ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 Stage 32026年8月25日文: Grand Tour Hub 管理人

ゴルフボール大の雹で、選手たちが自らレースを止めた——ステージは中止

グリュイッサン → フォン・ロムー 174km(中級山岳/獲得標高2,660m。前半のおよそ70kmは地中海沿いの平坦。残り36kmから1級山岳コル・ド・モン・ルイ(19.4km・平均4.8%)、6kmあまりの下りをはさんで2級山岳フォン・ロムー(9.8km・平均5%)の山頂フィニッシュ。中間スプリントは残り45kmのヴィルフランシュ・ド・コンフラン)

大会3日目は、この大会に7回ある山頂フィニッシュの1回目でした。地中海のグリュイッサンを出て、ピレネーの標高1,936mへ一気に上がる174km。総合争いの最初のぶつかり合いを、みんなが待っていました。ところが残り15km、空から降ってきたのはゴルフボールほどの大きさの雹でした。レースは勝者を出さないまま、そこで終わります。

S12
前半のおよそ70kmは地中海沿いの平坦です。ペルピニャン郊外を過ぎたあたりから道はじわじわ上り、残り36kmで1級山岳コル・ド・モン・ルイ(19.4km・平均4.8%)が始まります。頂上の1,571mから6kmあまり下って、2級山岳フォン・ロムー(9.8km・平均5%)の山頂ゴール1,936mへ。海辺から1,900m超まで、1日で上がりきるコースです(この日のレースは、最後の上りに入る手前で中止になりました) 中間スプリント ヴィルフランシュ・ド・コンフラン残り45km地点 1級山岳 コル・ド・モン・ルイ残り17km地点 2級山岳 フォン・ロムーゴール地点

📊 今日のデータ

シーズン集計を見る →
スタート曇り 27.2℃・風14.5m/s
ゴール雨 19.6℃・風7.7m/s・雨8.5mm
逃げ6人 → 中止で未決着
決着中止(残り約15km、雹と悪天候のため)
総合タデイ・ポガチャルが首位堅持(+9秒)
残った選手182 / 183人
敢闘賞なし(ステージ中止のため)

地中海沿いの前半——逃げ6人と、強い横風

グリュイッサンのスタート直後から攻撃が飛び、6人があっさり決まりました。前日に続いて緑のジャージのイーサン・ヘイタ、ウノエックス・モビリティのマグナス・コル、ピクニック・ポストNLのティモ・ローセ、グルパマ・エフデジ・ユナイテッドのオリヴィエ・ルガッ、ジェイコ・アルウラーのアスビョルン・ヘレモー、そしてエキポ・ケルンファルマのマッツ・ヴェンツェ。ピナレロ・Q36.5のミラン・ファデが追いかけましたが、届かずに集団へ戻ります。

差は2分30秒まで開いて、そこで止まりました。集団の先頭を固めたのはUAEチーム・エミレーツ・XRG。赤いジャージのタデイ・ポガチャを守るチームが、ジャージを貸し出す気のないペースで引き続けます。6人のなかでポガチャルにいちばん近いのはヘイターの29秒差で、この日の逃げに許された差はそこまででした。

レースが動いたのは、その平坦な道の途中です。海から吹く風が強く、UAEが先頭でペースを上げると集団は縦に伸び、そして裂けました。残ったのは50人ほど。エシュロを組んだ集団がいくつも後ろに連なり、ポガチャルの右腕であるジョアン・アルメイまでがチームカーのそばまで下がっています。デカトロン・CMA CGMが猛然と引いてフェリックス・ガを前へ戻し、数km後には全体がひとつになりました。この日のグリュイッサンの最大風速は毎秒14.5m。ほんの十数分の出来事でしたが、逃げの差はいったん40秒まで削られています。

落ち着いたころ、コフィディスのアレックス・キルシが静かにレースを去りました。ルクセンブルクの元国内王者で、7年間マッズ・ピーダス発射を務めた34歳です。フランスの自転車専門メディア「ディレクトヴェロ」がチームから聞き取ったところでは、48時間前から体調を崩していて、回復を願って走り出したものの、ゴールまで50kmほどのところで足を着きました。前日のマノスクでも、勝者から15分以上遅れた最後から2番目のゴールでした。この大会2人目のリタイアです。

