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新城幸也——石垣島から渡り、グランツールを16回すべて完走した
2009年のツール・ド・フランスで、日本人として初めて完走した2人のうちの一人が新城幸也です。沖縄県の石垣島に生まれ、高校を出て一人でフランスへ渡りました。2023年までにグランツールを16回走り、16回とも完走しています。2026年にプロとして21シーズン目を迎えた歩みを、いくつかの場面から見ていきます。
2026-10-26 公開
上り坂で福島兄弟に付いて行き、高校を出てフランスへ
新城幸也は沖縄県の石垣島で生まれました。父の影響で幼い頃から自転車に親しんでいましたが、中学と高校で打ち込んだのはハンドボールです。自転車競技を本格的に始めたのは、八重山高校の3年のときでした。
きっかけは、父と親交のあった福島晋一・康司の兄弟です。当時フランスで走っていた日本の選手で、合宿で石垣島を訪れていました。父に誘われて練習に加わると、上り坂で2人に付いて行けたのは新城だけでした。兄弟に「一緒にフランスでロードレースやらないか」と誘われます。日本のレースは強くなるには水準が足りず、遅く始めた選手ならなおさらだから、走るならすぐにフランスへ来たほうがいいと晋一に言われたそうです。高校を卒業した2003年4月、新城は一人でフランスへ渡り、晋一から自転車と装備を借りて走り始めました。
初めはプロになるとは思っていませんでした。「(大学受験)勉強が嫌で、ロードレースのほうが面白そう」。フランスに来るまで、ツール・ド・フランスをテレビで見たこともなかったと笑っていました。最初の頃のレースは、生き残るだけで精いっぱいでした。「最初は、ただゴールまでたどり着きたかった。エシュロンも位置取りの争いも、全部が新しい発見でした。でも、だんだん上達していきました」。兄弟と暮らしながら教わり、毎週のようにレースに出るうちに、気持ちが変わっていきます。「徐々に成績が上がってくると、プロとして生活するのも楽しいかもと思えた」。夏に一時帰国したとき、新城は父にこう頼み込みました。「厳しい競技だけどやりがいがある。4年でプロになれなかったら考えるから続けさせてほしい」
2005年、新城はフランス南西部のトゥールーズ近郊のアマチュアクラブで走ります。その年の途中からクラブに加わったフランス人のチームメイトは、何度も新城と同じ部屋になりました。2017年、彼は当時をこう振り返っています。「ユキヤは賭けだった。誰も本気では期待していなかった」。新城はフランス語を話せず、英語も片言で、2人は身振りで話したそうです。食事も周りとまるで違い、海藻をインターネットで取り寄せ、干した魚を食べていました。力はあっても自転車の常識を知らず、走り方は自己流だったといいます。それでも監督の指示には素直に従い、いつも笑顔でした。
2006年、新城は浅田顕が立ち上げた日本のチームと契約し、福島兄弟と一緒にフランスのレースを走り続けます。この年のツール・ド・リムザンでは、優勝まで5秒の総合3位に入りました。2008年には同じレースでステージ優勝を挙げ、フランスの強豪ブイグテレコムとの契約をつかみます。父はのちに、2006年の契約を振り返り、照れくさそうに息子をこう語っています。「渡仏して3年でチーム契約までこぎ着けた。負けず嫌いで同じ失敗を二度としない努力家だ」
出典(6件)
Cyclingnews(2013年10月26日):"Until I turned 18, I only did handball, I never raced a bike at all" "he told me that if I wanted to race, I was better off coming to France right away to do it, because in Japan, the standard of races wasn't good enough to develop, especially for a late starter." "arrived in Nogent-sur-Oise having borrowed a bike and kit from Fukushima" "I never even saw the Tour de France on television until I arrived in France, and I didn't know how it worked" "Initially, I just wanted to make it to the finish of races. Things like echelons and fighting for position were all new discoveries, but I kept improving." ↗DirectVelo(2017年7月1日):« Le témoin ? Thibault Landes, son coéquipier en 2005 sous les couleurs du GSC Blagnac. » « J'ai rejoint le GSC Blagnac en cours de saison » « Nous avons ainsi fait chambre ensemble à plusieurs