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ファビアン・カンチェラーラ——タイムトライアルの王者は、チームのオーナーになった

ひとりずつ走ってタイムを競う個人タイムトライアルで世界王者に4度なり、パリ〜ルーベもロンド・ファン・フラーンデレンも、ひとりで抜け出して勝ったスイス人がいます。ファビアン・カンチェラーラは、宇都宮での最後のレースで仲間のために集団を引き、いまは自分のチームのオーナーです。

2026-10-05 公開

父の古い自転車で始め、父を自転車と一緒に見送った

ファビアン・カンチェラーラは1981年、スイスの首都ベルンの近くの村、ヴォーレンで生まれ、集合住宅で育ちました。父のドナートは18歳のときにイタリア南部のバジリカータからスイスへ渡ってきた人で、暖房設備の取り付けを仕事にしていました。母のローザは、近所のスーパーで長く働いていました。

少年が夢中だったのはサッカーです。12歳の誕生日まで、地元のクラブでボールを蹴っていました。サッカーを続けたい息子と、自転車好きの父。くすぶっていた綱引きは1993年、父の勝ちで終わります。父は自分の古いロードバイクを息子に譲り、ベルンで開かれる愛好家のレースに連れていきました。

それからは家族ぐるみです。父は自転車を車の屋根に積み、姉のタマラとファビアンを国じゅうのレースへ運びました。姉も、ジュニアで世界選手権に出た選手です。カンチェラーラはこう振り返っています。「よく夜明けに出発して、ぼくらはまだ眠っていた。車の中で、母がつくってくれたパスタを食べた。レースはたいてい10時ごろには終わっていて、その30分後には、もうソーセージを手に持っていた」

1998年、17歳で、ジュニアの個人タイムトライアルの世界王者になります。タイムトライアル用の自転車に初めて乗ったのはその年の4月で、半年後の世界選手権を2秒差で勝ちました。それから2週間あまりたっても、寝室の棚にはトロフィーが積み重なり、電話は鳴りやみませんでした。地元の雑誌の記者に、17歳は「ほとんど休む暇がない」とため息をついています。

当時を知る人は、父が思春期の息子を厳しく導いたと話します。けれども息子が勝つほど、父は世話役の座を少しずつ降りていきました。イタリアの強豪マペイとプロ契約を結んだころ、カンチェラーラが乗っていたのはコルナゴのロードバイクです。そのころから、父は息子の活躍を、ひとりのファンとして追うようになりました。

2004年7月、初めてのツール・ド・フランス。ベルギーのリエージュで開幕の個人タイムトライアルを勝ち、総合首位の黄色いジャージ、マイヨ・ジョーヌを手にします。イタリアの新聞は、涙がその黄色いジャージを濡らしたと書きました。「ぼくは世界でいちばん幸せな男だ」。両親は、休暇で訪れていたイタリアのホテルで、それをテレビで見ていました。

2025年8月、ドナートは77歳で亡くなります。葬儀の祭壇のそばには、息子がプロになったころに乗り、のちに家族のもとへ戻っていた、あのコルナゴが置かれていました。「ドナートが、あの自転車を最後の旅に持っていけるようにしたかった」。晩年のドナートは古い鉄のロードバイクを地下室で組み直し、売っていたといいます。口ぐせは、こうでした。「いつも一番いいものを持っている必要はない。大事なのは、自転車に乗ることだ」