🔰 初心者向けメモ: 海から山へ——1日のなかで季節が変わる

この日のコースは、地中海のグリュイッサンを海抜26mで出て、標高1,936mのフォン・ロムーでゴールする予定でした。標高が100m上がるごとに気温はおよそ0.6℃下がるので、単純計算でも海岸と山頂では11℃以上の差がつきます。

ブエルタは夏の終わりに走ります。海岸は真夏のままなのに、山の上はもう秋の入り口——ということが起こります。2013年の第14ステージは30℃の陽射しのなかでスタートし、アンドラに着くころには5℃まで下がって、雹と冷たい雨が集団を叩きました。あの日は16人がレースを去り、低体温症で降りた選手もいます。

選手が上りの手前でチームカーからレインジャケットを受け取るのは、寒がりだからではありません。汗で濡れた体のまま下りに入ると、体温はあっという間に持っていかれます。この日の風速14.5mも、平地では「エシュロンの日」ですが、山の上では体温を奪う道具になります。

出典:Cyclingnews: 第3ステージ ライブブログ(逃げの構成・横風・キルシュの離脱)DirectVelo:「Tour d’Espagne : Un abandon chez Cofidis」(キルシュの体調)Cyclingnews: 現地レポート(2013年アンドラの寒波と16人のリタイア)

残り45km、城塞の町での20点

この日の中間スプリンは残り45km、ヴィルフランシュ・ド・コンフランに置かれていました。ピレネーの谷が合流する場所に建つ、17世紀のヴォーバンの城塞に囲まれた小さな町です。

ヘイタは誰にも競られずに1位で通過し、20点を加えました。

これでヘイターのポイントは57点。彼がこの日も着ている緑は、首位のポガチャが赤いジャージを着るために回ってきた「代理」のジャージです。この瞬間、彼は道の上で本物のポイント賞首位に立ちます。

その20点が、数十分後に消えることを、まだ誰も知りません。

出典:Cyclingnews: 第3ステージ レポート(中間スプリントで20点、ポイント賞は変わらず)Ciclo21: 第3ステージ中止(中間スプリントの通過とポイント57点)

ケルンファルマの23歳が、ひとりになった

残り36kmでコル・ド・モン・ルイが始まります。19.4kmを平均4.8%で上る、長いけれど緩い1級山岳です。UAEは隊列を組んだままペースを上げ、残り30kmで、その隊列がワウト・ファンアールを振り落としました。前日ポガチャに9秒差まで迫っていたベルギー人にとって、この日ジャージを奪う望みはここで消えます。

残り29km、先頭の6人の休戦も終わりました。仕掛けたのはヘレモー。ついていけたのはコルヴェンツェだけで、ヘイタルガッローセはそこで千切れ、まもなく集団に飲み込まれます。

残り25km、今度はヴェンツェルが踏みました。ヘレモーセが遅れ、コルトがかろうじて食らいつきましたが、そのコルトもやがて離れていきます。主催者はこの時点で、一日じゅう逃げで働いたコルトを敢闘に選んでいました。

残ったのはマッツ・ヴェンツェル、23歳。ルクセンブルクのシクロクロスとロードの二刀流で、2025年にスペインのケルンファルマでプロになった選手です。そして、雨が降り出しました。「雨が降り出してからのほうが調子がよくなって、山岳ポイントを狙って単独で抜け出した」と彼はのちに語っています。

このころ、中継の映像が消えました。ベルギーの公共放送スポルザによれば、最後の上りに立つ中継用のアンテナに雷が落ち、10分以上にわたって画面から映像が途絶えたのです。

その見えない10分のあいだに、レースは動いていました。残り19km、集団からXDSアスタナのロレンツォ・フォルトゥナーが飛び出します。17秒前のヴェンツェルへ橋を架け、頂上の手前で2人になりました。「集団から飛び出してきたフォルトゥナートとの激しいスプリントを制することができた」——ヴェンツェルの言葉です。ただしCyclingnewsの記事は、頂上を先に越えたのはフォルトゥナートだったと書いています。

