ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 Stage 142026年9月6日文: Grand Tour Hub 管理人

4年前は99位だった男が同じ山へ戻り、44人の逃げの中から1秒差で勝った

ハエン → シエラ・デ・ラ・パンデラ 154.5km(山岳/獲得標高4,170m・J SPORTS調べ。オリーブ畑のハエンを出た直後から道は上り基調で、平地はどこにもありません。格付けのついた山は3つ、すべて後半にあります。2級プエルト・デ・ロス・ビリャレス(10.5km・平均5.4%)、2級プエルト・デ・ロクビン(8.7km・平均5.1%)、そして山頂ゴールの1級シエラ・デ・ラ・パンデラ(11.9km・平均7.2%)。2つ目と3つ目のあいだには、バルデペニャス・デ・ハエンの「壁」——全長900mで平均9.6%、最大17.9%の激坂が挟まります)

ハエンの気温は37.9℃。この日のコースには、平らな道が1kmもありません。 朝の逃げには44人が乗りました。勝ったのはそのうちのひとり、4年前に同じ山を99位で終えた選手です。 そのチームにとっては、初めてのグランツールのステージ勝利でした。

2S21
ハエンを出てから80kmは、格付けのつかない上り下りが続きます。山らしい山が始まるのは、コースがハエンの街へ一度戻ってから。2級プエルト・デ・ロス・ビリャレス(10.5km・平均5.4%)と2級プエルト・デ・ロクビン(8.7km・平均5.1%)を越え、いったん下ったバルデペニャス・デ・ハエンから、1級シエラ・デ・ラ・パンデラのゴール地点、標高1,797mへ登り切って終わります 2級山岳 プエルト・デ・ロス・ビリャレス残り61.7km地点 中間スプリント カスティーリョ・デ・ロクビン残り30.9km地点 2級山岳 プエルト・デ・ロクビン残り21.3km地点 1級山岳 シエラ・デ・ラ・パンデラゴール地点

📊 今日のデータ

シーズン集計を見る →
スタート曇り 37.9℃・風3.7m/s
ゴール曇り 34.5℃・風4.4m/s
逃げ44人 → 逃げ切り 🎉
決着少人数の勝負(マルコ・ブレナー)
総合エンリク・マスが首位堅持(+126秒)
完走150 / 154人
敢闘賞ケヴィン・ヴェルマーク(#17・UAE Team Emirates XRG)

44人が前へ行き、そのうち3人はエースを失ったチームの選手だった

ハエンはオリーブオイルの一大産地で、街を出た道はすぐに上を向きます。ただし前半80kmの上りには、ひとつも格付けがついていません。それでも合計で1,000m以上を登る、休みどころのない道です。

逃げはなかなか決まりませんでした。24人が出ては戻り、30人が出ては戻り、集団が二つに割れたりもして、44人が集団に3分の差をつけて落ち着いたのは、スタートから40kmを過ぎたころです。

その44人の顔ぶれが、この日を決めました。山岳賞の水玉ジャージを着るサンティアゴ・ブイトラ。総合首位の赤いジャージを着るエンリク・マのチーム、モビスターからラウル・ガルシパブロ・カストリーリの2人。スイスのチューダーは、マルコ・ブレナを含む4人。そしてUAEチーム・エミレーツ・XRG。8人で始めてこの日まで残っていたのは4人で、そのうち3人——ケヴィン・ヴェルマージョアン・アルメイイヴォ・オリヴェイが前にいました。

世界王者のタデイ・ポガチャが第8ステージで去ってから、このチームは毎日のように前へ人を出しています。ヴェルマークにとっては3日続けての逃げでした。

集団はモビスターが牽き、逃げとの差は4分前後で推移します。

この日、レースを去った選手は5人います。いちばん早かったのはユーゴ・ウで、スタートから20kmで自転車を降りました。チームのアルペシン・プレミアテックは「積み重なった疲労と、また非常に暑い一日」と説明しています。5人とも、落車が理由ではありません。

