ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 Stage 12026年8月23日文: Grand Tour Hub 管理人

若手が次々に座った暫定首位の椅子を、地元に住む王者が0.09秒で奪った

モナコ市街 9.4km 個人タイムトライアル(モンテカルロのカジノ広場をスタートし、海沿いとトンネルをめぐってF1モナコGPのホームストレートでフィニッシュ。獲得標高90m)

81回目のブエルタ・ア・エスパーニャは、スペインを離れてモナコで幕を開けました。初日は9.4kmの個人タイムトライアル。1人ずつ時間をずらして走るこの種目では、ゴール地点に「そのときいちばん速い選手が座る椅子」が置かれます。8月22日の夕方にかけて、その椅子の主は何度も入れ替わりました。座ったのは、順位表の常連ではない若手ばかり。そして最後の最後、椅子は0.09秒差でひっくり返ります。

高台のカジノ広場(標高49m)を出て最初の1kmで登り切り、あとは海沿いを走って港のポール・エルキュール(標高10m)へ

📊 今日のデータ

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スタート晴れ 27.6℃・風2.6m/s
ゴール晴れ 27.6℃・風2.6m/s
決着個人TT(タデイ・ポガチャル)
総合タデイ・ポガチャルが首位堅持
完走184 / 184人
敢闘賞なし(個人TTのため対象外)

カジノ広場スタート——3大ツールすべての開幕地になった街

ブエルタがスペインの外で幕を開けるのは、1997年のリスボン以来これで7回目。3年続けての国外スタートです。今年その役を引き受けたモナコは、1966年のジロ・デ・イタリア、2009年のツール・ド・フランスに続いて、3大ツールすべての公式スタートを迎えた史上初めての街になりました。

コースは9.4km。モンテカルロのカジノ広場を出て、ラウンドアバウトと直角コーナー、いくつものトンネルをくぐり、ルイ2世スタジアムのまわりを回ってからF1モナコGPのホームストレートに戻ってきます。獲得標高は90mで、坂らしい坂はありません。勝負を分けるのは登る力ではなく、減速と加速をどれだけ繰り返せるか。184人が1分間隔で、1人ずつスタート台を降りていきました。

🔰 初心者向けメモ: ホットシート——暫定トップが座る椅子

個人タイムトライアルは、選手が1人ずつ時間をずらして出走し、同じ距離を走ったタイムだけで順位を決める種目です。全員が同時に走るわけではないので、レースの途中で分かるのは「いまのところ誰がいちばん速いか」だけ。そこでゴール地点には、暫定トップの選手が座る椅子が用意されます。これがホットシート(熱い椅子)です。もっと速い選手がゴールすれば、その場で立って明け渡す。逆に言えば、座っていられた時間の長さは、その日いい走りをした証でもあります。

出典:J SPORTS: ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 第1ステージ/コースMonaco Life: Monaco to become first city to launch all three Grand Tours

椅子の主が、次々に入れ替わった

いちばん最初にスタート台を降りたのは、スペインの小さなチーム、エキポ・ケルンファルマのディエゴ・ウリアルでした。最初にゴールした選手が、その日いちばん最初にホットシートに座ります。

けれど椅子はすぐ人手に渡ります。ウリアルテのタイムはベロに塗り替えられ、レックネスが9秒縮め、ノルスゴがそれをわずかに上回る。そこへ23歳のラブロッが11分20秒で現れて、水準を一段引き上げました。ここからはデカトロンの当たり日です。デペステが11分15秒で塗り替えると、割って入ったのはヴィスマのブレナの11分13秒と、チューダーのクルッカーの11分8秒。それでもデカトロンは止まらず、チェンバーレイが11分6秒——21歳、グランツール初出場で、プロではまだ1勝もしていない選手です。最後にチームメイトのビジオが11分5秒で、わずかにそれを上回りました。

