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アルベルト・コンタドール——脳の手術から始まり、アングリルで終わった

プロ2年目のレース中に倒れて脳の手術を受けた若者が、8か月後の復帰初戦で勝ち、やがてツール、ジロ、ブエルタの3つのグランツールをすべて勝ちます。最後のレースに選んだ母国のブエルタでは、初めてブエルタのステージを勝った山、アングリルの山頂ゴールに、もう一度ひとりで着きました。アルベルト・コンタドールの話です。

2026-10-06 公開

倒れた日、救急車の運転手は「務めを果たしただけ」

アルベルト・コンタドールは1982年にマドリードで生まれ、近郊の町ピントで育ちました。2003年にプロになり、その2年目の2004年5月12日、スペイン北部のステージレース、ブエルタ・アストゥリアスの第1ステージでのことです。43km地点で落車し、あごを路面に打ちつけました。気道がふさがり、体はけいれんしていました。大会の医師が気道を確保する管を口に入れ、ようやく息が戻っています。

最初に駆けつけたのは、大会の救急車を運転していたオスカル・スアレスでした。のちに、こう話しています。「最初に見えたのは、選手が自転車から前へ投げ出されて、道路わきの低い壁にぶつかるところだった。あれは普通の落車じゃなかった」。オビエドの病院へ急ぐ途中で先導のバイクがパンクして止まり、救急車はそこから先を自分たちだけで走りました。病院での診断は、頬骨の骨折と頭のけがでした。いちばん心配されたのは、頭の中にできた血の塊です。

この日のステージを勝ったのは、同じチームのルイスレオン・サンチェスでした。サンチェスは、その勝利と総合首位をコンタドールに捧げています。

4年後の2008年の取材でも、スアレスはその日コンタドールがかぶっていたヘルメットを宝物として持っていました。感謝されることは何もない、と彼は話しています。「自分は、ただ務めを果たしただけだ」

出典(3件)

AS(2004年5月13日):「al sufrir una caída en el kilómetro 43 de la primera etapa. Tras golpearse la mandíbula contra el asfalto, el ciclista del Liberty sufrió la obstrucción de las vías respiratorias y convulsiones. Los médicos de la Vuelta a Asturias debieron aplicarle el tubo de Guedel para hacerle recuperar el aire.」「le diagnosticaron una fractura del hueso malar, traumatismo craneal y diversas heridas. El mayor contratiempo, sin embargo, es un coágulo de sangre en la cabeza」「Su compañero Luis León Sánchez pudo dedicar la victoria y el liderato a Contador」 ↗El Mundo(2008年9月18日):「Lo primero que vi fue a un ciclista volar por encima de la bicicleta y golpearse contra el petril de la carretera. Aquello no era una caída normal」「la moto que nos abría camino pinchó. Tuvo que pararse y fuimos solos hasta Oviedo.」「asegura que Contador no tiene que agradecerle nada. "Yo, simplemente, cumplí con mi obligación"」「guarda como un tesoro el casco protector que llevaba Contador en aquella jornada」 ↗本人公式サイトの経歴(2018年9月のアーカイブ):「nace en Madrid, en el Hospital 12 de octubre, el 6 de diciembre de 1982 y desde pequeño reside en Pinto (Madrid)」 ↗

頭の傷跡を、毎朝見るのはいいことだと言った

2週間あまりたった5月28日、ピントの実家にいたコンタドールは、もう一度けいれんを起こします。運ばれたマドリードの病院で見つかったのは、海綿状血管腫でした。本人はのちに、脳の小さな血管から出血し、その圧力でレース中に意識を失ったのだと説明しています。6月11日の手術は5時間かかり、頭には2枚のチタンのプレートが入り、医療用のホチキスで70か所が留められました。頭には、大きなカチューシャのような形の傷跡が残っています。

手術から目を覚ました彼に、母親は「やろうと思えばできる」と声をかけました。このときから、これが自分の座右の銘になったと本人は話しています。ただ、そのころ彼が考えていたのは、また走ることではありませんでした。