出典:Cyclingnews ライブ(逃げ争いの経過、44人のメンバー表、モビスターの牽引と8分の差、ウルの離脱)ラ・ブエルタ公式レポート: Brenner, a brand new winner at La Pandera(逃げが44人だったこと)Cyclingnews: この日の離脱5人と各チームの説明(ウルは20km地点、「積み重なった疲労と、また非常に暑い一日」)J SPORTS: ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 第14ステージ/コース(獲得標高4,170m、前半は無印のアップダウン、壁の諸元)

肋骨にひびの入った男が、残り52kmでひとりになった

その44人から、ヴェルマーがひとりで出ていきました。ゴールまで52km。

本人の説明は淡々としています。この先に曲がりくねった難しい下りがある、とチームの無線が伝えてきたそうです。下りは得意なので、彼は前に出ました。ただし攻めたわけではありません。

「リスクは何も取りませんでした。落車して、チームがまた1人失うようなことにはしたくなかったので」

「自分のペースで下ったら、下りきったところで少し差ができていたんです。そのまま行ってしまったのは、ちょっとした衝動でした」

ここで脚を止めれば、44人の中に戻って風よけに入れます。前に出続けるというのは、風を全部ひとりで受けるということです。それでも彼は戻りませんでした。

差は開き続けました。集団から見れば、先頭にいるのはもう逃げ本体ではなく彼です。その集団との差は、8分近くまで開きました。ただし本人はそれを知りません。「一度だけ1分45秒と聞きました。この日に聞いた差は、それだけです」

残り31km、カスティーリョ・デ・ロクビンの中間スプリンを先頭で通過。同じ名を持つ峠、2級プエルト・デ・ロクビンを越えるころ、追ってくる逃げの集団との差は55秒まで縮んでいました。それでも、先頭は彼のままです。

彼が捕まったのは、バルデペニャス・デ・ハエンの「壁」でした。全長900mで平均9.6%、最大17.9%。追ってきたゲオルグ・シュタインハウザに横へ並ばれ、そのまま抜かれます。そのシュタインハウザーも、最後の坂で後ろへ下がっていきます。「シュタインハウザーが来たときは、驚きました。後ろで何が起きているのか、そもそも知らなかったので」

残り14kmあたりまで、40km近くをひとりで走りました。パンデラの山頂には19位で着いています。この日の敢闘は彼に贈られました。

「正直に言うと、あれはまったく計画ではありませんでした」

彼は肋骨にひびが入ったま、ここまでの2週間を走っています。それが世界に知れたのは、かがんでボトルを取るのが痛いと監督に話す声を、並走するテレビカメラが拾ったからでした。

🔰 初心者向けメモ: 自分が何秒先行しているかを、選手は自分では測れない

ひとりで逃げている選手は、後ろとの差を自分で知る方法を持っていません。振り返っても、見えるのは道のカーブだけです。

数字を運んでくるのは、耳に入れたイヤホンです。チームカーに乗る監督が、無線で「1分45秒」と伝える。その監督もまた、主催者の車が読み上げる計測を聞いています。つまり差は、何人かの手を経て選手に届きます。

この日のヴェルマークが聞いたのは、その1分45秒ひとつだけでした。逃げが44人もいて、そこから何人も飛び出しては戻る日は、数える対象が多すぎて数字が追いつきません。勝てるかもしれない差なのかどうかも分からないまま、彼は40km近くを先頭で走ったことになります。

出典:Cyclingnews: ヴェルマークのインタビュー(英語。「To be honest, that was not the plan at all」、下りに出た理由、1分45秒を一度聞いただけだったこと、壁でシュタインハウザーに捕まったこと、121kmの逃げと19位)ラ・ブエルタ公式 ステージ14ランキング(敢闘賞: K. VERMAERKE)Cyclingnews ライブ(残り52kmでの単独アタック、中間スプリント20点、2級ロクビンを55秒差で先頭通過、壁でシュタインハウザーに抜かれるまで)