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Hauptstadt(2025年9月16日):「Dieser verstarb zwölf Tage zuvor im Alter von 77 Jahren.」「nachdem er mit 18 Jahren aus der italienischen Basilicata in die Schweiz gekommen war」「arbeitete als Heizungsmonteur」「auch sie schaffte es als Juniorin bis an eine Rad-Weltmeisterschaft」「Wir fuhren häufig im Morgengrauen los und schliefen noch. Dann ass ich im Auto die Pasta, die meine Mutter vorbereitet hatte. Gegen 10 Uhr war das Rennen häufig schon vorbei – eine halbe Stunde später hatte man eine Bratwurst in der Hand.」「mit eiserner Hand」「Je mehr Titel sein Sohn einfuhr, desto mehr liess Donato Cancellara seine Rolle als Betreuer und Mentor los.」「Ein Colnago-Rennvelo stand beim Altar.」「Auf dem Fahrrad aus der italienischen Edel-Schmiede fuhr Fabian Cancellara Anfang der 2000er Jahre Rennen – später kehrte es in den Familienbesitz zurück.」「Ich wollte, dass Donato das Velo auf seine letzte Reise mitnehmen kann」「verfolgte die glänzende Karriere seines Sohnes mehr und mehr als Fan」「Du musst nicht immer das Beste haben. Es geht einfach ums Velofahren」 ↗Schweiz am Sonntag(2016年7月17日、Aargauer Zeitung 掲載、Wayback):「Cancellara ist dort im März 1981 geboren und in einem der zahlreichen Wohnblöcke aufgewachsen.」「Bis zu seinem 12. Geburtstag kickte Cancellara bei den Junioren des SC Wohlensee, bevor der Vater den schwelenden Machtkampf gegen seinen Sohn 1993 dann doch gewann. Das gelang, indem er ihm sein altes Rennrad schenkte und ihn an das Hobbyrennen Casa d'Italia in Bern mitnahm.」「die Migros-Filiale, in der Cancellaras Mutter Rosa lange gearbeitet hat」 ↗TOUR(2006年7月13日、Wayback):「dessen Tochter Tamara ebenfalls als Radsportlerin erfolgreich war und als Juniorin 1997 an der WM in San Sebastián teilnahm」。ジュニアは17〜18歳の区分なので、1997年にジュニアだったタマラは、1981年生まれのファビアンより年上 ↗Veloszene Schweiz(1998年12月号):「Die Pokale stapeln sich im Regal seines Schlafzimmers」「Im April bestieg Fabian Cancellara erstmals ein Zeitfahrer-Velo, ein halbes Jahr später wurde der Berner in Holland Junioren-Weltmeister」「zwei Sekunden Vorsprung」「"Ich komme kaum zur Ruhe", seufzt der 17jährige … dabei sind doch schon über zwei Wochen seit seiner weltmeisterlichen Siegesfahrt vergangen.」 ↗La Gazzetta dello Sport(2004年7月4日、Wayback):「le lacrime di Fabian Cancellara … bagnano la prima maglia gialla del 91° Tour de France」「Sono l' uomo più contento del mondo」「Osservandolo in Tv, da un albergo di Riccione dove si trovano in vacanza, papà Donato … e mamma Rosa si sono inorgogliti」 ↗

前の日に話した夢のとおり、ひとりでルーベに着いた

パリ〜ルーベは、北フランスの石畳の農道をいくつも越えて、ルーベの自転車競技場でゴールするワンデーレースです。カンチェラーラが初めて走った2003年は、ゴールまでたどり着けませんでした。翌2004年は先頭の4人で競技場まで来て、スプリントで敗れています。そのとき、このレースを2度勝ったフランコ・バッレリーニに、こう声をかけられました。「きみはいつか、このレースを勝つ。今年じゃなくてよかった。そのほうが、いちばん多くを学べる」

2006年4月9日のレースの前日、彼はスイスの新聞にひとつの夢を話しています。「ルーベの競技場に、ひとりで着くこと。それは地震みたいなものに違いない」。いちばんの優勝候補は、前年の覇者トム・ボーネンでした。

レースでは、有力選手のそろった先頭の集団から、まずアメリカの選手が消えます。ゴールまで45kmで、ハンドルと前輪をつなぐ部品が折れたのです。彼は道ばたで泣きながら、集団が遠ざかるのを見送りました。ゴールまで19km、カンチェラーラは先に飛び出したロシアの選手に追いつき、続く石畳で引き離します。ひとりになってからのことを、彼はベルンの方言でこう振り返りました。「あとは自分に言い聞かせた。頭を下げて、走れ」

残り10kmの踏切は、カンチェラーラが渡ったあとで遮断機が下りました。30秒後ろを追っていた3人は、下りた遮断機をくぐって追走を続け、レースのあとで失格になります。その後ろにいたボーネンたちは、通過する列車を待つしかありませんでした。繰り上がりで2位になったボーネンは、前の週にロンドを勝っていましたが、こう話しています。「うれしくない。自分には値しない2位だ。千切れたんだから。……負けるほうが、勝つより良い教訓になることもある」

スイス人がパリ〜ルーベを勝ったのは、83年ぶりでした。このレースの優勝トロフィーは、石畳の石そのものです。それを手に、カンチェラーラは涙をこらえるのがやっとでした。

2026年の取材記事によれば、彼はレースの細部より、その夜のことのほうをよく覚えているそうです。チームは春のクラシックのあいだ、ベルギーのコルトレイクのホテルに泊まっていました。レースの前日に引き払うとき、彼はホテルの人に冗談を言います。「勝ったら戻ってくるよ」。その晩、チームは本当に戻りました。「スーツケースを持ってホテルの前に立って、空いている部屋はありますかと聞いたんだ」。お祝いは朝まで続きました。

出典(3件)