2008年のインタビューで、死を近くに見たかと聞かれて、彼は「すぐ近くに見た」と答えています。また走れると思っていたか、という問いにはこうです。「生きることを考えていた!」。体が動かなくなるおそれがあり、目にも、気持ちのありようにも問題が出ていました。それはのちにすべて治っています。2004年は、もうレースに戻りませんでした。医師から自転車に乗る許可が出たのは、11月27日です。

傷跡について、彼はこう話しています。「人間とは何か、人生とは何かを知って、持っているものを大切にするために、毎朝その傷跡を見るのは自分にとっていいことなんだ」

出典(6件)

El Mundo(2008年9月18日):「Fue el 28 de mayo, estaba en la casa de sus padres, en Pinto, y fue Manolo Saiz quien le trasladó al Hospital Ramón y Cajal de Madrid, donde fue intervenido el 11 de junio de un maldito cavernoma cerebral. La operación duró cinco horas y al ciclista le colocaron dos placas de titanio y 70 grapas.」「una marca en la cabeza en forma de gran diadema」 ↗Cyclingnews(2005年1月22日、本人談):「I bled from a little vein in my brain, and it built up a pressure that made me pass out on my bike while racing Tour of Asturias last year.」 ↗本人公式サイトの経歴(2018年9月のアーカイブ):「Esa temporada ya no volvió a competir」 ↗The Guardian(2015年11月16日):「As soon as I felt fear I made myself think of something else. When I woke up my mother said ‘ querer es poder ’. In English it means ‘where there is a will there is a way’. It became my motto from that moment.」。本人公式サイトの経歴は逆に「彼が母に言った」と書くが、本人の証言を採った ↗Diario de León(2008年10月8日):「¿usted ha visto la muerte de cerca? - La vi muy cerca.」「¿Creía que iba a volver a correr? - ¡Pensaba en vivir! La movilidad de mi cuerpo peligraba, se podía quedar paralizado.」「Tenía problemas en la vista, con el carácter. Luego se subsanó todo y quedé bien.」「Me viene bien verme cada mañana la cicatriz para saber lo que somos, lo que es esta vida, y valorar lo que tienes.」 ↗Cyclingnews(2018年4月18日、英語での取材):「finally, they gave me the all clear on November 27 [of 2004] to start riding a bike again」 ↗

復帰の初戦、総合首位のチームメイトが勝利を譲った

2005年1月、コンタドールはオーストラリアにいました。復帰の舞台は、ステージレースのツアー・ダウンアンダーです。彼は、ゼッケンを付けた自分を写真に撮り、動画も撮りました。倒れてから8か月、一時はまた走れるかどうかも分からなかった体で、もう一度スタートラインに立ったのです。

1月22日、最終日の前日の第5ステージは、最後の登りがウィランガ・ヒルの日でした。その登りで、コンタドールは同じチームのルイスレオン・サンチェスと2人で先頭の集団をばらばらにし、抜け出します。サンチェスはこのとき総合首位にいました。コンタドールが倒れたあの日にステージを勝ち、その勝利を彼に捧げた人です。ゴールでは、今度はサンチェスが勝利をコンタドールに差し出し、コンタドールが先にゴールラインを越えました。

2018年のインタビューで、彼はこのレースをこう振り返っています。「あれは、普通の生活へ戻る最初の一歩だった」。ひとりで練習するより、レースに出るほうがいいと自分に言い聞かせた、とも話しています。「そうすれば少なくとも、また何か起きても、集団には救急車がついてきて、まっすぐ病院へ運んでくれる」。そして、こう続けました。「あの年のツアー・ダウンアンダーの勝利は、間違いなくキャリアでいちばん特別な勝利だった」。スペインの新聞にも、彼は同じことを繰り返し話しています。「いちばん大事な勝利だ」

出典(3件)