reprises. » « Yukiya, c'était un coup de poker. Personne ne croyait vraiment en lui. » « Il achetait des algues par internet, il mangeait du poisson séché... » « Il ne parlait pas français à l'époque, il baragouinait en anglais. On parlait par signes ! » « On sentait en revanche qu'il n'avait aucune culture vélo. C'était très anarchique. Mais il n'avait aucun mal à respecter les consignes de notre directeur sportif » « Il avait toujours le sourire » ↗Cyclingnews(2006年3月6日):"Asada … has founded a new" "including Shinichi Fukushima as a captain, his brother Koji, and U23 Japan National Champion Yukiya Arashiro" ↗velowire(2008年12月27日):"won the 2nd stage in a sprint. He already showed … in 2006 in the Tour du Limousin when he missed the final win with only 5 seconds (he finished 3rd behind Duque and Fedrigo)." ↗琉球新報(2020年10月14日):「父・貞美さんの影響で幼い頃から自転車に親しんできた新城だが、中学、高校はハンドボール部だった。本格的に競技を始めたのは八重山高3年の時のある出会いがきっかけだった。」「貞美さんと親交があり、日本を代表するプロ選手の福島晋一、康司兄弟が合宿で石垣島を訪れていた。上り坂の練習で、ただ一人、2人に付いて行けたのが新城だった。」「「初めはプロになるとは思わなかった」という。しかし、2人と生活を共にしながら指導を受けると、徐々に才能が開花していった。」 ↗琉球新報(2020年3月19日):「父の元を訪れていた当時フランスで活躍していたトッププロ、福島晋一、康司兄弟との出会いからだった。」「父に誘われ練習に参加した。」「福島らに「一緒にフランスでロードレースやらないか」と誘われ、2003年4月に単身渡仏を決めた。」「最初は「(大学受験)勉強が嫌で、ロードレースのほうが面白そう」という気持ちだった。だが、プロとの練習を重ね、毎週のように大会に出る度に気持ちに変化が生まれた。「徐々に成績が上がってくると、プロとして生活するのも楽しいかもと思えた」」「夏に一時帰国した新城は、父に「厳しい競技だけどやりがいがある。4年でプロになれなかったら考えるから続けさせてほしい」と頼み込んだ。当時のことを父は「渡仏して3年でチーム契約までこぎ着けた。……」と自慢の息子を照れくさそうに語る。」 ↗
初めてのツールで完走し、2012年は逃げて表彰台へ
2009年、新城はブイグテレコムで走り始めます。6月9日の時点で、新城は6月28日の全日本選手権を日本で走り、その夜にかかってくる電話を待つと話していました。メンバーに入ればフランスへ飛んで戻り、外れれば日本で休暇を過ごすつもりでした。けれども6日後の6月15日の報道では、チームがツールの出走が確実な選手の一人として新城の名前を挙げていました。チームを率いるジャン・ルネ・ベルノドーは、こう話しました。「勇敢さと勤勉さ、そして指示への忠実さを兼ね備えた選手だ。正直に言って、これほどの才能があるとは思っていなかった」
初めてのツール・ド・フランスの第2ステージで新城はゴール前のスプリントに加わり、いきなり5位に入ります。当時、日本人の選手がツールのステージで記録した最高の順位でした。新城は3週間を走りきり、別のチームから同じくツールに初めて出た別府史之と、そろってパリまでたどり着きました。日本人がツールを完走したのは、これが初めてです。ツールと、同じく3週間かけて走るイタリアのジロ・デ・イタリア、スペインのブエルタ・ア・エスパーニャを合わせて、グランツールと呼びます。
2012年、新城は4月に左の手首を折りました。休んだ分、他の選手よりレースの日数が10日少なく、チームはその疲れの少なさを買ってツールに選びます。第4ステージで、新城はスタートからすぐに先頭へ飛び出しました。2人のフランス人選手が加わって3人の逃げになり、一時は9分近い差を付けます。ゴールまで60kmの辺りで差は5分ほどに縮まり、3人は最後に集団へ吸収されました。それでも、その日最も積極的に走った選手に贈られる敢闘賞は新城に決まります。日本人の選手がツールの表彰台に上ったのは、これが初めてでした。
この日、チームを率いるベルノドーはこう話しています。「ユキヤは抜け目がない。あまり知られていないが、強い選手だ」。2010年のジロにも触れました。あるステージのゴール前で、スプリントを自分から仕掛けたのは新城でした。勝ったのは別の選手でしたが、新城は勝利まであと一歩に迫っていました。「ジロで勝てるなら、ツールでも勝てる」
