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別府史之——シャンゼリゼで逃げ、宇都宮で2年続けて勝った

2009年のツール・ド・フランスで、日本人として初めて完走した2人のうちの一人が、別府史之です。最終日にはパリのシャンゼリゼで集団から飛び出して逃げ、敢闘賞を受けました。高校を出てフランスへ渡り、2005年から2021年までプロとして走った歩みを、いくつかの場面から見ていきます。

2026-10-21 公開

9歳で鈴鹿を走り、高校を出てマルセイユへ渡った

別府史之は1983年、神奈川県茅ヶ崎市に生まれました。最初のレースは9歳のとき、鈴鹿で走ったレースです。自転車レースを趣味にしていた父と、2人の兄に連れられて出ました。本人はのちに、そのレースをこう振り返っています。「当時小学3年生で、サイズのあう自転車が無かったんですよ」。結果は惨敗でした。

高校を卒業すると、フランスへ渡ります。当時は日本人のプロ選手がいなかったので、どうすればヨーロッパでプロになれるのかが分からなかったと、本人は2021年に書いています。「……見えない梯子を1つ1つ手探りで上に登っている状況でした」

走ったのは、南フランスのマルセイユのアマチュアチームです。過去のレースの結果を調べ上げ、上位の選手がプロになっている大会を、兄たちと一緒に選んで出ました。

出典(5件)

Number(2021年11月23日):「別府がレースを始めたのは9歳の頃。自転車レースを趣味としていた父と2人の兄に連れられて参加したのが始まりだ。」 ↗cyclowired(2009年9月3日、今中大介との対談):「僕のロードレースが始まったのはここ鈴鹿からで。」「当時小学3年生で、サイズのあう自転車が無かったんですよ。」「結果は惨敗」 ↗別府史之 公式サイト(2021年11月6日):「高校卒業と同時に日本からフランスへ飛び出してから」「当時は日本人プロ選手がいなかったため どうやってヨーロッパのプロ選手になるのわからず、見えない梯子を1つ1つ手探りで上に登っている状況でした。」「フランスのマルセイユのアマチュアチームで走ったり」 ↗Number(2019年10月27日):「過去のリザルトを調べ上げ、上位の選手たちがプロになっている大会を兄たちとピックアップ。」 ↗別府史之 公式プロフィール:「1983 年 4 月 10 日生まれ 神奈川県茅ヶ崎市出身」 ↗

顔を30針縫い、荷造りして帰った茅ヶ崎で電話が鳴った

フランスでの2年目、別府は23歳未満の選手が走るパリ〜ルーベで13位に入ります。プロへの登竜門といわれるレースです。これで来年はプロになれる、と思った矢先でした。翌朝、仲間と走っていて側溝にはまり、顔を30針縫う大けがをします。本人はのちにこう話しています。「僕はあのケガがあったから、プロになりたいと強く思ったんです」。顔に包帯を巻いたまま日本へ飛び、抜糸もしないまま出た23歳未満の全日本選手権を、2位に4分30秒の差を付けて勝ちました。

3年目にはイタリアのレースでステージ優勝もしますが、プロのチームからいい返事は来ません。理由を尋ねると、あるチームはこう答えたといいます。「日本人のことがよく分からない。前例がないから」。別府は「もう辞めて帰ろうと思い、荷造りしました」と振り返ります。

茅ヶ崎に戻って2週間ほど経った頃、近所のデパートで買い物をしていると、携帯電話が鳴ります。電話の向こうは知らない外国人でした。ディスカバリーチャンネルという強豪チームの監督を名乗り、「フランス語で話すか、英語で話すか」と聞いてきます。「フランスの友人が、へこんでいる僕を元気付けるために冗談でかけてきたのかと思いました」。電話は本物でした。「まさに地獄から天国でした」。2005年、別府はそのチームでプロになります。

出典(3件)

Number(2019年10月27日):「2年目にはプロの登竜門と言われる『パリ~ルーベ・エスポワール』で13位に。「これで来年はプロになれる」と思った矢先だった。」「翌朝のモーニングライドで友人たちと夢中になっていたときだ。側溝にはまり、顔面を30針縫う大ケガを負ってしまう。」「僕はあのケガがあったから、プロになりたいと強く思ったんです。」「顔面に包帯をぐるぐると巻いて日本行きの飛行機に何とか乗り込み、抜糸もしない状態で23歳未満の全日本選手権に出場。2位に4分30秒差をつける圧倒的な勝利を収めた。」「U23カテゴリー3年目のシーズンは……イタリアの有名なレースでステージ優勝を飾り」「あるチームに『なんで、なんですか?』と聞くと、『日本人のことがよく分からない。前例がないから』と言われました」「もう辞めて帰ろうと思い、荷造りしました。」 ↗Number(2019年10月27日):「地元の神奈川県茅ヶ崎市に戻り、2週間が過ぎた頃だ。近所のデパートで買い物をしていると、携帯電話が鳴った。受信ボタンを押すと、知らない外国人の声が聞こえてきた。」「強豪USポスタルサービスを前身とするディスカバリーチャンネルの監督を名乗り、「フランス語で話すか、英語で話すか」といきなり問いかけてきたのだ。」「フランスの友人が、へこんでいる僕を元気付けるために冗談でかけてきたのかと思いました。話を聞けばどうやら本物で」「まさに地獄から天国でした。」 ↗Number(2007年5月31日):「ディスカバリーチャンネルにスカウトされ'05年プロになった。」 ↗