どちらにせよ、この日の山岳ポイントは配られませんでした。

そしてその10分あまりは、ケルンファルマにとって別の重さを持っていました。チーム名になっている製薬会社ケルンファルマは、2020年から7シーズンにわたって務めてきたメインスポンサーを2026年限りで降りると発表しており、チームは2027年の後ろ盾をまだ探している最中です。逃げがテレビに映ることは、こういうチームにとって営業そのもの——ツール2026第7ステージの観戦記で「逃げはテレビに映る——中小チームの経済」として書いたとおりです。その、テレビに映り続けるはずだった10分あまりが、落雷で消えていました。

映らなかった時間の先頭を走っていたのは、その23歳でした。

出典:Ciclo21: ヴェンツェルの発言(「Cuando ha empezado a llover, me he sentido mejor…」)Sporza:「Apocalyptische taferelen leggen Vuelta lam」(落雷で中継が10分以上途絶)Cyclingnews: 第3ステージ ライブブログ(アタックの時系列・コルトの敢闘賞)Cyclingnews: 第3ステージ レポート(頂上を先に越えたのはフォルトゥナート)Equipo Kern Pharma(公式): メインスポンサー、7シーズンで契約終了の発表Ciclismo a Fondo: 現地レポート(落雷による中継の暗転/スポンサーを探すケルンファルマが映れなかったこと/避難先の施設名)

雹が降り、赤いジャージが手を挙げた

映像が戻ったとき、そこは別のレースのようでした。ゴルフボールほどの大きさの雹が空から落ちてきて、路面は雪のように白くなっています。後方の選手たちは道端の軒下へ逃げ込んでいました。

一方その前では、赤いジャージが集団の先頭へ上がってきます。タデイ・ポガチャは、少なくなった集団の先頭でペースを落とし、腕を挙げて「止まれ」の合図を出しました。そして左を指します。コースを外れろ、という意味でした。集団はそれに従います。

指した先に建物がありました。峠の上のホテルです。扉が開き、選手たちが次々に吸い込まれていきました。少し前まで先頭を走っていたヴェンツェフォルトゥナーに、いつどうやって止まれと伝わったのかは、はっきりしていません。

主催者の判断は、10分とかからずに出ました。「選手の安全のため、雹と悪天候により第3ステージを中止します。勝者も表彰式もありません」。のちに出された審判長のコミュニケは、こう説明しています。「視界不良、強風、凍結した路面を含む、ステージ中の著しい天候悪化により決定した。主催者との協議のうえ、審判長は中間スプリントと山岳スプリントの結果を取り消すことを決定した」

ヴィスマ・リースアバイクのチーム首脳は「自転車を降りるという選手と主催者の判断はよかった。天候があまりに危険だったのだから、中止が全員にとっていちばん安全だ」とコメントしています。

🔰 初心者向けメモ: パトロン——レースを止められる選手

ロードレースには審判がいて、危険なときはレースを中断できます。でもこの日、最初に止めたのは審判ではなく選手でした。

集団には昔から、規則に書かれていない「まとめ役」がいます。フランス語でパトロン(親分)と呼ばれてきた役どころで、たいていはそのとき最も強く、最も敬われている一人が担います。落車が多発したとき、路面が凍ったとき、大雨で下りが危険なとき——「今日はここまでにしよう」と決めて、腕を挙げるのがこの人の仕事です。ほかの誰が挙げても集団は止まりませんが、この人が挙げると止まる。それがパトロンです。

ポガチャルがこの役を担うのは初めてではありません。2024年のトレ・ヴァッリ・ヴァレジーネでも大雨のなかで同じことをして、レースはゴールの約100km手前で中断されました。

主催者・チーム・選手会のあいだには、酷暑や悪天候のときにレースをどうするかの取り決めもあります(ツール2026第9ステージの観戦記で「極端気象プロトコ」として書きました)。ただ、いま路面がどれだけ危ないかを本当に知っているのは、そこを走っている選手です。この日はその両方が、ほぼ同時に同じ結論に達しました。