同じ年の8月、新城はツール・ド・リムザンで総合優勝します。4日間の最終日は焼けつくような日差しの下で行われ、総合首位と2位の選手はゴールの数km手前でレースを降りました。新城はゴールまで10kmを残し、フランス人のジェレミー・ロワと2人で飛び出します。この日のスタート前の時点で、新城の総合タイムはロワより25秒少なかったのです。ステージはロワが勝ち、新城は21秒遅れの2位でした。このレースではステージの上位に入ると、ボーナスタイムとして決まった秒数が総合タイムから差し引かれます。ロワは10秒、新城は6秒を差し引かれ、2人の総合タイムはまったく同じになりました。こういうときは、それまでのステージ順位を足した数が少ないほうが上になります。少なかったのは新城でした。ゴールした時点で、新城は自分が総合2位だと思っていたそうです。「……『総合優勝はユキヤアラシロ』ってアナウンスを聞いた時は鳥肌がたちました(笑)」
出典(10件)
VeloNews(2009年6月15日):"Bbox Bouygues Telecom has named Yukiya Arashiro as one of the riders assured to start the 2009 Tour on July 4 in Monaco." "He's a rider with a mix of panache, hard-work ethic and a respect for orders," Bernaudeau said. "Honestly, I didn't think he'd be so talented." ↗Cyclingnews(2009年6月9日):"I'll ride the Japanese championship on June 28 … and I'll wait for a phone call in the evening. If I make the Tour team, I'll fly back to France for the Tour, otherwise I'll stay in Japan on holiday." ↗franceinfo(2012年7月4日):« Cette année, il a eu un accident … et a souffert d'une fracture (au poignet). Il s'est reposé, et arrive avec dix jours de course de moins que les autres » « on l'a sélectionné pour sa fraîcheur » « Yukiya est un malin. Il est fort, même si il n'est pas très connu » « C'est lui qui a lancé le sprint, mais c'est Jérôme Pineau qui a gagné. Quand on peut gagner au Giro, on peut gagner au Tour. » ↗France 3 Nouvelle-Aquitaine(2012年8月17日):« Une course sous un soleil de plomb, très éprouvante » « l'abandon à quelques kilomètres de l'arrivée du maillot jaune Jure Kocjan … et du second Julien Simon » ↗DirectVelo(2012年8月17日):« Yukiya Arashiro remporte la 45e édition du Tour du Limousin. » « 1 ARASHIRO Yukiya EUC les 711.1 km en 16h48'30'' … 2 ROY Jérémy FDJ à 0'' » ↗web Sportiva(2016年7月2日):「新城は初出場の2009年、第2ステージで区間5位(日本選手の歴代最高順位)といきなりの快挙を成し遂げた。2010年も2年連続で完走。2012年の第4ステージでは敢闘賞を獲得し、日本人選手として初めて表彰台に立った。」「2009年に別府史之と新城がダブル出場。ふたりとも日本勢初の完走を果たした。」 ↗J SPORTS 選手名鑑2026:「2009年日本人初のツール完走、初ラインステージでいきなりスプリント5位の衝撃を巻き起こし」「2012年4月は練習中の落車で左手首を」「12年と16年はツール出場を果たした」 ↗琉球新報(2020年3月19日):「09年には夢だった世界最高峰のツール・ド・フランスに初参加。別府史之と共に邦人初の完走を成し遂げ」「12、16年の同大会は区間敢闘賞を受賞し、邦人で初めてグランツールの表彰台に上った。」 ↗AFPBB News(2012年7月5日):「チーム・ユーロップカー(Team Europcar)の新城幸也(Yukiya Arashiro)が敢闘賞を獲得した。」