2009年、新城と2人でパリまで走りきった

2009年、別府はスキル・シマノというチームでツール・ド・フランスに出ます。同じ年、日本の新城幸也も別のチームで出場していました。

それまでにツールを走った日本人は、2人しかいませんでした。1926年と1927年に出た川室競(かわむろ・きそう)は、2回とも第1ステージで途中棄権しました。最初の出場から70年後の1996年に出た今中大介は、第14ステージで制限時間に間に合わず、レースを去っています。3回の挑戦で、パリまで走りきった日本人は1人もいませんでした。

2009年の最終日は、パリのシャンゼリゼ通りを通る1周6.5kmのコースを8周します。当時のこのゴールは、ゴール前の短い全力勝負を得意とするスプリンターたちの舞台でした。この年のシャンゼリゼで勝ったマーク・カヴェンディッシュも、「ツール・ド・フランス最終日のシャンゼリゼ優勝は、全てのスプリンターにとっての夢なんだ」と話しています。別府は、この日を前にこう話していました。「シャンゼリゼを狙うのはスプリンターでないから無理。でも魅せる走りをしたい」。

この日は、周回に入るまで勝負をしない習わしで、それまでの道のりはパレードのように走ります。そのパレード走行の間、別府はいつになったらレースを始めてもいいのかと、周りの選手に訊いて回っていたといいます。周回に入ってすぐ、飛び出した選手に別府が続き、集団の前に逃げができました。「後ろを振り向いたら、決まっちゃった!やっちゃった!という感じ」

逃げの中で、別府は積極的に先頭を引きました。先頭は風をまともに受けるので、最も脚を使う位置です。ゴールまで1周半のところでアタックをかけ、逃げを3人に絞ります。一緒に残ったフィンランドの選手もマルセイユにいたことがあり、別府とは仲の良い間柄でした。走りながら「フミ、速すぎる!少しスピードを落とせ!」と言われたそうです。逃げは最終周回、ゴールの5kmほど手前で集団に吸収されました。

その日最も積極的に走った選手に贈られる敢闘賞は、別府に決まりました。日本人の選手がツールで賞を受けたのは、これが初めてです。それも、スプリンターたちが主役だった最終日のシャンゼリゼでのことでした。当時は最終日にもステージごとの敢闘賞があり、3週間を通して選ばれるスーパー敢闘賞とは別の賞でした。ゴールのあと、取材していた記者に「敢闘賞だよ!」と声をかけられた別府は、こう叫びました。「やっちゃったよ! これはツールなんだ、ここはシャンゼリゼなんだ! 最高っ!」

別府と新城は揃ってパリまで走りきりました。3回の挑戦で届かなかったパリに、日本人が初めてたどり着いたのです。2人で話し合って、新城はこう言い表したそうです。「月に一歩降りたような、小さな一歩なんだけど、本当は大きな一歩、そんな感じです」。別府も、のちにこう話しています。「人って面白いもので、できないと思ってるとできない。できると思ってればできる。そういう可能性を今回、新城選手と僕で広げることができたかなと思います」

出典(5件)