ここまで椅子に座ったのは、優勝候補として名前の挙がっていた選手ではありません。主催者が優勝候補に挙げた4人は、この時点でまだ1人もスタートしていませんでした。

「グランツールの選手になる姿は想像できない」と語っていた男

そのビジオの11分5秒を3秒上回る11分2秒で椅子に座ったのが、レッドブル・ボーラ・ハンスグローエのカラム・ソーンリ、23歳です。

スコットランドの町ピーブルズ育ち。8歳か9歳のとき、家族でフランスを旅してトゥルマ峠でツールを見たのが始まりで、12歳の誕生日に地元クラブのタイムトライアルを走りました。マウンテンバイクの盛んな土地で、16〜17歳まではサッカーとラグビーも続けていた遅い転向組です。2021年の取材では、こんなことを言っています。「(ひとつだけ勝てるなら)クラシックですね。ルーベ、フランドル、ミラノ〜サンレモ。どうも自分がグランツールの選手になる姿は想像できないんです」。

2024年にツアー・オブ・ブリテンで山岳賞、2025年に英国U23の個人TT王者と、U23のロンバルディア(ピッコロ・ジロ・ディ・ロンバルディア)。2026年にチームの育成組織からワールドツアーへ上がり、この日が、その「想像できない」グランツールの初日でした。11分2秒は最後まで4位に残ります。ファンアールも、キュンも、後ろにいました。

🔰 初心者向けメモ: 育成チーム——ワールドツアーへの階段

ワールドツアーの多くのチームは、10代後半から20代前半の選手を預かる「育成チーム」を別に持っています。プロのレース機材とスタッフを与えながら、格下のレースで経験を積ませる場所です。ここで結果を出した選手が本隊へ引き上げられる——ソーンリーもその階段を上ってきた1人でした。選手ページの「経歴」欄に見慣れないチーム名が並んでいたら、その多くはこの育成チームです。

出典:Callum Thornley interview — VeloVeritas(2021年6月・Wayback)Callum Thornley — Wikipedia (en)

弟を亡くして8日後の、1秒

ソーンリの11分2秒を、1秒だけ上回る11分1秒。この日はじめて、優勝候補と目されていた選手が椅子に座りました。ジョシュア・ターリンです。

8日前の8月14日、ボルタ・ア・ポルトガル第8ステージで、彼の弟フィンレイが亡くなっています。19歳でした。ゴールまで20kmほどの地点で、コースに入って逆走してきた車にはねられたと現地メディアは伝えています。主催者はレースを中立化し、その日の表彰式を取りやめました。兄の背中を追っていた選手で、6月の英国選手権U23個人TTでは3位に入っていました。

ターリングは、走ることを選びました。「本当に幸せだ、これ以上ないくらいに。持っているものは全部出した。これ以上はできないよ」「……気を紛らわせる必要があったんだ。ここへ来て、もう一度自転車のレースを走ることを後押ししてくれた家族に、ありがとうと言いたい」。この日3位。大会最初のマイヨ・ブランコ(ヤングライダー賞)は、彼のものになりました。

そのあとスタートラインへ向かった選手のひとりが、こう話しています。「スタートラインに向かうとき、ジョシュがトップタイムだと知ったんだ。今日は本当に彼に勝ってほしかった。彼を応援していたよ。……このブエルタで、ジョシュがいい走りをするのをぜひ見たい」。言ったのは、このあと彼のタイムを4秒上回ることになるポガチャでした。

出典:ラ・ブエルタ公式: Josh Tarling「I'm as happy as I can be」ラ・ブエルタ公式: Tadej Pogacar「I won when we passed in front of my apartment」Domestique: Finlay Tarling dies aged 19 after crash at Volta a Portugal

10分57秒14と、10分57秒23

172番目にスタート台を降りたイーサン・ヘイタ、27歳。英国の個人TTチャンピオンです。中間計測でターリンを3秒上回ると、フィニッシュでは4秒。10分57秒、平均時速51.48km——この日はじめて11分を切るタイムでした。残る出走者はもうわずか。あと数分で、彼にとって初めてのグランツールのステージ勝利になるはずでした。