「スタートから先頭に立った新城は、コフィディス・ル・クレディ・アン・リーニュ(Cofidis, Le Credit En Ligne)のダビド・モンクティエ(David Moncoutie、フランス)、ソール・ソジャサン(Saur-Sojasun)のアントニー・ドゥラプラス(Anthon Delaplace、フランス)とともに逃げ集団を形成し、一時は約9分近いリードを奪った。」「ゴールまで残り60キロメートルとしたところでリードは約半分の5分まで縮まると、その後は後続集団に吸収され」 ↗cyclowired(2012年、ツール・ド・リムザン):「ゴールまで10kmを残してロワとユキヤが飛び出した。」「ロワはそのまま先頭でゴールし、ステージ優勝を飾るとともにボーナスタイム10秒を獲得。ユキヤは21秒遅れのステージ2位に入り、ボーナスタイム6秒を獲得した。」「これによりロワとユキヤは総合16時間48分30秒で並んだ。ステージレースで同タイムに並んだ場合は、それまでのステージ順位を積算し、より少ない選手が上位となる。」新城:「2006年、21歳の僕はレースで新人賞、そして、総合3位。2008年にヨーロッパでプロ初勝利もこのレース。そして、6年経って総合優勝することが出来ました!!」「ゴールした時には区間優勝ではなかったので総合2位だと思っていたのですが『総合優勝はユキヤアラシロ』ってアナウンスを聞いた時は鳥肌がたちました(笑)。」 ↗
大腿骨を折った2016年、伊豆で勝ち、ツールでまた逃げた
2016年、新城は慣れ親しんだフランスのチームを初めて離れてイタリアのランプレ・メリダへ移りました。目標に掲げたのは、ツールでのステージ優勝です。ところが2月12日、カタールのレースの最終日にスタートして5kmのところで落車します。左の大腿骨が折れていました。翌日の手術は6時間に及び、30cmを超える長さのボルトが脚に通されました。
3月17日、新城はリオデジャネイロ五輪のロード代表に選ばれ、その発表の場に松葉杖をついて出ます。骨折して35日目でした。日本代表のロードのヘッドコーチ、浅田顕はこう話しています。「五輪でメダルを獲れるのは新城しかいないので、代表から外すと考えたことは一度もなかった」。5月にはタイの合宿で先導するオートバイの後ろに付き、ツールの1ステージと同じ200kmを毎日走りました。
6月、新城は8年ぶりに日本のツアー・オブ・ジャパンに出ます。最終日の前日の伊豆ステージは、12.2kmの周回を10周する厳しいコースです。新城は絞り込まれた先頭の集団に残り、ゴールまで600mのところで飛び出して後続を振り切りました。両手を広げて天を仰ぎながらのゴールでした。「……最後のアタックはリスキーだったけど、アタックしたからこそ気持ちよくゴールできた。ケガからの復帰を支えてくれたすべての人に、この勝利を捧げたい」。イタリアの自転車サイトは、4ヶ月足らずの中断の後、地元のレースで勝ったこの走りを、リハビリに懸命に取り組んだ証しだと伝えています。
7月、新城はチームのツールのメンバーに選ばれます。第6ステージでは、もう1人の選手と2人で165kmにわたって逃げました。一日中暑さの厳しい日で、2人はゴールまで22kmの辺りで集団に吸収されます。この日の敢闘賞も新城に決まりました。2012年に続く、2度目のツールの敢闘賞です。カタールで大腿骨を折ってから、5ヶ月足らずのことでした。この年の秋、チームのマネージャーだったブレント・コープランドが移る新しいチームへ、新城も移ることになりました。コープランドはこう話しています。「……ユキヤに驚かされたのは、シーズンの初めの落車で折った大腿骨からの復帰だった……真のプロ、強い意志を持つアスリートのすばらしい手本だった」
出典(7件)
Cicloweb(2016年6月4日):« dopo meno di quattro mesi di stop, il 31enne giapponese della Lampre-Merida ha dimostrato di avere lavorato sodo durante la riabilitazione ed è riuscito a vincere la settima tappa della corsa di casa sul difficile circuito di Izu » ↗franceinfo(2016年7月7日):« Jan Barta (Bora) et Yukiya Arashiro (Lampre) ont été devant pendant 165 km avant d'être repris. Le Japonais Arashiro a obtenu le dossard du meilleur combatif. » ↗Cyclingnews(2016年9月19日):"follows Lampre-Merida manager Brent Copeland to the new squad" "what amazed me with Yukiya was his comeback from a broken femur when he crashed during the beginning of the season … This was a great example of a true professional and a determined athlete." ↗web Sportiva(2016年3月16日、2ページ目まで):「プロ11年目の2016年シーズン、新城は慣れ親しんだフランスのチームを初めて離れ、イタリアのUCIプロチーム「ランプレ・メリダ」に移籍した。」