Velojournal(2026年4月13日): バッレリーニ「Du wirst dieses Rennen eines Tages gewinnen. Zum Glück noch nicht dieses Jahr – so lernst du am meisten.」、前日の Blick への発言「Allein auf der Rennbahn in Roubaix anzukommen. Das muss wie ein Erdbeben sein.」「Diese Rolle gehörte Tom Boonen, dem Vorjahressieger.」「Danach habe ich mir gesagt: Gring ache u fahre.」「Vor der Abreise am Vorabend von Paris–Roubaix scherzte Cancellara mit dem Hotelpersonal: «Wenn wir gewinnen, kommen wir zurück.»」「Während er vom Renngeschehen am 9. April 2006 nicht mehr jedes Detail weiss, erinnert sich Fabian Cancellara an die darauffolgende Nacht umso besser.」「Mit den Koffern standen wir vor dem Hotel und fragten, ob sie freie Zimmer für uns hätten.」 ↗Cyclingnews(2006年4月9日):「his steerer tube snapped with 45 kilometres to go, and the American ended up on the side of the road, unhurt but crying as he saw the lead group drive away」「With 19 kilometres to go, the tall Swiss shattered the World Champion's hopes」「he reached a train crossing at 10 km to go with a 30 second lead over the three chasers. But when they got there, the barriers had already come down」「They ducked through them」「the commissaires disqualified them」「Boonen's group had to wait anyway, as the train was already upon them」、ボーネン「I wasn't as super as I was last week in the Ronde」「I'm not happy with it. It was not deserved, I was dropped.」「Losing can be a better lesson than winning.」「carrying the famous Paris-Roubaix cobble in his hands, and barely able to keep his eyes dry」 ↗NZZ(2006年4月9日、Sportinformation 配信):「83 Jahre nach Heiri Suter hat erstmals wieder ein Schweizer Radprofi die Classique von Paris nach Roubaix gewonnen」 ↗

マイヨ・ジョーヌを着たまま、スプリンターより先にゴールした

個人タイムトライアルで、カンチェラーラは世界選手権を2006年と2007年、2009年と2010年に勝っています。ツールでは開幕の短い個人タイムトライアルに強く、2015年までにマイヨ・ジョーヌを通算29日着ました。2015年の時点で、総合優勝をしていない選手では最も多い日数でした。2007年7月も、ロンドンでの開幕の個人タイムトライアルを勝ち、マイヨ・ジョーヌを着ていました。第3ステージは、ベルギーのワレヘムからフランスのコンピエーニュまでの236.5km。コンピエーニュは、パリ〜ルーベがスタートする町です。

この日は4人が最後まで逃げ、後ろの集団はスプリントに備えて追いかけていました。前の4人が差を保ったままゴールすれば、総合のタイムで抜かれ、マイヨ・ジョーヌを失うおそれがあります。ゴールの手前には直角のカーブが2つあり、そのあいだに短い石畳がはさまっていました。カンチェラーラはそれを知っていました。「石畳で10mほど稼いだ。前の4人は力尽きていて、まわりの集団は右へ左へ散らばっていた。ぼくはまっすぐ行った」。残り750mで集団から飛び出し、逃げの4人を抜き去ると、そのまま後ろのスプリンターたちを振り切りました。

「人生でいちばんきつくて、いちばん長い1kmだった。いつまでも終わらないみたいだった」「振り返ったのは1回だけ。誘惑に勝てなかった」「ツールでステージを勝つ。マイヨ・ジョーヌを着て勝つ。それも、パリ〜ルーベが始まるコンピエーニュで。信じられない」

計画した動きではありませんでした。本人も、マイヨ・ジョーヌを失うのが怖かったと話しています。チームの監督はこう言いました。「彼が仕掛けることは計画していなかった。でも、ジャージが数秒差で危うくなっているのが彼には見えていた。彼は強いし、その日はずっと脚を使っていなかった」。逃げていた4人のひとりは、「最後の1kmで、ほんのわずかの差で勝利を逃した」と悔しがっています。

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Cyclingnews(2007年7月10日):「Race leader Fabian Cancellara stunned the sprinters in the finish of the third stage in Compiègne」「the 236.5 kilometre run from Waregem to Compiègne」「who took the Maillot Jaune in the prologue in London, timed a powerful jump perfectly with 750 metres to go and rocketed past the day's four-man escape」「the city which starts that legendary cobbled Classic」「I was scared about losing the jersey because the four riders at the front were riding well and had a good gap.」、監督「It was not planned that he would have a go, but he could see that the jersey was hanging by a few seconds. He is strong, he is powerful and he hadn't worked the whole time.」、逃げのひとり「In the final kilometre, we missed that win by very little.」 ↗Fabian Cancellara — Wikipedia (en) の infobox:「World Time Trial Championships (2006, 2007, 2009, 2010)」 ↗cyclowired(2016年10月28日、Wayback)の写真説明:「ツール・ド・フランスのプロローグを制しマイヨ・ジョーヌを着るのがルーティンだった」 ↗Cycling Weekly(2016年、Wayback):「Two third-place finishes in the opening two stages gave Cancellara his 29th Tour de France yellow jersey at the end of the second stage – the most of any rider who's never won the race overall.」 ↗La Gazzetta dello Sport(2007年7月11日):「c' erano due curve a 90 gradi, e fra le due curve un tratto di pavé」「Sul pavé ho guadagnato una decina di metri. Davanti avevano mollato, accanto si sparpagliavano a destra e sinistra: ho tirato dritto」「Questo è stato il chilometro più duro, e anche più lungo, della mia vita. Non finiva mai」「Mi sono voltato solo una volta, non ho resistito alla tentazione」「Vincere una tappa, al Tour, in Francia. Vincerla con la maglia gialla addosso. E vincerla a Compiegne, dove parte la Parigi-Roubaix. Da non credere」 ↗