主催者が優勝候補に挙げていた4人が、最後にコースへ出ていきます。ファンアールは「コーナリングでミスがあった」と振り返り、9秒遅れ。そして最後から2人目のポガチャ。中間計測ではヘイターに3秒遅れていましたが、いちばんテクニカルな終盤でギアを上げました。10分57秒14。ヘイターより0.09秒だけ速いタイムです。

ポガチャルはモナコに住んでいます。「0秒09差は自宅アパートの前を通過した区間で稼いだもので間違いないと思うよ。コースの中でも特にテクニカルな区間で、……それを熟知していたのは大きなアドバンテージだった」。最後の1人ログリッが22秒遅れでゴールし、ポガチャルにとって初めてのマイヨ・ロホが決まりました。

椅子を立たされたヘイターは、こう言っています。「表彰台に立てたことには満足している。でも同時に、結果には失望している」「本当にきついコースだった。速くて、狭くて、テクニカルで、走る前はかなり緊張していた。……すごくきつい走りだったけれど、持っているものは全部出せたと思う」。翌日、彼は総合首位のポガチャルに代わってポイント賞のマイヨ・ベルデを着ることになりました。

🔰 初心者向けメモ: 同じ10分57秒でも、順位はつく

ロードレースの記録は、ふつう1秒単位です。集団でゴールした選手はまとめて「同タイム」として扱われ、総合成績の差も秒で表されます。けれどタイムトライアルでは、100分の1秒まで計測します。この日の2人の差は0.09秒。時速51kmで走っていたので、距離にすると1.3mほど——自転車1台の長さにも足りません。総合成績の表では、ポガチャルとヘイターはどちらも10分57秒で並び、差は0秒と書かれます。それでも赤いジャージを着るのは、100分の1秒まで測って前にいた1人だけです。

出典:J SPORTS: グランツール2冠目指し走り出したポガチャル(第1ステージ レースレポート)スダル・クイックステップ公式: Vuelta a España: Hayter close to victory in Monaco

今日の寄り道

自転車をちょっと離れて、ステージが駆け抜けた土地の話。

食文化バルバジュアン

モナコを代表する軽食。詰め物をした小さなラビオリを、茹でずに油で揚げます。名前は隣町マントンの方言で「バルバ・ジュアン」=「ジャンおじさん」。ラビオリのソースを切らしてしまったジャンという男が、仕方なく揚げてみたら評判になった——という言い伝えが残っています。アーティチョークやカボチャを使う変化形もあり、2016年からは公国でバルバジュアン祭も開かれています。

伝統行事サント・デヴォートの祭り

モナコの守護聖人、聖デヴォート。3世紀末のコルシカに生まれて殉教した彼女の亡骸を運ぶ小舟が嵐に遭い、鳩に導かれて流れ着いた岸が、のちのモナコだった——と伝えられます。毎年1月26日の夜には港で小舟が燃やされ、翌27日は公国の祝日。F1モナコGPで最初に現れる「サント・デヴォート」コーナーの名は、すぐそばに建つこの聖女の教会に由来します。第1ステージのフィニッシュラインは、そのコーナーへ向かうホームストレートに引かれていました。

伝統文化モネガスク語

モナコの公用語はフランス語ですが、この土地で古くから話されてきたのは「モネガスク語」です。1191年にジェノヴァ共和国が岩山を手にしたときに持ち込まれた、イタリア北西部のリグーリア語の一種。1911年ごろに公教育がフランス語だけになり、1920年代には消滅寸前まで追い込まれましたが、いまは学校の授業で教えられ、旧市街の街路標識にはフランス語と並んで併記されています。

写真: Wikimedia Commons(フリーライセンス)

この日の公式ハイライト

【フィニッシュシーン】ブエルタ・ア・エスパーニャ 第1ステージ(J SPORTS公式)
ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 第1ステージ ハイライト(Velon公式)

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この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。