出典:Sporza:「Apocalyptische taferelen leggen Vuelta lam」(落雷で中継が10分以上途絶/ゴルフボール大の雹)Cyclingnews: ポガチャルが集団を止めた(合図の順序・主催者声明)ラ・ブエルタ公式: 第3ステージ中止のお知らせCyclingnews: 現地レポート(審判長コミュニケの全文・ヴィスマのコメント・トレ・ヴァッリ2024)

ホテルのロビーに、プロトンがいた

選手たちが震えていたのには、数字の裏付けがあります。ゴール地点のこの日の最高気温は19.6℃でしたが、それは昼過ぎの値でした。レースが止まった16時台には、風を計算に入れた体感温度が9℃前後まで落ちています。夕方には5℃台。朝スタートした海沿いのグリュイッサンは27.2℃だったので、5時間ほどで真夏から晩秋へ移動したことになります(気象データはOpen-Meteo)。そのうえ全員、濡れていました。

そのホテルは、たまたま峠の上にあっただけの宿でした。ロビーは選手とスタッフで埋まり、宿泊客が濡れた集団を目を丸くして眺めています。ウノエックスの選手たちはエアホッケー台の脇で着替え、ビリヤード台はタオルとウェアとヘルメットの置き場になりました。EFエデュケーション・イージーポストの選手は、ローラー台に乗って脚を回しはじめます。従業員は大量のタオルを運んで助けに入り、温かいコーヒーが配られました。ロット・アンテルマルシェのヤルノ・ウィダーは、グローブを自分で脱げず、人に手伝ってもらっています。

ワウト・ファンアールは、少し違う道をたどってチームバスに戻りました。「まず配送用のバンに逃げ込んで、そのあとは、すぐ近くのホテルにほとんど全員の選手で集まっていた」「突然嵐が来て、もうレースをする状態じゃなかった。道が雹で埋まっていたから、続けていたらとても危なかったと思う。さあ、体を温めてくる」

チームバスはゴール地点から山道を下りてきて、選手たちを拾っていきました。表彰式が取りやめになったので、ポガチャたちが山の上まで上がる必要もなくなりました。

そのゴール地点でも、同じことが起きています。フォン・ロムーのフィニッシュは村から5kmほど上のスキー場に置かれていて、雹は一瞬で地面を白く変えました。観客のなかにはその5kmを歩いて上ってきた人もいれば、無料開放されていたスキーリフトを使った人もいました。そのリフトが雷に打たれて動かなくなり、下りられなくなった人たちのために、自治体はあとからバスを出すことになります。プレスルームには記者と観客とスタッフが押し込まれ、カメラマンは濡れた機材を拭いていました。村長のアラン・リュノーは、そこで記者たちにこう話しています。「みんなにとって難しい状況だったけれど、レースを止めたのがいちばんよかった。あの状況では、ほかに選べる道はなかった。ここは第3ステージだ。選手が怪我をしていたかもしれない。それはまったくよくない」「でも、レースはまた帰ってくると思う。いつかまたここでステージをやれるはずだ」

そして、この日のすべてが記録から消えました。ヘイタの20点も、ヴェンツェフォルトゥナーが争った山岳ポイントも、コルが受け取るはずだった敢闘賞も。総合首位はタデイ・ポガチャルのまま、2位のファンアールトとの差は9秒のまま。山岳賞の水玉も、前日と同じクーン・ボウマが着ます。3日目を終えて、順位表は2日目のまま動きませんでした。

🔰 初心者向けメモ: 中止になった日は、記録の上でどうなるのか

ステージが中止になると、その日のリザルトそのものが存在しなくなります。ステージ優勝者もいなければ、順位もタイム差もつきません。中間スプリントも山岳ポイントもなかったことになり、各賞のジャージは前日の持ち主のまま翌日へ持ち越されます。

