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ペーター・サガン——マウンテンバイクから来て、マウンテンバイクへ帰ろうとした
マウンテンバイクのジュニア世界王者になった18歳は、ロードを選び、世界選手権を3年続けて勝ちました。そしてキャリアの終わりに、マウンテンバイクへ戻ろうとします。ペーター・サガンの、出発点と終着点の話です。
2026-10-01 公開
姉の自転車で勝った
ペーター・サガンは、スロバキア北部の町ジリナで育ちました。少年時代のコーチの記憶にある彼は、いつも勝ちたがっていて、同時に自転車の上で遊ぶのが好きな子どもです。「一度も泣き言を言わず、車輪が軽くないと自転車に文句を言うこともなく、それでいていつも勝ちたがっていた」。そして、こうも話しています。「レースに出たがった。乗るものは何でもいい、車輪さえ回ればね。自転車の上でふざけるのが好きで、跳びたがったし、下りたがった」。マウンテンバイクのスロバキア・カップのクロスカントリーでは、ほかの選手がブレーキをかけて溝の底を渡るところを、彼だけが跳び越えたといいます。
2007年、ジュニアになって最初のシーズン、マウンテンバイクのスロバキア・カップ初戦。スポンサーの自転車が、まだ用意できていませんでした。ジュニア時代のコーチは、その年の振り返りに「出ないかもしれないとは考えもしなかった」と書いています。サガンは姉から古い自転車を借りて、そのレースを勝ちました。
この日のことは、語る人ごとに覚えている場面が違います。そのコーチは後年、借りた自転車を「きしんで、ブレーキの効きも悪かった」と振り返りました。サガン自身が覚えているのは、ある夜のことです。「ちゃんと動くか確かめようと夜に乗ってみたら、フレームを折ってしまった。さあどうしよう、と思った。それで友だちのところへ行って、溶接してもらった。そしてレースは本当に勝った」。英国の新聞に語ったときは、もっと短くまとめています。「新しい自転車を待っていたけれど、来なかった。姉の自転車は最高じゃなかったけれど、十分だった」
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SME(2014年7月27日、Wayback): 少年時代のコーチ Milan Novosad「Nikdy neplakal, nesťažoval sa na bicykel, že nemá ľahké kolesá, ale stále túžil po víťazstvách」「Chcel pretekať, jedno na čom, len aby sa na tom točili kolesá. Na bicykli rád šantil. Chcel na ňom skákať, zjazdovať.」 ↗MTBiker.sk(2008年1月14日、コーチ Peter Zánický による2007年の総括、Wayback):「Ani sme nepripustili možnosť, žeby neštartoval na pretekoch. Požičal si starší bicykel od sestry a súťaž vyhral.」 ↗SME(2015年7月29日): Zánický「Hoci jeho ‚tátoš‘ škrípal, zle brzdil」、本人「Išiel som sa večer na ňom previezť a zistiť, či funguje. A zlomil som rám. Vravím si – čo teraz? Tak som išiel za kamarátom a ten mi ho pozváral. A preteky som naozaj vyhral」 ↗The Guardian(2018年4月18日):「I was waiting for a new bike but it didn’t come. My sister’s bike wasn’t the best but it was good enough.」 ↗
「いちばん好きなのはマウンテンバイク」
2008年6月、イタリアのヴァル・ディ・ソーレで開かれたマウンテンバイクの世界選手権で、サガンはジュニアのクロスカントリーを勝ちました。29.38kmのコースで早くから先頭に立ち、2位のフランス人に1分半以上の差をつけています。本人はこう話しました。「きついレースだった。起伏のあるコースで、技術の要る下りがいくつもあった」
のちに「レースの集団でいちばんのショーマン」と呼ばれる人ですが、この日の記者会見の様子はまるで違いました。米国の専門誌は彼を「物静かで、少し内向的」と書き、黙って座ったまま、質問への答えをスロバキアのコーチに任せていたと伝えています。
進む道も、まだ決めていませんでした。「まだはっきりとは分からない。オファーしだいだ。でも最近の結果からすると、少しずつマウンテンバイクに傾いている」
翌2009年10月、彼はイタリアのリクイガスと2年契約を結びます。当時の最上位カテゴリー、プロツアーのチームです。スロバキアの新聞によれば、年俸はプロツアーの選手に保証された最低額の3万3000ユーロでした。いちばん上の舞台に、いちばん下の条件で入ったことになります。そのとき、彼はこう話しています。「正直に言えば、いちばん好きなのはマウンテンバイクだ。でも『大舞台』は、ロードでプロツアーのチームと走るものなんだ」