「ツール・ド・フランスでのステージ優勝が目標」「2月12日、中東・カタールで開催された「ツアー・オブ・カタール」の最終日だった。スタート直後の5km地点で新城は落車し」「診断は左大腿骨骨折の重傷で、翌13日には緊急手術を受ける。大腿骨の折れた部分をつなぐため、長さ30センチ以上のボルトを脚に通し」「6時間に及ぶ、大がかりな手術だった。」 ↗web Sportiva(2016年6月9日、全5ページ):「3月17日には、まだ松葉杖に頼る新城がリオ五輪のロード代表記者発表に登場。骨折して、35日目だった。」浅田顕ロードヘッドコーチ「五輪でメダルを獲れるのは新城しかいないので、代表から外すと考えたことは一度もなかった」「5月にはアウトドアで乗り込みを開始し、毎年冬に行なうタイ合宿に出発した。」「風よけとなる先導のオートバイは、ツール・ド・フランスの平均速度に設定したスピードで走らせ」「距離200kmという練習量も、ツール・ド・フランスの1ステージと同じ長さ。」「そんな練習を、毎日続けた。」「2008年以来、8年ぶりにツアー・オブ・ジャパンに参戦」「最終日前日。静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンターで開催された第7ステージで、新城が優勝した。」「12.2kmサーキットを10周する122km」「第1集団は絞り込まれたが、新城はこのなかに残っていた。そして、ラスト600mから飛び出して後続を振り切った新城は、両手を広げながら天を仰ぎ」新城「最後のアタックはリスキーだったけど、アタックしたからこそ気持ちよくゴールできた。ケガからの復帰を支えてくれたすべての人に、この勝利を捧げたい」 ↗web Sportiva(2016年7月2日):「ランプレ・メリダの出場9選手のなかに選ばれ、2年ぶり(通算6度目)に参戦。」 ↗AFPBB News(2016年7月8日):「ランプレ・メリダ(Lampre-Merida)の新城幸也(Yukiya Arashiro)が敢闘賞を獲得した。」「一日を通して厳しい暑さとなった今ステージで新城は、ボーラ・アルゴン18(Bora-Argon 18)のヤン・バルタ(Jan Barta)とともに逃げを打って出た。」「新城らは一時は5分以上のリードをつくったが、残り22キロあたりで集団に吸収された。」 ↗
2023年のジロ、遅れたスプリンターを制限時間内へ送り届けた
2017年、新城はバーレーン・メリダへ移ります。のちにこう話しています。「人のために走るようになったのは、このチームに入ってからです」。逃げて目立つのではなく、エースを前へ運ぶ仕事でした。「僕は逃げないけれど、ワールドツアーにいられる。役割が違うんです」
2023年、新城は急遽ジロ・デ・イタリアに出ることになります。主な仕事は、総合上位を狙うジャック・ヘイグのアシストでした。エースを集団の前へ上げようとするタイミングは、どのチームも同じです。そのタイミングを決めるのは距離ではなく、集団の雰囲気だそうです。「ザワザワザワ、となってきたら、こちらは『上がるか!』です」
チームの先頭で、新城はエースの入る隙間を作ります。「僕は、人を押しのけてジャックにここに入れと言って、ジャックが入ったらまた次のスペースを作りにいく。テトリスと一緒です」。手は使わず、少しずつ押していくのだそうです。相手がそこへタイヤを入れたら転んでしまう、という場所をふさぐだけだといいます。先頭にいられるのは2分ほどでした。「500Wを余裕で出せるヤツのそばで、僕は死に物狂いで500Wを出しています。死にそうです(笑)」
このジロで最も辛かったのは、第19ステージだったといいます。ドロミテの峠をいくつも越え、最後はトレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの上りでゴールする日です。チームのスプリンターのジョナタン・ミランは前の晩に吐いたりおなかを壊したりして眠れず、後半の峠で遅れ始めました。グランツールのステージには、その日の勝者のタイムから決まる制限時間があります。間に合わなければ、レースを去らなければなりません。この日の制限時間は、勝者のゴールから58分でした。
新城はヤシャ・ズッタリンともう1人のチームメイトと3人でミランを囲み、先を行く集団とのタイム差を計算しながら山を上りました。4人がゴールしたのは、勝者から43分20秒後です。その日のステージを勝ったのは、同じチームのサンティアゴ・ブイトラゴでした。3人がミランに付き添ってゴールへ入る写真を、チームの監督は自分とミランの地元フリウリの新聞にこう評しています。「この1枚に、この日のすべてが詰まっている」
ミランはこの大会で、ステージの着順などで得る点数の合計を競うポイント賞を取り、その印のマリア・チクラミーノを着ました。チームの8人は誰も欠けずにローマへ着きます。もう1人の監督は、出発の直前に入れ替わりでメンバーに入った新城をこう称えました。「……代わりに入った新城は、チームワークがいかに大切か、そしてこういうレースで彼のような働き手の役割がいかに大切かを示してくれた」。新城にとって、16回目のグランツール完走でした。
出典(5件)
