ブエルタ・ア・エスパーニャ2026 総集編2026年9月15日文: Grand Tour Hub 管理人

3度2位の男が、ついに総合優勝した——ブエルタ2026、7つの瞬間

モナコ → グラナダ 21ステージ・23日間の総集編(第3ステージは中止)

モナコを出た184人のうち142人がグラナダに着いて、81回目のブエルタ・ア・エスパーニャが終わりました。3週間、毎日の観戦記で追いかけたレースを、今度は少し違う角度から振り返ります。選んだのは、順位表の数字の裏にある7つの瞬間。スペインとマヨルカ、スロベニア、オーストリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリアの現地メディアまで潜ってみると、あの日のあのシーンが、まったく違う物語に見えてきます。

シーズンを終えた王者は、自分が走らない世界選手権へ行くことにした

タデイ・ポガチャ第8ステーの道で何を失ったのかは、しばらく分からないままでした。診断は脳震盪、左鎖骨のずれを伴う骨折、C7頸椎(首の骨のいちばん下)の骨折。鎖骨の手術が終わったのは、その2日後の休息日の午後です。

その先を語ったのは、UAEチーム・エミレーツ・XRGのゼネラルマネージャー、マウロ・ジャネッティです。9月10日、イタリアの公共放送RAIのラジオ番組「ラディオコルサ」でこう話しました。

「落車は重かった。ずれた鎖骨の骨折はとても複雑な手術を必要としたし、そのうえ脳震盪もあった。そこから、今年はもう走れないのは明らかだった。ただ、本人が選んだわけではないその決定を彼が受け入れるまで、何日か待つのが正しいと思った」

消えた予定は3つありました。9月27日の世界選手権——カナダのモントリオールで開かれる、彼が2年続けて勝っている大会です。10月初めの、自国スロベニアでの欧州選手権。ジャネッティはそれを「自分の家の玄関の前で、自分の国の人たちの前でのレース」と呼びました。そして、6連勝のかかったイル・ロンバルディア。

「これが自転車競技だ。いま彼は落ち着いている。走れない失望はもちろん大きいが、それもスポーツの一部で、あの落車はもっと悪い結果になりえたことも、彼は分かっている」

落車の数日後、チームは契約の延長を発表しました。2032年までです。怪我の結果ではなく、何か月も前から話していたことだ、とジャネッティは言っています。

そして彼は、走らない世界選手権に行くことを決めました。スロベニア代表の監督が、スロベニアの公共放送RTVSLOに明かしています。「これは言える。タデイも僕らと一緒にカナダへ来る。今回は応援する人として。ロードレースの前の火曜日に来て、僕らを励まし、そしてもちろんウルシュカ・ジガートを応援する」

ジガートは彼のパートナーで、同じ大会の女子のレースに出る予定でした。ただ、ブエルタの最終日と同じ日曜に、フランスのレースの落車で顎をまた折ったとチームが発表し、シーズンはそこで終わる見込みになりました。監督がこれを話したのは、その前日です。

出典(5件)

Gianetti razkril resnost Pogačarjevih poškodb(ジャネッティの発言のスロベニア語訳と、失われた3つの目標。スロベニア語)— siol.netGianetti su Pogacar(RAI「ラディオコルサ」での発言のイタリア語原文。「L’incidente è stato grave. La rottura scomposta della clavicola ha necessitato di un’operazione molto complessa」ほか)— OA SportRoglič prvi kapetan, Tratnik že v Kanadi, kamor kot navijač pride tudi Pogačar(9月12日。代表監督の「Lahko potrdim, da bo tudi Tadej z nami v Kanadi, tokrat kot navijač」。スロベニア語)— RTV SlovenijaMauro Gianetti su Pogačar(発言が9月10日のRAI「ラディオコルサ」であることの出どころ。「nella puntata di martedì 10 settembre del programma Rai, RadioCorsa」。イタリア語)— SpazioCiclismoKaj nova poškodba Urške Žigart pomeni za slovensko ekipo na svetovnem prvenstvu?(9月15日。ジガートの顎の再骨折とシーズン終了の見込み。「znova zlomila čeljust in da je njena sezona po vsej verjetnosti končana」。スロベニア語)— siol.net