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SITA(2008年6月20日、MTBiker.sk 掲載、Wayback):「Na kopcovitej trati boli boli viaceré technické zjazdy.」「Na základe posledných úspechov sa však pomaly prikláňam k horskej cyklistike」 ↗ジロ・デ・イタリア公式(2026年1月26日):「From being the ultimate showman of the peloton to becoming a “full-time dad”.」 ↗VeloNews(2008年6月19日):「Known for his quiet, slightly introverted personality, Sagen sat quietly at the post-race press conference, instead letting the Slovakian team coach handle his questions.」 ↗SME(2009年10月5日、Wayback):「Priznám, že najobľúbenejšia mi je horská cyklistika, ale „veľká" cyklistika je tá, ktorá sa robí na ceste, s tímami Pro Tour.」「ročný plat 33 000 eur, teda najnižší, aký je garantovaný pre každého člena tímu Pro Tour」 ↗
ブレーキをかけずに曲がった
少年時代に覚えたものは、ロードに移っても消えませんでした。2015年、英国の雑誌の取材に彼はこう答えています。「若いころはマウンテンバイクでたくさん走ったし、シクロクロスもやった」。シクロクロスは、秋から冬にかけて泥や芝のコースを走る競技です。「それがロードのための強さをくれただけじゃなく、自転車の扱いにもすごく役立った。大人になってからでは、子どものころのようには技術を磨けない。子どものころは、全部が遊びだから」。2024年には、ジュニア時代のことをこう話しています。「ジュニアのマウンテンバイクでは、下りが得意だった。いちばんだったのは持久力があったからじゃなくて、下りで全員を置き去りにしたからだ」
その技術が、本人が「キャリアでいちばん大きな勝利」と呼んだ一日を決めます。2015年9月、米国リッチモンドの世界選手権。最終周、ゴール前の石畳の急坂へ、彼は大きなスピードを持ったまま入りました。スロバキアの自転車誌の取材で、本人はこう振り返っています。「また昔の手を使った。大きく外から回ってブレーキをかけずに曲がり、そのぶん速く走れた」。「その速さで石畳に入ったとき、いましかないとすぐに分かった」
坂の頂上で抜け出すと、続く下りでは体を低く伏せ、ペダルを踏まずにスピードを稼ぎました。下りのあとの90度のコーナーでは、「体を倒して、タイヤを信じて、短く祈った」。ゴールでの差は3秒です。英国の専門サイトは、その3秒は最後の上りの手前にある2つの高速コーナーで稼いだものだと書いています。この勝利から、彼は世界選手権を3年続けて勝ちます。
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Cyclist(2015年4月21日):「They not only made me strong for the road, but also really helped with handling. You can’t hone technique as an adult like you can as a kid. As a kid, it’s all about fun.」 ↗Cyclingnews(2015年9月27日):「I think it's the biggest victory of my career」「the three seconds he had at the finish line were gained in the two very fast turns before the final climb」 ↗Gran Fondo(2024年3月12日):「In MTB, when I was a junior, I was good at downhill. I wasn’t the best because I had such great endurance, but because I dropped everyone on the downhills.」 ↗biker.sk(2026年9月18日、Cyklistika 誌の本人インタビュー):「Vyskúšal som znova starý trik – išiel som naširoko bez toho, aby som musel brzdiť, a mal som tak vyššiu rýchlosť」「V rýchlosti, akou som vošiel na dlažobný sektor, som si rýchlo uvedomil, že to je buď teraz, alebo nikdy.」「Naklonil som sa, veril som svojim plášťom a rýchlo som sa pomodlil.」、地の文「aby išiel čo najrýchlejšie a nemusel pri tom šliapať do pedálov」 ↗
割れたステムで、パリ〜ルーベを勝った
自転車の扱いがものを言ったのは、下りだけではありません。2018年4月、石畳のワンデーレース、パリ〜ルーベ。世界王者のジャージを着たサガンは、ゴールまで54kmで集団を抜け出し、先行していた逃げに追いつきました。そのなかに、スイスのシルヴァン・ディリエがいました。