座ったままボーネンを置き去りにし、モーターを疑われた

3年後の2010年4月、ロンド・ファン・フラーンデレン。カンチェラーラにとっては、パリ〜ルーベより特別なレースです。2026年の取材で、彼はこう話しています。「ロンドの日は、国じゅうが止まった。ぼくにはロンドのほうがずっと特別だった。勝つまでに、ずっと長く戦わなければならなかったからでもある」

この日、彼はボーネンと2人で抜け出し、ヘラールツベルヘンの町の石畳の急坂で、座ったままペダルを踏み続けてボーネンを置き去りにしました。最後の区間をひとりで追ったボーネンは、ゴールのあとこう話しています。「平均時速55kmで走ったのに、カンチェラーラは差を広げていった。彼はいったいどれだけ速かったんだ」。カンチェラーラは言いました。「いつか孫や若い選手たちに話すよ。ベルギーの王、ボーネンを千切って勝った日のことを」「計画したものじゃない。本能で来たんだ」

1週間後のパリ〜ルーベ。スタート地点のコンピエーニュでは、その年の2月にラリーの事故で亡くなったバッレリーニのために、1分間の黙とうがささげられました。カンチェラーラはまだゴールまで遠いうちに抜け出し、ひとりで競技場に入ります。ゴールのあと、砂ぼこりにまみれた顔に涙を流しながら妻を抱きしめ、こう話しました。「多くの偉大な選手がこのレースを勝ってきた。亡くなったフランコ・バッレリーニと同じように、2度勝てたことを光栄に思う」

その2か月後、動画サイトに、彼の自転車にモーターが隠されていると疑う映像が出回ります。「あまりにばかげていて、言葉もない。自転車にバッテリーを付けたことなんて一度もない」。スイスのステージレースの前日には、イタリアの新聞にこう答えました。「モーターは、ぼくの体の中にある」。座ったまま加速できるのは「生まれつきの力だ」と言い、右手の動きを怪しまれると「ふつうの変速だ」と答えています。その日、一緒に1時間走ったベルギーの伝説的な名選手、エディ・メルクスには、こう言われたそうです。「きみほどのモーターを持っていれば、何も恐れることはない」

疑いを裏づける証拠は、一度も示されていません。2023年、彼はベルギーの新聞に、ロンドを勝った自転車がいまも家にあると話しました。「変わったのはひとつだけ。残念なことに、父がレースのすぐあとに洗ってしまった。本気で怒ったよ。ほかの自転車と同じように、汚れたまま壁に掛けておきたかったのに」。そして、こう続けています。「脚が、ぼくのモーターだった」

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Velojournal(2026年4月13日):「Die Flandern-Rundfahrt lebt viel mehr.」「Aber Flandern: Am Tag der Ronde stand das Land still. Sie war für mich viel spezieller, auch weil ich viel länger kämpfen musste bis zum Sieg.」 ↗La Gazzetta dello Sport(2010年4月6日):「Prima l' ha chiamato allo scoperto a 44 km dall' arrivo sul Molenberg」「Poi, rimasti in due, l' ha giustiziato sul Grammont」「Seduto in sella, martellando sui pedali, Cancellara ha travolto Boonen」「Un domani racconterò ai miei nipoti e ai giovani corridori di quella volta che ho vinto staccando Boonen, il re dei belgi」「Quello che ho fatto al Fiandre non è stato pianificato. È venuto d' istinto」 ↗radsport-news.com(2010年4月4日、ボーネンの発言のドイツ語訳):「Auf dem letzten Streckenteil wollte Boonen die Lücke wieder schließen, doch vergebens.」「Ich bin durchschnittlich 55km/h gefahren, aber Cancellara hat den Vorsprung weiter ausgebaut. Wie schnell muss er dann gefahren sein?」 ↗Cyclingnews(2010年4月11日):「The peloton had held a minutes silence at the start of the race in Compiegne to honour the memory of two-time winner Franco Ballerini.」「the dust on Cancellara's face was broken by streams of tears as he embraced his wife」「Many great riders have won this race and it's an honour for me to now have won it twice like the late Franco Ballerini did.」 ↗Cyclingnews(2010年2月7日):「Franco Ballerini died on Sunday morning after being involved in a crash during a rally car event in Tuscany, Italy.」 ↗VeloNews(2010年6月1日、AFP 配信。Het Nieuwsblad への発言の英訳、Wayback):「It's so stupid I'm speechless」「I've never had batteries on my bike.」 ↗La Gazzetta dello Sport(2010年6月12日):「Sapere accelerare da seduto è la mia dote naturale.」「Un normale cambio marcia.」「Il motore ce l' ho nel mio corpo」「Oggi (ieri; ndr) ho pedalato un' ora con Eddy Merckx. Mi ha detto: "Chi ha un motore come te, non deve temere nulla".」 ↗WielerFlits(2024年12月21日、Wayback):「Voor deze geruchten werden nooit bewijzen geleverd」 ↗Wieler Revue(2023年4月6日、De Morgen のインタビューから):「Er is maar één iets veranderd aan die fiets. Mijn vader heeft die namelijk, tot mijn spijt, net na de koers gewassen. Ik was echt kwaad. Ik wilde hem, net als mijn andere fietsen, met alle vuiligheid aan de muur hangen.」「Mijn benen waren mijn motor.」 ↗