Cyclingnews(2005年1月22日):「Alberto Contador was given the stage win by his teammate and race leader Luis Sanchez after the pair destroyed the leading bunch on the final climb of Willunga Hill.」「At the finish, Sanchez offered Contador the victory, and Contador proudly crossed the line to show that he was back on the racing scene again.」「on the penultimate race day」 ↗ABC(2017年9月9日):「Se sacó fotos cuando se colocó el dorsal. Grabó un vídeo.」「«Mi triunfo más importante», repite.」。手術のあとの見通しは Cyclingnews(2018年4月18日、英語での取材)「I had no idea if it would be possible to race again」 ↗Cyclingnews(2018年4月18日、英語での取材):「it represented my first step back to a normal life」「I told myself that this was the best thing to do because that way, racing, rather than training by myself, at least if something went wrong again, I'd have an ambulance following me in the peloton that could take me straight to hospital!」「definitely, that victory in the Tour Down Under that year was the most special of my career」 ↗

24歳でツールを、25歳でアングリルのステージを勝った

2007年のツール・ド・フランスで、コンタドールは山頂ゴールのプラトー・ド・ベイユでステージを勝ちます。総合首位の黄色いジャージ、マイヨ・ジョーヌを着たのは、残り4日のときでした。それまでの首位の選手が、所属チームにレースから外されたためです。最終日の前日、55kmの個人タイムトライアルを終えて、2位のカデル・エヴァンスとの差は23秒。24歳での総合優勝は、スペイン人として最も若い記録でした。新人賞の白いジャージも、あわせて手にしています。

プラトー・ド・ベイユのゴールで、彼は指でピストルの形を作り、撃つしぐさをして見せました。日本でロードレースを中継する J SPORTS の記事が「バキューン」と呼ぶこのポーズは、確認できるものでは同じ年の春、パリ〜ニースの最終ステージが最初だそうです。勝つとよく見せたこのポーズがもとで、彼は「エル・ピストレロ」、スペイン語でガンマンと呼ばれるようになりました。

翌2008年にはジロ・デ・イタリアとブエルタを続けて勝ち、スペイン人で初めて3つのグランツールすべてを制しました。

彼の記録には、取り消された優勝もあります。2010年のツールで受けたドーピング検査で、禁止薬物クレンブテロールがごく微量検出されました。コンタドールは、スペインから運ばれてきた肉による「明らかな食品汚染」だと主張し、スペイン自転車競技連盟は2011年2月に彼を処分しないと決めます。国際自転車競技連合と世界アンチ・ドーピング機構がこれをスポーツ仲裁裁判所に訴え、裁判所は2012年2月6日、2年間の資格停止を言い渡しました。疑われていた輸血や、本人の言う汚染された肉よりも、汚染されたサプリメントを摂った可能性が高い、という判断です。2010年のツールと2011年のジロの優勝は、取り消されました。引退後の本人の公式サイトは、取り消された優勝も数えて、グランツールの総合優勝を9回としていました。

公式記録に残るグランツールの総合優勝は、2007年と2009年のツール、2008年と2015年のジロ、2008年、2012年、2014年のブエルタの7回です。その最初のブエルタ、2008年の大会で、彼は初めてブエルタのステージを勝ち、初めてリーダージャージを着ています。場所は、アストゥリアスの山、アングリルの山頂ゴールでした。

出典(9件)