消えるのは「順位」だけです。その日レースを去った選手は戻ってきませんし、大会は21ステージのまま進みます。失われた1日ぶんのレースが、あとでどこかに足されることもありません。読み替えれば、総合を争う選手たちにとっては「差がつくはずだった一日」が、そのまま消えたということです。

ちなみに翌日の第4ステージは、アンドラ発着のわずか104.8kmに1級山岳が3つ並ぶ山岳ステージ。この日つかなかった差は、24時間遅れで、もっと急な坂の上でつくことになります。

出典:Sporza:「In een hotellobby tot zelfs aan pooltafel en in fitnesszaal」(ホテル内の様子・現地写真)Sporza:「Heb eerst in een bestelwagen geschuild」(ファンアールトの発言)Cyclingnews: 現地レポート(フォン・ロムーの観客・スキーリフトへの落雷・村長の発言)

今日の寄り道

自転車をちょっと離れて、ステージが駆け抜けた土地の話。

科学太陽を1万倍に集めるオデイヨの太陽炉

ゴール地点フォン・ロムーの正式な地名は「フォン=ロムー=オデイヨ=ヴィア」。そのオデイヨ地区に、高さ50m・幅60mの巨大な放物面鏡が立っています。1969年に稼働した太陽炉で、山の斜面に並ぶ63枚の反射鏡(ヘリオスタット)が太陽を追いかけ、光を一点に集めます。集光倍率はおよそ1万倍、焦点の温度は3,300℃に達します。ウズベキスタンのパルケントの太陽炉と並ぶ、世界最大級の施設です。晴天の日数が多く、空気が澄んだ高地であることが、この土地が選ばれた理由でした。雹に沈んだこの日は、その理由がいちばん通じない一日だったことになります。

世界遺産同じ日に2つ通った、ヴォーバンの城塞

ルイ14世に仕えた築城家ヴォーバンが手がけた要塞群のうち、12か所が2008年にユネスコ世界遺産に登録されています。そのうち2つが、この日のコース上にありました。中間スプリントが置かれたヴィルフランシュ・ド・コンフラン(城壁とリベリア砦)と、1級山岳の名になったモン・ルイ(城塞と城壁)です。モン・ルイはピレネーの国境を守るために1679年から更地に築かれた城塞、ヴィルフランシュは中世からある城壁をヴォーバンが1669年から作り直したもので、どちらもいまに当時の姿を残しています。人口200人あまりのヴィルフランシュは「フランスの最も美しい村」のひとつにも数えられています。

土地の記憶兵士たちの休暇の宿——選手が逃げ込んだ保養所

ポガチャルが左を指した先の建物には、名前があります。コル・ド・モン・ルイの頂を越えてすぐ、写真のラ・カバナス村にある「IGESA(イジェザ)ヴィラージュ・クラブ・レ・ソルビエ」。コースそのものである国道116号沿いに建っています。その名前を伝えているのは、現地で取材したスペインの自転車専門誌 Ciclismo a Fondo だけです。IGESA はフランス国防省の福利厚生機関で、この施設は国防省に属する人(現役も退職者も)とその家族のための保養所です。エアホッケー台とビリヤード台があり、トレーニングルームまであったことにも、それで合点がいきます。 偶然ですが、土地柄でもあります。ひとつ上で書いたヴォーバンの要塞のまちモン・ルイは、その城塞をいまも軍が使っています。フランス陸軍のコマンド訓練を担う部隊が1964年からここを拠点のひとつにしていて、長く国立コマンド訓練センターと呼ばれてきました(2025年7月に第1猛襲連隊へ改称)。この日の午後、グランツールのプロトンは、兵士たちの休暇の宿で雨宿りをしていました。

写真: Wikimedia Commons(フリーライセンス)

この日の公式ハイライト

【フィニッシュシーン】ブエルタ・ア・エスパーニャ 第3ステージ(J SPORTS公式)
ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 第3ステージ ハイライト(Velon公式)
第3ステージ 拡張ハイライト(ラ・ブエルタ公式)

※ 公式アカウントが公開しているコンテンツの埋め込みです。映像の権利は各権利者に帰属します。

共有: ポスト

この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。