Messaggero Veneto(2023年5月、第19ステージ):«Questa foto è la sintesi della giornata di oggi», parola di Franco Pellizotti, il ds friulano della Bahrain Victorious. … Ci sono Arashiro, Pasqualon e Sutterlin che scortano sul traguardo delle Tre Cime di Lavaredo la maglia ciclamino Jonathan Milan 43’20” dopo l’arrivo di Santiago Buitrago, il loro compagno di squadra che aveva vinto la frazione « aveva passato una notte insonne tra vomito e malesseri intestinali » « riuscendo a stare col gruppo maglia rosa sul Campolongo e praticamente anche sul Valparola perdendo terreno sul Giau come altri velocisti » « Lì ha sofferto le pene dell’inferno Milan, sostenuto sempre dai ragazzi, la scure del tempo massimo era posta a 58 minuti dopo l’arrivo del primo. » ↗Bahrain Victorious(2023年5月28日):Gorazd Štangelj "we had to make a last-minute change with … But Arashiro, who replaced him, showed how important team spirit is and the role of a worker like him in such a race." ↗サイクルスポーツ(2023年ジロ中のインタビュー):「基本的に僕の仕事はジャックの総合のアシストがメインです」「基本的には前に上がるタイミングは他のチームも同じことを考えているから、距離(場所)じゃなくて雰囲気なんです。ザワザワザワ、となってきたら、こちらは『上がるか!』です」「僕は、人を押しのけてジャックにここに入れと言って、ジャックが入ったらまた次のスペースを作りにいく。テトリスと一緒です。」「もちろん僕は手を使っていないです。徐々に押していきます。そこにタイヤを入れたら転ぶという場所がある、そこにタイヤを入れさせないようにすればいいだけです。」「僕が前にいられるのはそんなに長い時間じゃない。2分とかです。500Wを余裕で出せるヤツのそばで、僕は死に物狂いで500Wを出しています。死にそうです(笑)」「人のために走るようになったのは、このチームに入ってからです。」「僕は逃げないけれど、ワールドツアーにいられる。役割が違うんです」 ↗cyclowired(2023年5月31日):「急遽の出場ながらも成功に終わったジロ」「8名のフルメンバーで大会を終えた」「最終日のローマで表彰台に立った」「サンティアゴ(ブイトラゴ)が勝った第19ステージですね」「その日はジョナサン(ミラン)の調子が悪く、彼をゴールまで連れて行くために走りました。プロトンからのタイム差を計算して山岳を登ったりと、忙しいなかで何とかタイムカットを免れることができました」「ジョナサン・ミラン(イタリア)はマリアチクラミーノ(ポイント賞ジャージ)を獲得」「無事に16回目のグランツール完走できたことを嬉しく思います」 ↗琉球新報(2020年3月19日):「17年から現在所属するバーレーン・マクラーレンに移籍した。」 ↗
2026年、受け取ったものを20歳下の若手へ返し始めた
バーレーンでの最後の数年は若い選手に席を譲ることが増え、グランツールではリザーブの一番手として待つ立場になりました。2024年にはパリ五輪に出て、56位で完走しています。
2025年、新城はイタリアのソリューションテック・ヴィーニファンティーニへ移りました。ワールドチームの一つ下の格にあたる、UCIプロチームです。チームで走って最初に抱いた感想は「みんな働き方を知らないんだな」だったといいます。新城は勝てそうなリーダーに希望を聞き、位置取りの段取りを考えてみんなに伝えました。集団の中で戦術を組み立てるロードキャプテンの役割です。
2025年8月、新城はフランスのツール・ド・リムザンに戻ってきました。2012年に総合優勝したレースで、9回目の出場です。1984年生まれの新城は出場選手の中で最年長で、アジアからただ一人、過去の優勝者としてもただ一人の出場でした。フランスの自転車サイトに、新城はこう話しています。「集団に、僕と同じ年の選手はいません。……ほとんどは長くても38歳、たいていは35歳くらいでやめていきます。僕はまだやる気があります。毎朝、ゼッケンを付けたいという気持ちで起きます。それが一番大事なことです」