2024年の取材で、サガンはその日の石畳をこう振り返っています。「次の石畳の区間で大きな穴にはまって、急にハンドルが横を向いた。止まって直すことはできなかった」。逃げの選手は交代で先頭を引き、引き終えると列の後ろへ下がります。その下がったときに、彼は前の選手の後輪に自分の前輪をこつこつ当てて、ハンドルをまっすぐに戻しました。ところが次の石畳で、今度は反対側を向いてしまいます。ハンドルを支える部品のステムが、内側で割れていたのです。
「石畳の区間を抜けるたびに、列のいちばん後ろの選手の車輪に『うっかり』当てるしかなかった。ひとりは振り返って、『やめろ! 頭おかしいのか? 何してるんだ?』と怒鳴った。ずっと誰かに謝って、疲れてもう前も見えないんだと言い訳していたから、自分がばかみたいに思えた」。チームカーで後ろを走る監督が来てステムを締め直せたのは、ディリエ以外の選手が遅れ、後ろとの差が広がってからでした。
最後はルーベのベロドロームでの2人のスプリントになり、サガンが制しました。現役の世界王者がパリ〜ルーベを勝つのは、1981年のベルナール・イノー以来です。ディリエは苦笑いしながら、こう言っています。「サガンは天使と悪魔がひとりの中にいる。天使なのはとてもよく協力してくれたからで、悪魔なのは、ゴールへの一対一のスプリントになったら、なかなか勝てないからだ」
ただし、サガン自身の語りは一つではありません。2018年の自伝の版では、石畳でハンドルが緩み、前輪を当てる方法は「まったくうまくいかなかった。救ってくれたのはチームカーだった」とされています。どちらの版でも、走りながらハンドルを直す羽目になり、それでも勝ったことは変わりません。
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BBC Sport(2018年4月8日):「the first reigning world champion to win Paris-Roubaix since Bernard Hinault in 1981」 ↗Cyclingnews(2018年4月8日):「Dillier said with a wry smile. "An angel because he worked with me very well; a devil, because if you go with him in a man-to-man sprint for the finish line, he's hard to beat."」 ↗biker.sk(2026年4月10日、2024年の Cyklistika 誌の本人インタビュー):「V ďalšom sektore kociek som však chytil riadnu jamu a zrazu som mal vytočené riadidlá.」「Jeden sa na mňa otočil a kričal: Prestaň! Šibe ti? Čo robíš?」「Pripadal som si ako debil, lebo som sa stále niekomu ospravedlňoval a vyhováral sa, že od únavy už ani nevidím.」 ↗SME(2018年の自伝『Môj svet』からの引用):「Riadidlá sa na jeho zlatom bicykli uvoľnili po prejazde jedným z úsekov pavé」「Vôbec to však nefungovalo. Zachránilo ma až naše auto.」 ↗
トゥルマレを登りながら、サインをした
2019年7月、ツール・ド・フランス第14ステージ。ゴールはピレネーのトゥルマレ峠の頂上です。ポイント賞の緑のジャージ、マイヨ・ヴェールを着たサガンは、この日は勝負に加わらず、制限時間内の完走を目指して遅れた選手たちがまとまって走る集団、グルペットのなかで坂を登っていました。そこへ、水玉ジャージを着た裸足のファンが横を走ってきます。手には、前年に出たサガンの自伝とペンがありました。
サガンは本を受け取り、ハンドルに押し当てて表紙にサインすると、そのまま返して坂を登っていきました。ファンは跳びはねて喜び、手に入れた本をカメラに向けて見せていたといいます。後日、サガンはスロバキアのメディアにこう話しています。「ファンが本を持って横を走ってきた。彼がサインペンを用意していたから、サインした。彼は横を走ってこられたし、登りだったから、難しくはなかった。でも、運もよかった。少しあとで、警官に止められたんだ」
出典(3件)
Cycling Weekly(2019年7月21日):「this fan held out a copy of Sagan's recently published autobiography as well as a pen」「the Slovakian took the fan's book, held it against his handlebars and scrawled his autograph across the cover」 ↗Pravda(2019年):「Slovák si položil knihu na riadidlá a podpísal ju. Bosý fanúšik v bodkovanom drese radostne poskakoval a chválil sa cenným úlovkom do objektívu.」 ↗Športky Zoznam(2019年7月23日):「Fanúšik bežal vedľa mňa s knižkou. Keďže mal pripravenú fixku, tak som mu to podpísal. On dokázal vedľa mňa bežať a bolo to do kopca, takže to nebolo zložité. Mal však aj šťastie. O čosi neskôr ho odstavil policajt」 ↗