本人公式サイトの経歴(2018年9月のアーカイブ):「Michael Rasmussen, que fue obligado a retirarse por su equipo, el Rabobank. A cuatro días del final, Alberto Contador se encontró vestido de amarillo」「Cognac-Angouleme, de nada menos que 55 kilómetros」「el corredor de Pinto sigue considerando como suyas todas las victorias de su palmarés y cuenta nueve grandes tours en su haber」 ↗Libertad Digital(2007年7月30日):「Alberto Contador, el español más joven en el apartado de ganadores con 24 años」「La diferencia de 23 segundos sobre el australiano」「se llevó el jersey blanco de mejor joven」「un sólo triunfo de etapa, precisamente el de Contador en Plateau de Beille」 ↗EsCiclismo(2008年9月21日):「se convirtió en el primer ciclista español en conseguir la victoria en el Tour de Francia, el Giro de Italia y la Vuelta a España」 ↗J SPORTS(2017年10月16日):「2007年ツール第14ステージ 世界に向けてバキューン♪ プラトー・ド・ベイユのてっぺんで、初々しい一発を放った」「ちなみに現在確認できる最古のバキューンは、同年春のパリ~ニース最終ステージ」「指ピストルを出した」「2008年に人生初めてブエルタ区間勝利を手にし、初めてのリーダージャージを身にまとった思い出の頂で、最後のチャンスを見事に射止めた」 ↗J SPORTS(2013年7月18日):「「エル・ピストレロ(ガンマン)」は」「得意のピストルを、表彰台の上でぶっ放すことはできなかった」 ↗Ciclismo a Fondo(2015年11月23日):「su característica celebración, lanzando un disparo al cielo, que le ha valido durante toda su carrera el sobrenombre de "El Pistolero"」 ↗El País(2010年9月30日):「ha sido víctima de un "claro caso de contaminación alimentaria"」「tuvo la deferencia de traerle al cocinero del equipo desde España para que comiéramos en el Tour」「La "millonésima parte" [50 picogramos por ml] de clembuterol」 ↗RTVE(2012年2月6日):「la sospecha de una supuesta autotransfusión」「Contador es absuelto por la Federación Española de Ciclismo, que archiva el expediente en febrero de 2011」「la Unión Ciclista Internacional decidió recurrir ante el TAS」「recurso al que se sumó la Agencia Mundial Antidopaje (AMA)」「más que probable que haya sido causado por la ingestión de un suplemento alimenticio contaminado, que por una transfusión sanguínea o por ingestión de carne contaminada」「por lo que pierde el Tour de 2010 y los triunfos logrados en 2011 (Giro de Italia」 ↗Ciclismo a Fondo(2017年11月20日):「Tour 2007, Giro 2008, Vuelta 2008, Tour 2009, Vuelta 2012, Vuelta 2014 y Giro 2015. Sus siete grandes vueltas.」 ↗

「悲しくて言うんじゃない」——遅れても11日攻めた

2017年8月7日、34歳のコンタドールは、インスタグラムに動画を投稿しました。「この動画で、2つのことを伝えたい。ひとつは、8月19日から始まるブエルタ・ア・エスパーニャに出ること。もうひとつは、それがプロとして最後のレースになることだ。うれしい気持ちで言っている、悲しくて言うんじゃない。よく考えて決めたことだ。地元の、自分の国のレースより良い別れの場はないと思う」

主催者は、ゼッケン1を彼に譲ると発表しました。輝かしいキャリアへの敬意だ、と説明しています。この番号は前年の大会の優勝者のためのものですが、2016年の覇者ナイロ・キンタナは、この年は出場していませんでした。

ところが第3ステージ、アンドラへ向かう山岳の日に、彼は総合を争うライバルたちから2分33秒遅れます。「感覚はひどかった。こたえるよ。まったく力が出なかった」。この遅れが最後まで響き、総合首位も表彰台も争えなくなりました。それでも彼は、攻撃をやめていません。スペインの新聞ASの数えでは、この大会で彼が仕掛けた日は11日にのぼります。

出典(5件)

Cadena SER(2017年8月7日):「Hago este vídeo para informaros de dos cosas. Una es que participaré en la próxima Vuelta a España, a partir del día 19 de agosto. Y la segunda es que será mi última carrera como ciclista profesional. Lo digo contento, no lo digo con pena. Es una decisión que he pensado muy bien. Y no creo que haya una despedida mejor que una carrera en casa y en mi país.」 ↗ABC(2017年8月7日):「ha anunciado a través de un vídeo en su cuenta de Instagram」 ↗RTVE(2017年8月8日):「Ese dorsal se reserva al ganador de la edición anterior pero Nairo Quintana no corre este año」「La organización le cede el 1 "como homenaje a su brillante carrera"」 ↗El Mundo(2017年8月21日):「«Las sensaciones han sido malísimas, es un palo. Me he encontrado muy flojo»」 ↗AS(2017年9月10日):「Los 2:33 minutos que perdió en la tercera jornada en Andorra han sido un lastre que le ha impedido luchar por el maillot rojo y por el podio.」「Ha atacado cada día que ha podido: hasta once días, según nuestras cábalas.」 ↗