この年、チームは23勝を挙げ、史上最高のシーズンを送りました。暮れには、新城がもう1年走ることも発表されます。チームマネージャーはこう話しています。「豊富な経験とプロ意識、そして才能を持つ彼は、プロチームにも(若手を育てる)デベロップメントチームにも、成長に欠かせない存在です」。新城自身もチームの発表で、この年齢まで走れたことへの感謝を伝え、こう続けました。「僕のモチベーションは、若い選手たち、とくに日本の若い選手たちの成長に貢献することです」
2026年には日本のNIPPOがスポンサーに加わり、チームはソリューションテック・NIPPO・ラーリとして走り始めます。デベロップメントチームには、日本の鎌田晃輝と岩村元嗣が入りました。2人を選ぶのにも、新城は関わっています。プロチームで走りながら若い選手の面倒も見る新城は、イタリアでは「子守役」とも書かれました。新城によれば年は20歳も離れていて、チームメイトからは「ユキヤはお父さん役をやっているんだね」と言われたそうです。
日本の若手を育てるのは使命なのかと聞かれて、新城はこう答えました。「使命じゃないです。単純に、受け取ったものは返さなければいけません」。恩を受けた相手として最初に名前を挙げたのは、石垣島で出会った福島兄弟の兄でした。「僕が若い頃、兄ちゃん(福島晋一)に、同じようなことをやってもらいました」。直接は返せないから、若い選手に同じことをするのだといいます。「僕がやってもらったことを、上から下に。今回は、僕がやる番です」
出典(7件)
DirectVelo(2025年8月24日):« seul coureur asiatique au départ » « le doyen » « neuvième participation » « le seul ancien vainqueur présent sur la ligne de départ » « Il n’y a pas de coureurs de mon âge dans le peloton. … L’immense majeure partie du temps, les gars arrêtent maximum à 38, ou plutôt vers 35 ans. Moi, je suis toujours motivé. Tous les matins, je me lève avec la motivation de mettre un dossard. C’est le plus important. » ↗tuttobiciweb(2025年12月6日):Parsani «La sua grande esperienza, professionalità e talento lo rendono una figura fondamentale per la crescita sia della ProTeam che della Development Team.» Arashiro «Correrò anche il prossimo anno! … Sono molto grato di aver potuto correre fino a questa età … La mia motivazione è contribuire alla crescita dei giovani corridori, soprattutto giapponesi» ↗bici.PRO(2025年12月23日):« Il giapponese Arashiro oltre a correre nel team Professional farà da "balia" ai più giovani » ↗J SPORTS 選手名鑑2026:「近年は成長著しい若い選手たちに席を譲ることも増えてきたが」「グランツールもリザーブの一番手として待機。」「最終的な出場までは至らずも、その経験はチームに必要とされてきた。2024年は、目標としてきたパリ五輪に出場し56位で完走。そして、2025年からはソリューションテック・ヴィーニファンティーニへ移籍。」 ↗Yahoo!ニュース エキスパート 宮本あさか(2026年1月31日、前編):「イタリアのUCIプロチームに籍を移して2年目。今年から長年日本の自転車界に貢献してきたNIPPOもスポンサーに加わり、ソリューションテック・NIPPO・ラーリとして活動する」「チームで走って最初の感想は、「みんな働き方を知らないんだな」でした。」「僕はまず、成績を狙えるであろうリーダーに聞きました。「どうしたい?」って。その希望を踏まえて、僕が位置取りなどの段取りを考えて、みんなに「じゃあ、こうしようか」と話をしました。」「いわゆる「ロードキャプテン」という役割ですね?」「そうです。」 ↗Yahoo!ニュース エキスパート 宮本あさか(2026年2月3日、後編):「今年、所属チームのソリューションテック・NIPPO・ラーリにUCIデベロップメントチームが発足し、日本の鎌田晃輝と岩村元嗣が入りました。新城選手も選手チョイスに関わったそうですね。」「チームメイトには「ユキヤはお父さん役をやっているんだね」と言われました。そうです。息子みたいなもんです。20歳も年が離れてますから。」「日本の若手選手を育てることを、新城選手は使命として感じているのでしょうか?」「使命じゃないです。単純に、受け取ったものは返さなければいけません。そういう感覚です。僕が若い頃、兄ちゃん(福島晋一)に、同じようなことをやってもらいました。浅田(顕)さんや大門さんに、たくさん助けてもらいました。でも僕は、みなさんに、直接返すことはできません。だから僕は、他の若い選手に、同じことをしてあげるんです。」「僕がやってもらったことを、上から下に。今回は、僕がやる番です。」 ↗cyclowired(2025年12月5日):「新城は今シーズン、トスカーナ・ファクトリーが運営するプロチーム、ソリューションテック・ヴィーニファンティーニに移籍し」「チームのキャプテンとしての役割を担ってまいりました。」「チームは年間23勝というチーム史上最高の成功を収めることができ」 ↗