マイヨ・ジョーヌを着て、落車した選手たちを待った

その年の7月、ツールの第2ステージ。ブリュッセルからスパへ向かうこの日も、カンチェラーラはマイヨ・ジョーヌを着ていました。ゴールまで30km、雨に濡れた峠の下りで、ひとりの選手が滑って倒れ、すぐ後ろにいたテレビ中継のバイクも、それをよけようとして転倒します。ここから落車が次々に起こりました。審判長はのちに、「22年レースに関わってきて、こんな惨状は見たことがない」と話しています。「助けに行った整備士まで、歩いていて転んだ」

カンチェラーラは下りを無事に抜け、前の集団にいました。後ろには、同じチームのシュレク兄弟が遅れています。彼は無線で監督に、マイヨ・ジョーヌを守るために攻めるのか、兄弟を救うために待つのかを尋ね、監督は待てと答えました。彼はほかの選手たちにも、倒れた選手を待とうと説いて回り、集団の先頭で、まるでセーフティーカーのようにペースを抑えます。

遅れた選手たちが追いつくと、集団はレースを再開せず、そのままゆっくりとゴールまで走りました。先に逃げていた選手は、集団より4分近く早くゴールしてステージを勝ち、マイヨ・ジョーヌもその選手に移りました。後ろの集団はゴール前のスプリントを争わず、ゴールの順位などで点を集めるポイント賞のポイントも、その勝者にだけ与えられることになりました。

みんなが納得したわけではありません。ポイント賞を狙っていたトール・フースホフトは、「今日、何かを奪われた気がする」と話しました。それでも、自分のチームにはスプリントをさせていません。「決定には賛成しない。でも、止めると決めたのはファビアンだ。それに、集団に100人も敵をつくりたくはない」。あるイタリアのチームの監督は、「これが現代の自転車競技なら、昔のほうがいい」と話しています。いっぽう、遅れていたアンディ・シュレクは言いました。「200mのあいだに2回転んで、自転車をまともに操れなかった。みんなのフェアプレーに感謝している。今日はフェアプレーが勝った、と言っていいと思う」

カンチェラーラ自身はこう話しています。「人生では、いつも勝てるわけじゃない。ぼくはなんとか下りきったけど、下りの終わりではひとりだった。それに、ぼくにはひとつのルールがある。倒れた選手を待つことだ」。2日後、集団のまとめ役のようだと言われると、こう答えました。「全員をいつも満足させることはできない。でも少なくとも、何かをしようとはしている。……それが正しいかどうかは、ひとりひとりが決めればいい」

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La Gazzetta dello Sport(2010年7月6日):「A 30 km dall' arrivo」「E piove.」「il motociclista della tv, che lo tallona, per evitare prima Gavazzi e poi la bici, deraglia, s' intraversa, cade」「Cancellara si mette in contatto radio con il team manager Riis per sapere che fare, darci dentro per salvare la maglia o tirarsi indietro per salvare gli Schleck, e Riis ordina di aspettare gli Schleck. Cancellara convince anche gli altri corridori ad aspettare i caduti. E rimane davanti, come una «safety-car».」「i 123 corridori proseguono ad andatura non competitiva」、審判長「in 22 anni di corse non ho mai assistito a una simile ecatombe」「Cadevano, a piedi, perfino i meccanici che li volevano soccorrere.」「i punti solo per Chavanel」、サロンニ「Se questo è il ciclismo moderno, preferisco quello antico」、本人「nella vita non si può sempre vincere. Io me la sono cavata, ma ero da solo in fondo alla discesa. E per me esiste una regola: aspettare i corridori caduti.」 ↗Cyclingnews(2010年7月5日): フースホフト「I feel like they have taken something away from us today.」、「Sylvain Chavanel (Quick Step) celebrates his victory in Spa, nearly four minutes ahead of the peloton.」、アンディ・シュレク「I fell twice in 200 metres, I couldn't really control the bike. I thank everybody for the fair play shown, and I think it can be said that fair play won today.」 ↗VeloNews(2010年7月7日):「Thor Hushovd had the most to win that day, yet he stopped his Cervélo team from sprinting in Spa.」、フースホフト「I don't agree with the decision, but Fabian made the call to stop the stage」「And I don't want to make a hundred enemies in the peloton.」、本人「You can never make everyone happy all the time, but at least I'm trying to do something.」「everyone has to decide on their own if it's right or not.」 ↗

