントとデカトロンの動き(ミュールベルガーとリッチテッロの投入、300mの加速、総合順位の変動。英語)ラ・ブエルタ公式: ポガチャルの発言(「Gall just swung off and I went too, continuing with the same pace he was doing before」。英語)Cyclingnews ライブブログ: 残り3kmの看板で最後のデカトロンの選手が下がり、ガルがアタック。付いたのはポガチャルとマスだけ(英語)

借り物だった緑のジャージが、2点差で自分のものになった

ファンアールはこの日の前から緑を着ていました。正確には緑のスキンスーツです。ただしそれは彼の順位ではありません。ポイント賞の首位はポガチャで、そのポガチャルは赤いジャージを着るので、緑は2位の彼が代理で着ていのです。

中間スプリントの20点と、3位でゴールした15点。この日積んだ35点でファンアールトは104点になり、102点のポガチャルを2点上回りました。借り物が、彼自身の順位になったわけです。

この日の敢闘も、ファンアールトでした。0km地点から飛び出して149.8kmのほとんどを先頭で走り、中間スプリントを取り、最後の登りでもう一度追走に出て3位。足を止めた区間がありません。この大会で彼が敢闘賞に選ばれたのは、この日が初めてです。

それでも本人は、勝てたかもしれない一日のほうを悔しがっていました。

「正直、最後の登りで自分を信じきれなかったことを少し後悔しています。走っているあいだは、中間スプリントで点を取って、できるだけ余裕を持ってステージ5位以内に、というつもりでいました。でも最後の登りで、ほかの多くの選手も疲れているのが見えたんです。もう少し賢く走るべきだったのかもしれません。まあ、それも自分の性格ですね」

ポイント賞の3位は、この大会ですでに2勝しているチームメイトのマシュー・ブレナで60点。追う側になったポガチャルは、ポイント賞は「まだ」目標なのかと聞かれて、こう答えています。「もともと目標ではなかったので、『まだ』という言葉は無しにしてください。赤いジャージが目標で、それがすべてです」

出典:Cyclingnews: ファンアールトのコメントとポイント賞の内訳(104点対102点、ブレナン60点。英語)Cyclingnews: ポガチャルのコメント(「It was never a target so the word 'still' is off the table」。英語)ラ・ブエルタ公式: 第7ステージ 敢闘賞(Combative の分類に「1 W. VAN AERT」の1行)

テレビの前で震えていた母と、3か月前の3回の2位

ゴールしたレックネスは、言葉に詰まりました。「こんなに感情が動くとは思っていませんでした。ずっと必死に戦ってきたので、本当に大きな意味があります」

「信じられない気持ちです。ゴールラインを越えたとき、これほど多くの感情がいちどに来るとは思っていませんでした。もちろん、出し切りたかった。国王のためでもあるし、このステージのプロフィールのためでもあり、これから来る日々が厳しいからでもあります」

ヨハンネセは、スタート前のやりとりを明かしています。「スタート前に少し話したんです。今日は helt konge でいこうって。そして、そうなりました」。ノルウェー語の helt konge は「最高だ」という意味の口語で、konge は「王」を指す言葉です。「夢に見ていたことができて、本当に鳥肌が立ちました」

国王をたたえるのにこれ以上の方法はあったか、と問われたレックネスンは答えています。「間違いなく。チームにとっても、ノルウェー全体にとっても特別な日でした。もちろん、大きな絵の中ではほんの小さなことです。それでも、この日をより特別なものにしてくれます」

テレビの前には、レックネスンの母オッドヴェイグ・リカルドセンがいました。「ものすごく嬉しいです。ここに座って、震えて、泣いていました。言葉になりません」

「何度もポストに嫌われたあとだから、本当に報われました。今朝も彼と話したんです。それが今日という日に起きるのだから、すごく特別で。もう、めちゃくちゃでした——見ていて最高でした」

母親が使った「ポストに嫌われた」(stang ut)は、サッカーでボールがゴールポストに当たって外へ出ることを言うノルウェー語の言い回しです。3か月前のジロ・デ・イタリアで、レックネスンは2位を3回取っていました。第13ステージでは最後の登りで自分から仕掛け、付いてこられたのはアルベルト・ベッティオルだけ。そのベッティオルに、頂上の直前で置き去りにされます。27歳になった翌日のことでした。第17ステージは202kmを走った末、最後にデンマークの選手が飛び出したところで塞がれ、届きませんでした。「頂上を越えてから行く計画だったのに、遅すぎました」

グランツールのステージ優勝は、この日が初めてです。そしてこの日、ウノエックス・モビリティは今シーズンの3つのグランツールすべてでステージを勝ったチームになりました。ノルウェー人がブエルタでステージを勝ったのは、2010年のトール・フースホフト以来——そのフースホフトが、いまこのチームのGMです。

出典:TV 2(ノルウェー): 母オッドヴェイグ・リカルドセンとレックネスンのコメント(「Jeg har sittet her og ristet og grått」「etter så mange ganger med stang ut」。ノルウェー語)NRK(ノルウェー): 第7ステージ レポート(「Jeg hadde ikke forventet at jeg skulle bli så emosjonell」、7人のノルウェー人、3グランツール制覇、フースホフト以来の記述。ノルウェー語)VG(ノルウェー): ジロ第17ステージの2位(「Jeg hadde en plan med å gå over toppen og jeg var for sent ute」、今大会3度目の2位)。ノルウェー語Nettavisen(ノルウェー): ジロ第13ステージ(ベッティオルに頂上直前で置き去りにされた、27歳の誕生日の翌日)。ノルウェー語

今日の寄り道

自転車をちょっと離れて、ステージが駆け抜けた土地の話。

風土ゴールの村は、スペインでいちばん高いところにある

ゴールのスキー場から7kmほど離れたところに、バルデリナレスの集落があります。標高1,695m——役場のある町としては、スペインでいちばん高い場所です(それより高い集落もありますが、いずれも自前の役場を持たない地区)。人口はおよそ80人。村の背後にそびえるペニャロヤの斜面には、標高1,900mから上に高山性のマツ(Pinus uncinata)の天然林が残っています。この種がヨーロッパでたどり着いた最も南の自然林だとされる森です。選手たちが最後に登っていったのは、そういう山でした。

土地の記憶中間スプリントの町を見下ろす、4,000m²の城

ファンアールトが20点を摘んだモラ・デ・ルビエロスは、丘の上に城を持つ町です。もとはイスラム時代の砦で、1171年にアラゴン王アルフォンソ2世が攻め落としました。以後はカスティーリャとアラゴンの争いの舞台になり、14世紀にフェルナンデス・デ・エレディア家の手に渡って現在の姿になります。敷地は約4,000m²。四方の壁も四隅の塔もそれぞれ形が違い、内部にはイスラム建築の影響が濃い尖頭アーチが並びます。1931年に国の歴史芸術記念物に指定されました。

食文化黒トリュフの首都、サリオン

ゴール一帯のグダール・ハバランブレ地方は、黒トリュフ(Tuber melanosporum)の産地です。中心はサリオンの町で、2001年に始まった国際トリュフ見本市FITRUFが、12月のはじめに開かれます(2020年はコロナで中止)。専門家が「ヨーロッパでも屈指の栽培条件」と評する土地で、いまではサリオンの市場がヨーロッパの取引価格を決めるひとつになりました。かつて世界一とされたフランス産と品質で張り合う黒い塊が、選手たちの登っていった山地の土の下で育っています。

写真: Wikimedia Commons(フリーライセンス)

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この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。