初めてブエルタで勝った山で、最後にもう一度勝った

9月9日、最終日の前日の第20ステージは、アングリルの山頂がゴールでした。その朝、スペインの新聞ABCはこう書いています。「コンタドールは今日、プロとして最後の坂を上る。選んだのはアングリルだ」

アングリルの手前の峠、コルダルの下りが終わるところで、チームメイトのハリンソン・パンタノが全力で飛び出し、その後ろについたコンタドールとともに差を開きます。アングリルの登りに入ると、2人は、その日の序盤から集団より前を走っていた別のチームのエンリク・マスに追いつきました。当時22歳のマスは、ジュニア時代の3年間をコンタドールの財団の育成チームで走った選手です。コンタドールはこの大会のあいだに、マスを自分の後継者になりうる選手として名前を挙げていました。パンタノが力を出し尽くしていくなか、マスはチームの垣根を越えて、即席のアシストのように前を牽きました。

やがてコンタドールは、さらに前を走っていた選手たちにも追いつきます。最後まで食い下がったのは、その中にいた23歳のマルク・ソレルでした。ゴールまで5.5km、コンタドールはソレルを置いて、ひとりになります。そのまま山頂のゴールに先頭で着き、ステージを勝ちました。現役最後の勝利のゴールで、彼はもう一度あのピストルのポーズを見せています。総合首位のクリス・フルームたちは17秒遅れでゴールし、この日の勝利で彼は総合4位に上がっています。「今日が自分の日だと分かっていた。別れを告げるのに、これ以上の場所はなかった」。ゴールして、最初に口にした言葉です。

出典(6件)

ABC(2017年9月9日):「Alberto Contador sube hoy su última cuesta como ciclista profesional. Ha elegido el Angliru.」 ↗Marca(2017年9月9日):「Terminaba el descenso del Cordal y Pantano se lanzó con todo con su líder a rueda para abrir un importante hueco.」「Los dos del Trek-Segafredo conectaron con Enric Más, del QuickStep y ex de la Fundación Contador Team」「que durante esta edición lo nombró como su posible sucesor」「Pantano se vaciaba y Mas le hacía de improvisado gregario.」「Pronto logró llegar a la cabeza de carrera, donde se juntó con escapados de gran nivel como Simon Yates, Romain Bardet o Marc Soler. El catalán fue el último en verle antes de que se fuera en solitario.」「"Sabía que era mi día y que no había lugar mejor para despedirse". Estas fueron sus primeras palabras tras cruzar la meta.」 ↗J SPORTS(2017年9月10日):「プロ1年生の若者は、ジュニア時代の3年間、コンタドールが手がける育成チームで走ってきた」「23歳マルク・ソレルや22歳エンリク・マス」 ↗Cycling Weekly(2017年9月9日):「Contador is fourth at 3-11」 ↗Cyclingnews(2017年9月9日):「Contador had no problem maintaining his slim lead and crossed the line letting off his Pistolero celebration salute」 ↗RTPA(2017年9月9日):「A 5,5 kilómetros de la meta, cuando marchaba junto a Marc Soler, dio el golpe definitivo」「A 17 segundos entraron el holandés Wouter Poels y Froome (Sky)」 ↗

マドリードでは泣かなかった。泣いたのは前日だった

翌日、マドリードでの最終ステージで、コンタドールは集団が割れた切れ目で前の集団から7秒遅れ、総合4位をウィルコ・ケルデルマンに明け渡して5位で終えました。それを気にするそぶりはなかった、とASは書いています。チームメイトたちはテレビカメラの前で「もう1年!」と歌い、彼はスペイン国旗をなびかせて名誉の一周を走りました。