最後の年、ロンドは2位で泣き、リオでは金メダルで泣いた

2015年、カンチェラーラは背骨を2度折りました。1度目は3月のレース。2度目は7月、マイヨ・ジョーヌを着て走ったツールの第3ステージで落車し、そのままゴールまで走りきったあとの検査で、腰椎が2つ折れていると分かります。

その年の11月、スイスの自転車競技の表彰式で、翌2016年を最後のシーズンにすると明かしました。「来年が、ぼくの最後の年だ」「自転車は、ぼくの人生そのものじゃない。人生の一部にすぎない」。リオデジャネイロ五輪には出ないとも話しています。コースが自分に合わないからでした。

2016年4月、最後のロンド・ファン・フラーンデレン。ゴールまで30kmで、世界王者ペーター・サガンたちが抜け出したとき、彼は2度、追いかけませんでした。追いつけないまま、サガンから25秒遅れの2位。最後の坂で彼が追いついたベルギーの選手は、ゴールの手前で彼に敬礼し、スプリントをせずに2位を譲っています。ゴールの先で、彼は地元のビールの小瓶をほとんどひと息で飲みほし、それから泣きました。「こういうものだ。2位は、やっぱり1位じゃない」「ぼくはスーパーマンじゃない。頭が望むことが、いつもかなうわけじゃない」

8月、彼はリオにいました。出ないと言っていた五輪です。春の時点では、リオのことは考えていなかったといいます。予定を組み直すうちに五輪が次の大きな目標になり、7月のツールは、地元ベルンでのステージを最後に途中で去っていました。キャリアの締めくくりに、すべてを個人タイムトライアルに賭けたのです。2つ目の計測地点では、オーストラリアの選手に約24秒遅れていましたが、3つ目までに逆転し、そこから差を広げて、最後は2位に47秒差をつけて勝ちました。差が広がったのは、逆転された選手がハンドルの故障で自転車を替えたためでもあります。2008年の北京に続く、2度目の五輪の金メダル。35歳でした。

ゴールで、彼は信じられないというように両手で顔を覆い、涙を流しました。「言葉を見つけるのは難しい。最高にうれしいし、誇らしい」「準備でも、レースでも、ミスは見つからなかった」「リオが、最後の大きな目標だった」

2か月後、引退レースの前夜に日本の専門サイトの取材を受けたとき、彼はプロとしての競技人生を、タイムトライアルに始まりタイムトライアルに終わったとまとめています。始まりは、名前が世界に知られた2004年のツールの開幕の個人タイムトライアル。終わりが、リオの金メダルです。「すべてが回る車輪のようではないですか?」