マウンテンバイクへ戻り、五輪には届かなかった
2023年1月、33歳の誕生日に、サガンはそのシーズンを最後にロードのプロ生活を終えると発表しました。次の目標はパリ五輪、それもマウンテンバイクです。「マウンテンバイクでキャリアを始めたから、マウンテンバイクで終えたいと、ずっと言ってきた」。40歳、50歳まで走るのが夢だったことは一度もない、とも話しています。
ただ、戻る先は出ていったときと同じ場所ではありませんでした。その年の秋、英国の専門サイトの取材で、本人はこれが一周して元に戻る話ではないと強調しています。「14年か15年前は、まったく別の競技だった。当時はレースがずっと長かったし、14、15年やらずにいれば失うものも多い。自分にとっては、F1からラリーに乗り換えるようなものになる」。それでも、まず望んでいたのは楽しむことでした。「来年いちばん大事なのは、楽しむこと。雰囲気はもっと穏やかで、自然に近い。でも、五輪にも出たい」
2024年3月には、もっと率直でした。「ロードで技術をたくさん失った。いまは技術的なことを取り戻すために、懸命にやらないといけない」。同じ取材で、こうも言っています。「自分の魂はマウンテンバイクから来ている」
2024年の初めから、レース中に心拍の乱れが出るようになり、彼は2度、心臓の処置のためにレースを離れました。5月には、ハンガリーのステージレースで、スロバキアのチームから久しぶりにロードのレースを走っています。山頂ゴールへの登りを後ろの集団で走りながら、彼はトゥルマレのときと同じように、ファンの差し出した自伝にサインしました。チームの公式アカウントは、その動画に「またやった」と添えています。
5月末に出場枠の期限が来たとき、スロバキアは五輪の国別ランキングで35位にとどまり、自動で出場できる上位19か国には遠く届きませんでした。彼がパリ五輪のマウンテンバイクを走ることはありませんでした。
出典(8件)
NBC Sports(2023年1月26日、記者会見の発言を Cyclingnews から引用):「Peter Sagan said 2023 will be his final year as a professional road cyclist」「The Slovakian made the announcement on his 33rd」「I always said I would like to finish my career on the mountain bike, because I started my career on the mountain bike」「It was never my dream to race or to be a professional rider until 40 or 50.」 ↗Cyclingnews(2023年9月30日):「Sagan insists that this career switch is not at all like he's coming full circle in his racing.」「For me, it's going to be like changing from Formula 1 driving to rallying.」「The main thing next year is to enjoy it,」「The atmosphere is more relaxed, you’re closer to nature…but then I want to be in the Olympic Games, too.」 ↗Gran Fondo(2024年3月12日):「I lost a lot of technique on the road, and now I have to work hard to get the technical stuff back.」「My soul is from mountain biking.」 ↗Cyclingnews(2024年5月28日):「Slovakia was 35th in the UCI MTB Olympic Qualification Ranking published today, well outside the top 19 nations」「hampered by irregular heart rhythms, which required him to stop racing twice for procedures. He returned to road racing at the Tour de Hongrie」 ↗Pravda(2025年6月21日):「Počas horských pretekov v španielskej Chelve mu namerali pulz dosahujúci viac ako 200 úderov za minútu」 ↗road.cc(2024年5月11日):「the Slovakia-based Pierre Baguette team for this week’s Tour de Hongrie」「He did it again 😭 Peter Sagan 🤝🏼 signing his book during the stage. #TourdeHongrie — Pierre Baguette team」 ↗Nemzeti Sport(2024年5月11日):「Peter Sagan útközben, a Kékesre menet dedikálta egy szurkolónak önéletrajzi könyvét a Tour de Hongrie-n.」 ↗CyclingUpToDate(2024年5月11日):「the riders found a summit finish atop Kékestető」「Sagan was not fighting for a result but instead in one of the groups behind. A fan recorded videos shows him signing a book whilst riding」 ↗