最後の3.5kmで残ったのは2人、ゴール前で4人になった

1級シエラ・デ・ラ・パンデは11.9km、平均7.2%。低木が消え、道は岩ばかりになります。

この登りは、そのままアタックの応酬になりました。残り3.5km、勾配が15%に達するあたりで前に残ったのが、水玉ジャージのブイトラブレナの2人です。ブイトラゴが先に離しますが、残り2.5kmでブレナーが後輪まで追いつきます。

残り1.5kmで、後ろからイバン・ソークリスティアン・ロドリゲが追いつき、先頭は4人になります。

残り1kmの標識をくぐったところで、ブイトラゴがもう一度出ます。このときブレナーは、ハンドルから手を離して何かを直している最中でした。それでも追いつきました。

最後の1kmは坂が緩み、曲がりくねったコーナーが続きます。そこへ先頭で入ったのはブレナーです。残り300mからのスプリント。ラインの手前で、ブレナーはジャージのファスナーを首まで上げていました。スポンサーに名前を見せるための、勝った選手だけができる仕草です。1秒差で、彼が勝ちました。

チューダー・プロサイクリングにとって、初めてのグランツールのステージ勝利でした。

ブレナー自身は、4年前にこの山を99位で終えています。2022年、リチャル・カラパが勝った日です。ブレナーがラインを越えたのは20分近くあとでした。

その3年後、2025年のジロ・デ・イタリア第19ステージでは、下りでガードレールを越えて窪地へ落ちています。救急車の中で泣きながら、チーム代表に「もう二度と自転車には乗らない」と言った——怪我よりも、その出来事のほうがこたえたのだと本人は語っています。

「今日は自分の自転車人生でいちばんの日だと思います。でも、まだ本当のことだと思えていません」

ドイツの記者から、期待に届いていないと見られてきたのでは、と聞かれて吹き出しました。

「この質問、大好きです。全部がかみ合えば、それなりの結果は出せるといつも思っていました。ワールドツアーで勝ちますなんて言う人間にはなりません。ただ、全部がかみ合ったときには大きなレースも勝てると、いまはみんなも知ったわけです」

出典:Cyclingnews: ブレナーの会見(英語。「I love this question」、2022年の99位、第1週の風邪と落車、フラムルージュ手前でハンドルから手を離していたこと、ゴール前にジャージを直したこと)ラ・ブエルタ公式コメント集(ブレナーの発言。英語。「I think it's the best day of my cycling life, but I cannot really believe it yet」)Cyclingnews ライブ(残り3.5kmでブイトラゴが離し、残り2.5kmでブレナーが戻り、残り1km手前の仕掛けとコーナーでの先行)radsport-news: ブレナーの2025年ジロの落車と「もう二度と自転車には乗らない」(ドイツ語)

「今日のタイム差は、ラウルのおかげです」——ログリッチが25秒を失った

モビスターが逃げに2人を入れのは、偶然ではありません。「今朝バスで、いくつかの案を話しました。そのうちのひとつが当たった、というだけです」とは言います。

総合を争う選手たちが最後の坂に入ったのは、先頭から6分以上あとでした。まず逃げから下がったカストリーリが集団を牽きます。山頂まで5kmを切ったところでマスが一度仕掛け、そのカウンターで、4年前にこの山で勝ったカラパが出ます。マスと、総合3位のフェリックス・ガと、プリモシュ・ログリッがそれを追います。

そして残り2km。今度は、同じく逃げから下がってきたラウル・ガルシが前に出て全力で踏みます。

この加速についていけたのは、マスと、ここまで一緒に追ってきたフェリックス・ガルだけでした。ログリッチとカラパスは、そこで後ろへ落ちます。

マスは言います。「ラウルがあまりに強く踏むので、危うく僕まで千切られるところでした。あれがこのタイム差を作った瞬間です」

この2人は、ブレナーから4分12秒遅れて並んでゴールしました。ログリッチはそこから25秒後ろ、カラパスはさらに6秒後ろです。

つまりこの日、マスとガルはログリッチに25秒をつけました。それまで総合2位だったのはログリッチで、ガルはその後ろにいます。この25秒で順位が入れ替わり、ガルが4秒だけ上回りました。首位のマスと2位のガルの差は、2人が同着だったので2分06秒のままです。