シベレス広場の表彰台には、大会総合敢闘賞を受けるため、トレック・セガフレードのチームメイトと一緒に上がりました。観客がいっせいに彼の名前を叫ぶなかで、彼は「こんなにいい瞬間をもらえるなんて、自分は何をしたんだろう」と口にしています。泣いたかと聞かれると、こう答えました。「今日は泣いていない。でも、昨日は泣いた。たくさんの人が見ていたよ。昨日は最高だった。伝説の峠、ひどい天気。記憶に残る一日だった」

出典(2件)

AS(2017年9月10日):「No le importó haber perdido la cuarta plaza ante Wilco Kelderman por un corte de siete segundos.」「Hasta sus compañeros Markel Irizar y Edward Theuns se lo cantaron en directo para las cámaras de televisión: "¡Un año más!"」「una vuelta de honor con la bandera de España al viento」 ↗EsCiclismo(EFE、2017年9月10日):「"Hoy no, pero ayer sí. Y mucha gente lo vio. El día de ayer fue lo máximo. Un puerto mítico, un tiempo malo, un día de los que se recuerdan ..."」「"¿Qué he hecho para recibir este momento tan bueno?", se ha preguntado cuando, en el podio junto a sus compañeros del equipo Trek-Segafredo, que le han acompañado a recoger el Premio al Corredor más Combativo, ha recibido una ovación atronadora y ha escuchado cómo todo el público gritaba su apellido al unísono.」 ↗

育成チームから、12年ぶりのスペイン人覇者が出た

最後のステージを終えたマドリードで、彼はこれからのことも話しています。「財団で若い選手の育成に取り組みながら、来年にはもうコンチネンタルチームを出すつもりだ。それに、2004年に自分は脳卒中を起こした。これからは、この病気と闘い、苦しんでいる人たちのために、自分にできる小さなことをする時間がある」。あの日の病を、彼はここで脳卒中と呼んでいます。彼の財団は、その活動の目的に、まず脳卒中を知ってもらうことを掲げています。

その育成チームは2018年にコンチネンタルチームへ上がり、やがて元選手のイヴァン・バッソとともに運営するプロチームになりました。2024年からは、イタリアの家電ブランド、ポルティの名前を冠しています。

あの日アングリルで前を牽いた、この育成チーム出身のマスが、2026年、グラナダでブエルタの総合優勝を決めます。スペイン人のブエルタ制覇は、2014年のコンタドール以来12年ぶりでした。

出典(4件)

EsCiclismo(EFE、2017年9月10日):「Me voy a dedicar a la Fundación Contador trabajando con ciclismo de base, pero ya con la idea de sacar el año que viene un equipo continental. Además, en 2004 sufrí un ictus y ahora tendré tiempo para aportar mi granito de arena para combatir esta enfermedad y a sus afectados」 ↗Fundación Alberto Contador:「Somos una entidad sin ánimo de lucro con la misión de dar a conocer el ictus」 ↗Polti(2023年11月7日):「Su apoyo hizo posible el paso del equipo a la categoría Continental en 2018」「El Team Polti Kometa se embarca en su viaje」「la prestigiosa incorporación de Polti en 2024」 ↗EsCiclismo(2023年7月20日):「Alberto Contador e Ivan Basso contarán con el apoyo de Polti como patrocinador de su equipo ciclista profesional, sub-23 y júnior, el Eolo-Kometa」 ↗

この記事の選手

アルベルト・コンタドールの写真

Alberto Contador

アルベルト・コンタドール

2017年引退

レース中に倒れて脳の手術を受け、最後のレースではアングリルの山頂でひとり勝った人です。

管理人のひとこと

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コンタドールの指のピストルは、漫画『弱虫ペダル』にも出てきます。主人公たちのライバル校、箱根学園のスプリンター新開隼人の「バキュンポーズ」です。2017年、コンタドールがアングリルで最後に勝ってピストルを撃つと、アニメの公式アカウントはそれを新開の元ネタだと紹介しました。

実在の選手を知っていると、漫画が一段楽しくなります。新開が誇りをかけた戦いに挑む15巻は、表紙の新開もこちらへ指を向けています。

この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

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