全日本の最終周を一人で迎え、21シーズン目を走った
2026年6月の全日本選手権のロードレースで、新城は最終周回に一人で先頭に立って入りました。最終周回に入る5kmほど手前で、集団の動きが緩んだ一瞬を突いて抜け出したのです。周回の計測地点の辺りからは、轟音のような歓声が上がりました。
最終周の上りに入ると、後ろの集団から留目夕陽が一人で飛び出します。留目は上りの前半で新城に追いつき、「ユキヤさんも行こう」と声をかけました。けれども脚がつりかけていた新城は、思い切り踏み込めません。上りの途中で後ろの集団に捕まりました。留目はそのまま独走して日本王者になり、新城は11位でゴールします。「……ちょっともう一発アタックできる脚ではなかったです」
2026年の初めのインタビューで、新城は辞め時をこう話していました。「……レースの先頭を引っ張り続けるだけのパフォーマンスが出せなくなったら……それが、きっと、辞め時です」。10月、新城は宇都宮のジャパンカップで15回目のスタートラインに立ちました。同じインタビューで、走り続ける理由をこう語っています。「外からは見えない仕事を、チームやチームメイトから評価してもらえて、信頼してもらえる。ロードレースってチームとして動くので、チームの助けになれることは喜びなんです」
出典(4件)
サイクルスポーツ(2026年6月、全日本選手権ロード):「11位 新城幸也(ソリューションテック・NIPPO・ラーリ)」新城「僕は一発しかないので、さあそれをどこで使おうかなっていうのをずっと待っていて、残り1周入る前のラスト5㎞看板のあたりでちょうど(集団が)緩んだので、抜け出しました」「ラスト1周に新城が単独先頭で入ると、コントロールライン付近からは轟音のような歓声が上がった。上り始めのところにある補給所付近で集団からは留目が勢いよく一人で飛び出し」「上りのまだ前半で留目が新城を抜く際、留目は新城に「ユキヤさんも行こう」と声を掛けたが、新城は脚を攣りかけており、一定では踏めども思い切り踏み込むことができなかった。」「上りのトンネル手前で後ろの集団に捕まってしまったので、そこが運命の分かれ道でしたね」「ちょっともう一発アタックできる脚ではなかったです」 ↗愛三工業レーシングチーム(2026年6月28日):「留目選手と織田選手が入った13名の先頭グループからSolutionTech Nippo Raliの新城選手が単独で先行し、最終周回へ突入しますが」「単独で新城選手に追いつくと、そのままパス。ついに単独先頭へと躍り出ました。」「そこから残り10kmを力強く独走します。」 ↗Yahoo!ニュース エキスパート 宮本あさか(2026年1月31日、前編):「思うように走れなくなったら、レースの先頭を引っ張り続けるだけのパフォーマンスが出せなくなったら……それが、きっと、辞め時です。」「外からは見えない仕事を、チームやチームメイトから評価してもらえて、信頼してもらえる。ロードレースってチームとして動くので、チームの助けになれることは喜びなんです。」「それは、40歳を超えてもなお走り続けたい、と新城選手を現役に繋ぎ止めておくだけの、強い感情なんですね。」「そうですね。」 ↗宇都宮ジャパンカップ公式(2026年10月、チームプレゼンテーション【海外チーム編】):「新城幸也の登場に会場が沸きました。15回目のジャパンカップとなる新城は」 ↗
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管理人のひとこと
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「僕がやってもらったことを、上から下に。今回は、僕がやる番です」。新城選手のこの言葉が個人的に響きました。ロードレースは個人競技に見えてチーム競技です。そのチームは同じレースを走る仲間だけでなく、先輩から後輩へと世代を超えてつながっているのだと感じました。
紹介するのは2点です。1つは、2009年のツールに初めて出た新城選手と別府史之選手が出演するDVD『SAMURAI達の夏2009』。もう1つは、新城選手が集団での位置取りのたとえに使ったテトリスです。次のブロックが入る隙間を空けておく感覚で遊ぶと、チームの先頭で隙間を作り続ける仕事を少しだけ想像できるかもしれません。
SAMURAI達の夏2009 ~もうひとつのツール・ド・フランス~
別府史之・新城幸也 出演/DVD(2010年)
テトリス エフェクト・コネクテッド
SUPERDELUXE GAMES/Nintendo Switch(2023年)
この記事を書いた人
Grand Tour Hub 管理人
ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。
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