「人生がそうしてくれた」
2024年7月、スロバキアのマウンテンバイク選手権。短い周回で争うショートトラックでも、本来のクロスカントリーでも、サガンは2位でした。この年、彼がマウンテンバイクでレースを走ったのは7日だけ。その最後のゴールを、前輪を上げたウイリーで越えています。勝ったのはどちらも、マウンテンバイクに本気で取り組む国内の選手でした。サガンが表彰で銀メダルを受け取るとき、観客は大きな拍手を送りました。「ファンのみなさん全員に、これまでずっと支えてくれたことを本当に感謝しています。またどこかで会えると信じています」
直後の取材で、記者が尋ねました。始めたときと同じマウンテンバイクで終える。そこに象徴的なものを感じますか。サガンはこう答えています。「人生のほうがそうしてくれた。最初に、プロの自転車競技で走らないかという話が来た。そういう話は断らないものだ」
勝てなかったことについても、短く話しました。「そのために全力を尽くしてこなかったんだから、勝っていたら不公平だった。2位でもうれしい」
その約2週間後、彼はパリのトロカデロ広場にいました。選手としてではなく、UCIに招かれ、五輪のロードレースをスタートさせる役として。「ファンの立場のほうが楽だ。でも構わない、すべてはあるべき形になっている。自分の状況はもう受け入れたし、ここに来られてうれしい」
2026年、子どものころ自転車はつらくなかったかと聞かれた彼は、こう答えています。「つらいものだよ。でもジリナは自然が近かったと思う。家の門から踏み出せば、もう森の中。未舗装の道を、車の来ないところで走れる。それがすごく好きだった。自由が好きだったんだ」。マウンテンバイクで始まったキャリアは、マウンテンバイクで終わりました。戻る前に「自然に近い」と話していた彼にとって、五輪には届かなくても、そこで取り戻せたのは、勝つための場所ではなく、その自由のほうだったのかもしれません。
出典(4件)
SME(2024年7月21日):「V oboch prípadoch ho zdolal len Matej Ulík.」「najslávnejšieho slovenského cyklistu napokon zdolal o 4:12 min. Ten prišiel do cieľa typicky na zadnom kolese.」「V tejto sezóne strávil na horskom bicykli len sedem súťažných dní.」 ↗Pravda(2024年7月21日、選手権の直後の取材):「Zariadil to tak sám život. Na začiatku som dostal ponuku súťažiť v profesionálnej cyklistike. Niečo také sa neodmieta. Vždy som mal možnosť vrátiť sa späť k horskému bicyklu. Nebol k tomu však už väčší priestor.」「Bolo by nefér, ak by som mal vyhrať, pretože som pre to neurobil maximum. Som rád aj za titul vicemajstra.」「On k súťaženiu na horských bicykloch pristupuje s maximálnou vážnosťou.」「Všetkým fanúšikom veľmi pekne ďakujem za podporu, ktorú ste mi celý život prejavovali. Verím, že sa ešte niekde uvidíme」 ↗Pravda(2024年8月4日、SITA 配信):「slávnostne odštartoval z námestia Trocadéro」「Dostal som pozvanie od UCI」「Je jednoduchšie byť v pozícii fanúšika. Nevadí, všetko je tak ako má byť. Ja som sa už s mojou situáciou zmieril a som rád, že som tu mohol byť.」 ↗Denník Šport(2026年6月10日): 問い「Pre vás nebol bicykel rovnaká drina, keď ste boli v jeho veku?」への答え「Je to drina, ale ja si myslím, že sme mali v Žiline blízko do prírody. Odrazíte sa doma od brány a ste v lese. Už môžete jazdiť po teréne a mimo premávky. Toto sa mi veľmi páčilo. Páčila sa mi voľnosť.」 ↗
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この記事を書いた人
Grand Tour Hub 管理人
ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。