マスには、この山の記憶があります。

「この坂の思い出はよくないんです。2022年、プリモシュにここで30秒近く取られました。だから2022年との違いは大きいですし、幸いなことに今回は、それが自分に有利なほうへ出ました」

ガルは、暑さを警戒して待つ走りを選びました。「この数日の暑さもあって、リスクは取りたくなかった。だから待って、自分の感触を見て、最後まで待ちました」。ただしガルのデカトロン・CMA CGMは、前日にミュールベルガを、この日にラブロッを失っています。8人で始まったチームは6人になりました。ガル本人を除けば、残る7ステージを支えるのは5人です。

出典:Cyclingnews: マスのインタビュー(英語。「Raúl went so hard that he almost dropped me」「I have bad memories of this climb, Primož got nearly half a minute on me back in 2022 here」、逃げに2人を入れたのは朝の複数案のひとつだったこと)Cyclingnews: ガルのインタビュー(英語。「I didn't want to take too much risk with the heat」、総合2位浮上とログリッチとの4秒差)Cyclingnews ライブ(残り2.5kmのカラパスの仕掛け、残り2kmのガルシアの牽引でログリッチとカラパスが脱落、4分12秒と4分37秒、総合2分06秒・2分10秒)

その朝、レースの外からもうひとつの知らせが届いていた

選手たちがハエンに集まっていたころ、UAEチーム・エミレーツ・XRGが発表を出していました。ポガチャは、今シーズンもうレースに戻りません。

第8ステージの落車で負ったのは、脳震と、左鎖骨の骨折と、首の骨のいちばん下にあたるC7頸椎の骨折でした。鎖骨は手術を終えています。それでもチームの医療責任者は、復帰の日付を置かないことを選びました。

「タデイは手術後の経過が良く、ここまでの回復には満足しています。ただ、脳震盪と、安定型のC7頸椎骨折と、開放骨折した鎖骨——この組み合わせを踏まえて、本人と一緒に、今季はもうレースに戻らないと決めました」

「レースの日程に間に合わせるためにリハビリを急いでも、得るものはありません。重圧を取り除けば、タデイは回復だけに集中できます」

これで、9月27日にカナダで行われる世界選手権も、10月の欧州選手権とイル・ロンバルディアも、彼のいない大会になります。世界選手権は、世界王者のジャージを3年続けて着ることを狙っていた場所でした。

「もちろん、こんな形でシーズンを終えたかったわけではありません。いま何より大事なのは、しっかり回復することと、体に必要なだけの時間を与えることです」

同じ発表には、もうひとつ書かれていました。彼とチームの契約が、2032年まで延びています。これまでは2030年まででした。

そしてこの日、パンデラの逃げにいた44人のうち3人は、そのチームの選手です。敢闘賞に選ばれたのも、そのうちのひとりでした。

出典:Cyclingnews: UAEの発表と各コメント(英語。医療責任者アドリアン・ロトゥンノの説明、本人の「this isn't the way I wanted my season to finish」、2032年までの契約延長、世界選手権・欧州選手権・ロンバルディアの欠場)

今日の寄り道

自転車をちょっと離れて、ステージが駆け抜けた土地の話。

伝統オリーブ畑の色をした県旗

ハエン県の旗は、地が緑で、中央に県の紋章が入ります。その緑は印刷の色見本で「パントン緑377」と決まっていて、県の資料は色の由来をこう説明しています——県の自然、なかでもオリーブ畑。実際この県はオリーブの単一栽培に経済を預けていて、丘という丘が畑で埋まっています。選手たちが最初の80kmで越えていった無印の上り下りは、その畑のあいだの道でした。

食文化オチーオ

ハエン県のパン屋には、オチーオ(ochío)という小さな丸いパンがあります。生地にエクストラバージンオリーブオイルを練り込んで焼いたもので、県の東部ではパプリカで色と香りをつけ、モルシージャ(血の腸詰め)を挟んで食べます。オリーブオイルの産地では、油は調味料である前に材料でした。

写真: Wikimedia Commons(フリーライセンス)

この日の公式ハイライト

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この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。