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Cycling Weekly(2016年、Wayback):「having suffered a nightmare 2015 season during which he suffered twice with a broken back」 ↗La Gazzetta dello Sport(2015年7月6日):「Fabian, in maglia gialla stamane, era riuscito comunque ad arrivare al traguardo」「Cancellara ha riportato la frattura di due vertebre, stesso tipo di infortunio di Harelbeke lo scorso marzo」 ↗watson(2015年7月6日):「Zwar fuhr Cancellara die Etappe zu Ende. Doch nach einem MRI-Untersuch」「so sind es nun die Wirbel L3 und L4 rechts」 ↗SRF(2015年11月10日):「bestätigte an den Swiss Cycling Awards seinen Rücktritt im kommenden Jahr」「Nächstes Jahr ist mein letztes Jahr」「Velofahren ist nicht mein Leben, sondern nur ein Teil meines Lebens」 ↗La Gazzetta dello Sport(2015年11月11日):「ha anche annunciato che non parteciperà ai Giochi Olimpici di Rio de Janeiro, visto che il percorso non si adatta alle sue caratteristiche」 ↗Blick(2016年4月4日、Wayback):「30 km vor dem Ziel reagiert er zweimal nicht, als sich Weltmeister Sagan (Slk) zusammen mit Kwiatkowski (Pol) und dann Vanmarcke (Be) absetzen.」「Am Paterberg, dem letzten Hindernis, schliesst er zu Vanmarcke auf.」「Sagan gewinnt mit 25 Sekunden Vorsprung auf Cancellara.」「Er gibt dem Schweizer ein Salut – verzichtet auf einen Sprint und überlässt ihm Rang zwei.」「Kwaremont-Bier schmeckt. Fabian Cancellara (35) leert die kleine Flasche fast in einem Zug. Dann fliessen die Tränen.」「Es ist, wie es ist. Zweiter ist halt nicht Erster.」「Ich bin nicht Superman. Und was mein Kopf will, geht nicht immer auf.」 ↗NZZ(2016年8月10日、sda 配信):「Cancellara distanzierte in der 54,5 km langen Prüfung gegen die Uhr die Konkurrenz um 47 Sekunden und mehr.」「Für den 35-jährigen Cancellara ist es nach Peking 2008 der zweite Olympiasieg im Zeitfahren.」「Zwischen der zweiten und dritten Zwischenzeit machte er aus einem Rückstand von rund 24 Sekunden auf den Australier Rohan Dennis einen Vorsprung von 18 Sekunden. Diesen baute er stetig aus - unter anderem aber auch darum, weil Dennis einen Lenker-Defekt zu beklagen hatte und beim Wechseln des Velos entscheidend an Zeit einbüsste.」 ↗cyclowired(2016年10月28日、宇都宮での引退前夜のインタビュー):「ベルンでのステージを最後にツール・ド・フランスを去ることは、ツールなかばですでに考えていました。次の大事なゴールがリオだったからです。」「春のクラシックのときにはリオのことなど考えていませんでした。レーススケジュールを進めるうちに、組み直していくのです。」「選手最後の日の前夜にインタビューに応える」「私はタイムトライアルとともに生まれ、タイムトライアルの勝利で競技人生を終えるのです。すべてが回る車輪のようではないですか? 私の序章は2004年ツール・ド・フランスでのプロローグの勝利でした。そして私は最終章を五輪のタイムトライアルの勝利で終えるのです。」「あの勝利はすべてを変える特別な一日になりました。私は一気に有名になったのです。」 ↗watson(2016年8月10日):「Was soll ich sagen, es ist schwierig, Worte zu finden. Ich bin überglücklich und stolz.」「Ungläubig schlug er die Hände vor das Gesicht, Tränen rollten die Wangen herunter.」「Zum internationalen Abschluss seiner formidablen Karriere hatte er nach dem geforderten Einsatz im Strassenrennen alles auf das Zeitfahren gesetzt.」「Rio war das letzte grosse Ziel.」 ↗Tages-Anzeiger(2016年8月10日、sda 配信、Wayback):「Ich fand keine Fehler. Nicht in der Vorbereitung, nicht im Rennen.」 ↗

最後のレースは宇都宮。別府史之のために集団を引いた

勝つためのレースは、リオで終わっていました。それでも彼は、最後にもう一度ゼッケンを付ける場所に、前の年にも訪れた日本を選びます。2016年10月22日、栃木県宇都宮市のジャパンカップ・クリテリウム。翌日のジャパンカップ本戦を前に、街の中心の大通りを周回するレースです。日本の関係者は「Thank You Fabian」と入ったTシャツを用意していて、彼はそれを贈られて上機嫌だったといいます。

当日の宇都宮は曇り空で、気温は18℃。パレード走行のあと、引退するカンチェラーラに宇都宮市長から花束が贈られ、2.25kmの周回コースを15周するレースが始まりました。中盤、2人が抜け出します。追ったのは、蛍光イエローのジャージのトレック・セガフレードでした。カンチェラーラとバウケ・モレマ、もうひとりのスイス人のチームメイトの3人が先頭を交代で引き、差を広げさせません。残り3周で2人は吸収され、そのあとの抜け出しも、カンチェラーラが引く集団に封じ込められました。

最後はチームメイトがゴール前まで導き、別府史之が残り250mから加速して勝ちました。別府は前の年もこのレースを勝っていて、2年続けての優勝は大会の歴史で初めてです。別府はこう話しています。「普段は縁の下の力持ちとしてエースをアシストする立場の自分を、ホームレースで勝つために全力でサポートしてくれた。その働きに応えないわけにはいかなかった」。英国のサイトには、「観客がすごかった。まるでシャンゼリゼのようだった」とも話しました。

宇都宮で仲間のために集団を引いたのが、選手としての最後の仕事でした。引退してしばらくは、市民が参加するライドイベントを広めたり、スイスの後輩マルク・ヒルシのマネジメントをしたりしていました。そこへ、解散しかけていたスイスの若手チームから連絡が来ます。当時のチームの代表者が、ドーピング事件に関わったためでした。そのままでは、12人ほどのスイスの若い選手が、プロになる夢を突然失うところでした。彼は、のちにチームマネージャーを務める相棒に「助けよう」と声をかけ、2人でチームを引き受けます。

2022年、カンチェラーラは、時計メーカーのチューダーと組んでそのチームを出直させると発表し、オーナーになりました。いまのチューダー・プロサイクリングです。発表の日、彼はこう話しています。「すべては土台から始まる。土台をつくらなければ、ピラミッドは建たない」。自分の役割については、「ぼくはトレーナーじゃないし、監督でもない。ぼくの役割はオーナーだ」とも話しました。ふだんは表に出ず、助言を求められたときだけ応えるそうです。「幸せな人のほうが、いい走りをする」と話している、とドイツの自転車誌は伝えています。