cyclowired(2009年7月27日):「シャンゼリゼ通り〜コンコルド広場〜テュイルリー庭園を通る6.5kmの特設コースを8周(52km)」「この周回コース突入前のアタックは御法度」「続いて意を決した別府史之が飛び出した。」「別府史之は1つ目のスプリントポイントを2番手で通過し、積極的に先頭グループを引いて逃げた。」「ゴールまで1周半を残して先頭グループから別府史之ら3名が飛び出し」「力を出し尽くした別府史之は、ゴール5km手前で集団に飲み込まれた。」「粘り強く逃げた別府史之は第21ステージ敢闘賞に輝いた。」「山岳ステージでポイントを狙ってアタックを繰り返したペッリツォッティは総合敢闘賞に輝いている。」 ↗J SPORTS(2009年ツール最終日):「マーク・カベンディッシュ(チーム コロンビア・ハイ ロード)がひとり飛び出すと、シャンゼリゼでの栄光を手に入れた。」「ツール・ド・フランス最終日のシャンゼリゼ優勝は、全てのスプリンターにとっての夢なんだ。」(カヴェンディッシュの談、J SPORTS 訳)「後ろを振り向いたら、決まっちゃった!やっちゃった!という感じ」「最終周回、ゴールまでわずか残り5.5kmのところで8人の、別府の逃げは終わった。」「日本人選手として初めての「賞」を手に入れた別府は、静かに後方でゴールラインを越えた。」 ↗cyclowired(2009年ツール最終日の現地レポート):「フミのコメント「シャンゼリゼを狙うのはスプリンターでないから無理。でも魅せる走りをしたい」は本当だった。」「フミはパレード中から、いったいいつになればレースを始めてもいいものか、周囲の選手に訊いて回っていたという。」「息遣い荒いままのフミに「敢闘賞だよ!」と声をかけると、そこで感情を爆発させた。「やっちゃったよ! これはツールなんだ、ここはシャンゼリゼなんだ! 最高っ!」」「フミとユキヤは自分たちの成し遂げたことについて話し合い、こう表現したそうだ。「月に一歩降りたような、小さな一歩なんだけど、本当は大きな一歩、そんな感じです」(ユキヤ)。」 ↗cyclowired(2009年9月3日、今中大介との対談):「最後は結局、残り3人になったんですが、3人にしたのも僕なんですよ。アタックをかけたら、他の2人が付いてきて…。」「フランセーズデジューのユッシ・ヴェッカネン(フィンランド)っていう序盤に山岳賞獲った選手が一緒に逃げたんですけど、彼はマルセイユにいたこともあってすごい仲がいいんです。んで、レース中に「フミ、速すぎる!少しスピードを落とせ!」って(笑)」「人って面白いもので、できないと思ってるとできない。できると思ってればできる。そういう可能性を今回、新城選手と僕で広げることができたかなと思います。」 ↗J SPORTS(2025年6月24日、ツールを走った日本人ライダーたち):「ツール・ド・フランスを走った日本人選手は、歴史上4人います。」「日本人として初めてツールの舞台にあったのは、川室競(かわむろ・きそう)氏。」「当時フランスに住んでいた氏は、1926年大会に初出場。翌年にも出場しており、2回とも第1ステージでリタイアとの記録が残されています。」「それから70年のときを経て、ツールの扉を開いたのは今中大介さん。」「1996年に初出場を果たすと、第14ステージでタイムアウトに終わった」「2009年、日本人選手のツール初完走を2人の選手が成し遂げます。」 ↗

2016年、最後のレースのカンチェラーラに引かれて連覇した

ジャパンカップ・クリテリウムは、栃木県宇都宮市の大通りを周回する短いレースです。ジャパンカップのロードレースの前の日に開かれます。

2015年、別府はトレック ファクトリーレーシングの一員として走りました。それまでで最多の4万3千人が、宇都宮の街に集まった日です。最終盤、チームメイトのファビアン・カンチェラーラが集団の先頭を引き、最後はゴール前のスプリントで別府が勝ちます。日本人の選手がこのレースを勝ったのは、初めてでした。別府はこう話しています。「普段はアシストとしてチームメイトを勝たせることに力を使っているけど、今回は『チーム一丸となってフミを勝たせたい』という戦略だった。そのことが追い風になりました」

2016年、チームの名前はトレック・セガフレードに変わっていました。このクリテリウムは、カンチェラーラにとって選手として最後のレースです。その彼が自ら集団を引き、逃げを封じ込めます。最後は残り250mから別府が加速して勝ち、大会で初めて2年続けて勝った選手になりました。別府はこう話しています。「普段は縁の下の力持ちとしてエースをアシストする立場の自分を、ホームレースで勝つために全力でサポートしてくれた。その働きに応えないわけにはいかなかった」

出典(2件)

ジャパンカップ公式(2015年クリテリウムのレポート):「過去最高の43,000人が宇都宮市街に集まった」「ファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレックファクトリーレーシング)が献身的な走りで集団先頭に立ち、その後ろにモレマやローラン・ディディエ(ルクセンブルク)、ヤロスラフ・ポポヴィッチ(ウクライナ)、そして別府が続く。」「日本人選手がジャパンカップクリテリウムで初優勝を飾った。」「集団でのゴールスプリントを制した別府史之」「普段はアシストとしてチームメイトを勝たせることに力を使っているけど、今回は『チーム一丸となってフミを勝たせたい』という戦略だった。そのことが追い風になりました」 ↗ジャパンカップ公式(2016年クリテリウムのレポート):「この土曜日のクリテリウムをもって現役を引退するファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)への花束贈呈が行われた」「逃げという逃げはカンチェラーラの集団牽引によって封じ込められ」「『ここだ!』という残り250mで、自分のリズムで加速した」「ジャパンカップ本戦を翌日に控えた10月21日」「史上初のクリテリウム連覇を果たした別府」、別府「普段は縁の下の力持ちとしてエースをアシストする立場の自分を、ホームレースで勝つために全力でサポートしてくれた。その働きに応えないわけにはいかなかった」 ↗