2026年、引退から10年の取材で、彼は自分のキャリアのただひとつの傷を、自分から挙げています。「もちろん、ロードの世界王者には一度もなれなかった。でも、ぼくには自分の金メダルがある。チューダーがやって来て、ぼくらのチームに加わってくれたこと。それが、ぼくの金メダルだ」

出典(7件)

ジャパンカップ公式(2016年9月13日の記者会見):「今季限りでの引退を表明しているファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)の2年連続となる参戦が決まったことが発表された」「16年という長きにわたるキャリアの締めくくりに、カンチェラーラはジャパンカップへの再来日を選択。」「日曜の本戦には出走しないものの、クリテリウムに出走する」 ↗cyclowired(2016年10月28日、宇都宮での引退前夜のインタビュー):「ベルギーでのクリテリウムなどには出ましたが、真剣に勝利を狙うレースはリオが最後でした。」、写真説明「日本側が用意してくれた「Thank You Fabian」Tシャツにゴキゲン」 ↗ジャパンカップ公式(2016年クリテリウムのレポート):「この土曜日のクリテリウムをもって現役を引退するファビアン・カンチェラーラ(スイス、トレック・セガフレード)への花束贈呈が行われた」「宇都宮は気温18度の曇り空」「全長2.25kmとなった周回コースを15周する」「ファビアン・カンチェラーラ(スイス)、グレゴリー・ラスト(スイス)、バウケ・モレマ(オランダ)の3名が先頭でローテーションを回し」「逃げという逃げはカンチェラーラの集団牽引によって封じ込められ」「『ここだ!』という残り250mで、自分のリズムで加速した」「去年も勝っているのでチームの信頼も厚かった」「史上初のクリテリウム連覇を果たした別府」、別府「普段は縁の下の力持ちとしてエースをアシストする立場の自分を、ホームレースで勝つために全力でサポートしてくれた。その働きに応えないわけにはいかなかった」。冒頭の「10月21日」は、同じレポートの「この土曜日」と大会日程(10月21日〜23日)から、土曜の22日と読んだ ↗Cyclingnews(2016年10月22日):「Fabian Cancellara capped off his illustrious cycling career in the Japan Cup criterium, delivering his teammate Fumiyuki Beppu to the victory in Utsunomiya.」、別府「the spectators were unbelievable; it was like being on the Champs-Élysées」 ↗TOUR(英語版、ドイツ語記事の英訳):「After a discovery phase, during which the ex-professional mainly promoted the grassroots sport project "Chasing Cancellara" and managed Marc Hirschi, the joint history of Tudor and Cancellara began as a rescue operation.」「Cancellara took over with partner Raphael Meyer」「When the small junior team Swiss Racing Academy was on the brink of collapse because team boss Pirmin Lang was involved in the Operation Aderlass doping scandal, Cancellara saw it as his duty: "They called me. I said to Raphi (the current team manager Raphael Meyer; editor's note): Let's help!" Otherwise, around a dozen young Swiss riders would have suddenly lost their dream of becoming professional cyclists.」「Cancellara emphasises that he stays in the background and is only available if his advice is needed. He sets the tone. "Happy people perform better," he says.」 ↗Cyclingnews(2022年4月26日):「Fabian Cancellara has announced he will create a new Swiss professional cycling team for 2023 in partnership with watch brand Tudor.」「He presented the team a few hours before the start of the Tour de Romandie.」「will be team owner and take control of the Swiss Racing Academy, which already races at Continental level」「I was already with the Swiss Racing Academy as a mentor.」「Everything starts from the base. If you don't work on the base, you can't build the pyramid.」「I'm not the trainer, I'm not the sports director, definitely. So my role will be as the owner」 ↗Velojournal(2026年4月13日):「erwähnt er den einzigen Schönheitsfehler von sich aus: Mit dem Strassen-Weltmeistertitel wollte es, im Gegensatz zum Zeitfahren (viermal Gold), nie klappen.」「Klar, ich war nie Strassen-Weltmeister. Aber ich habe meine Goldmedaille: Dass Tudor kam und in unser Team einstieg, das ist meine Goldmedaille.」 ↗

この記事の選手

ファビアン・カンチェラーラの写真

Fabian Cancellara

ファビアン・カンチェラーラ

2016年引退

タイムトライアルで世界王者に4度なり、引退後は自分のチームのオーナーになった人です。

管理人のひとこと

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私がカンチェラーラを知ったのは、ロンドでボーネンと対決した場面です。サイクルロードレース中継でおなじみの栗村修さんの解説も相まって、とんでもない人がいる、という衝撃をいまも覚えています。

この記事に書いた2010年のロンドと、その1週間後のパリ〜ルーベには、放送の映像を使ったDVDがあり、どちらも栗村さんが解説しています。ロンドのDVDは、フランス語の呼び名のツール・デ・フランドルが題名です。

この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

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