アシストとして現役を終え、宇都宮で花束を受けた

2021年、EFエデュケーション・ニッポでシーズンを始めたばかりの別府は、春先のレースでの自分の役目を説明しています。チームメイトを引き連れて集団の前の位置を取り、勝負どころの山の麓で送り出すところまでが、自分の仕事だそうです。そのうえで、こう話しています。「テレビに映りにくい地味な仕事だけど、自分はその仕事に長けている」。シーズン最初のレースでチームメイトが3位に入り、別府はこう続けました。「レース後に、エースの一人アルベルト・ベッティオルに『サイレントジョブ』と言われました。うまいこと言うもんだなと」

その年の11月、別府はシーズン限りでプロ選手としてのキャリアを終えると発表します。本人のサイトにはこうも書いています。「すでに次の夢に向かって走り出しているので、『引退』という、人生の終わりのような言葉は使いたくありません」。自転車で走った距離は、およそ38万km。地球から月までの距離です。「38万キロって、月まで行ったことになるんですよ。月ですよ。月まで行ったんなら、じゃあ、もういいかって(笑)」

心残りは、最後にファンの前で走れなかったことでした。ジャパンカップで終えたかったけれど、コロナ禍でかなわなかったといいます。2022年10月、宇都宮のジャパンカップ・クリテリウムのスタート前に、別府の引退セレモニーが開かれました。6シーズン在籍したトレックのチームのスタッフから思いがけず花束を贈られると、別府は涙をこぼしました。この日、別府はキャリアをこう振り返っています。「素晴らしい自転車人生でした」

出典(4件)

J SPORTS(2021年3月17日):「チームメイトを引き連れて集団内のポジション取りをする。勝負どころの山の麓でチームメイトを送り出して、自分の仕事は終了です。テレビに映りにくい地味な仕事だけど、自分はその仕事に長けている。」「チームメイトのヒュー・カーシーがアルデッシュで3位。レース後に、エースの一人アルベルト・ベッティオルに『サイレントジョブ』と言われました。うまいこと言うもんだなと。」 ↗別府史之 公式サイト(2021年11月6日):「私は、今シーズンをもって、プロ選手としてのキャリアを終えます。」「すでに次の夢に向かって走り出しているので、「引退」という、人生の終わりのような言葉は使いたくありません。」「ただ心残りは、最後に皆さんの前で走れなかったことです。」 ↗Number(2021年11月23日):「自転車競技を始めてから、これまでに走った距離はざっと38万キロ。」「38万キロって、月まで行ったことになるんですよ。月ですよ。月まで行ったんなら、じゃあ、もういいかって(笑)」 ↗中日スポーツ(2022年10月15日):「ジャパンカップクリテリウムのスタート前に、長く日本のロードレース界をリードした2021年シーズンを最後に引退した別府史之(39)の引退セレモニーが行われた。」「本当はジャパンカップで引退したかったが、コロナ禍でかなわなかった。(キャリアを振り返り)素晴らしい自転車人生でした」「6シーズン在籍したトレック・セガフレードのスタッフからサプライズで花束が贈られると、思わず涙をこぼしていた。」 ↗

この記事の選手

別府史之の写真

Fumiyuki Beppu

別府史之

2021年引退

日本人で初めてツールを完走した一人です。2005年から17シーズン、ヨーロッパのプロの世界を走り抜きました。

管理人のひとこと

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2009年のツール最終日、シャンゼリゼには「フミユキベップが逃げています」という場内アナウンスが何度も響いたそうです。

紹介するのは、その2009年のツールのDVD2本です。1本は、別府選手と新城幸也選手の2人が出演する『SAMURAI達の夏2009』。もう1本はその年のツールをまとめたもので、こちらにも2人が出演しています。

  • SAMURAI達の夏2009 ~もうひとつのツール・ド・フランス~

    別府史之・新城幸也 出演/DVD(2010年)

    PRAmazonで見る ↗

  • ツール・ド・フランス2009 スペシャルBOX

    ジェイ・スポーツ/DVD 2枚組(2009年)

    PRAmazonで見る ↗

この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

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