「引退しないで」の紙に、彼はどちらとも言えない仕草を返した

プリモシュ・ログリッは36歳、レッドブル・ボーラ・ハンスグローエのスロベニア人です。このブエルタを7回走って、6回表彰台に上がっています。総合優勝4回、今年の2位、2023年の3位。途中で去ったのは2022年の1回だけです。

その7回目に向けた準備は、計画どおりにいきませんでした。7月の終わりに車にはねられ、5週間走れないままスタートに立っています。グラナダで彼が言ったのは、「最後にできることはやったから、この2位は僕には勝利に見えている」でした。

第9ステージのあと、彼はこう話しています。「自分では大したことはしていないけれど、いい天気の外でまた自転車に乗れるのはいいことだ。上りはきつくて何人かは僕には速すぎたけれど、満足している」。この言葉はスロベニアで評判になり、最終日、レッドブル・ボーラ・ハンスグローエはそれをTシャツの背中に印刷しました。「ブエルタの最終日、僕らはプリモシュ・ログリッチの名言を着ています」とチームは書いています。

その最終日、最後の1周で観客に手を振る姿がカメラに捉えられています。スペインの記者たちは、別れを告げているのだと書いています。スタート前には、「プリモシュ、引退しないで」と書かれた紙を持つファンに近づいて、手で、どちらとも言えないという仕草をしました。

会見で、来年またブエルタに来るのかと聞かれています。「かもしれないけれど、どんな状態でどんな役で来るのかは分からない。もしかしたら観客としてだけ。見てみましょう。いまは一日ずつ進みます。次のブエルタまでは、まだ1年ある」

3年続いたチームとの契約は12月31日で終わり、次の所属先はまだ決まっていません。10月29日に37歳になります。

そのゴールで待っていたのは、妻と2人の息子でした。息子のひとりは2019年、彼の最初のブエルタにも来ています。生後3か月で、母親とキャンピングカーでスペインを回っていました。

出典(5件)

Hudomušna izjava Primoža Rogliča po novem tudi na majicah(第9ステージ後の発言のスロベニア語原文「Sam nisem naredil veliko, a lepo je spet kolesariti zunaj, v lepem vremenu」とTシャツ)— siol.netBomo Rogliča še videli na Vuelti? 「Morda samo še v vlogi gledalca」(「引退しないで」の紙への仕草、会見での発言。スロベニア語)— RTV SlovenijaMas končal dvanajstletno špansko sušo; Roglič: Drugo mesto kot zmaga(「Na koncu sem naredil, kar se je dalo, zato na to drugo mesto gledam kot na zmago」。スロベニア語)— RTV SlovenijaRoglič vroča žemljica na tržnici(契約が12月31日で終わること、7月のチーム代表の公表、最終ステージの場面。スロベニア語)— siol.netNajlepši prizori iz Granade: Roglič po Vuelti v objemu družine(家族の待つゴール、7回で6回の表彰台、2019年のキャンピングカー。スロベニア語)— siol.net

69年でひとりだけだった国から、彼は1年で2度グランツールの表彰台に上がった

グラナダの表彰台の3段目に立ったのは、フェリックス・ガ、28歳です。オーストリアの選手がブエルタの表彰台に上がるのは、これが初めてでした。

それだけではありません。5月のジロ・デ・イタリアで2位に入ったとき、彼はグランツールの表彰台に立った2人目のオーストリア人になっています。1人目は1957年のツール・ド・フランスで3位に入った選手で、そこから69年、誰も続いていませんでした。ガルはその空白を埋めた同じ年のうちに、もう一度上がったことになります。今シーズン、2つのグランツールで総合の表彰台に乗ったのは、彼ひとりです。

シーズンの初めに、彼はツール・ド・フランスを走らないと自分で決めていました。グランツールの表彰台という、まだ一度も届いていなかった目標のために空けたのです。

「表彰台に上がれて、とても、とてもうれしい。これから来るもの全部が楽しみだ」——オーストリアの公共放送ORFに寄せた言葉です。「今年の一番の目標は、グランツールで表彰台に乗ることだった。ジロでもうその目標には届いていた。今度はブエルタで、同じことをもう一度やれた」

2つの表彰台に、ステージ勝利はひとつも付いていません。ジロの2位もブエルタの3位も、タイムトライアルで失った時間を山で取り返して積み上げた、3週間ぶんの結果です。最後の山の日にはログリッチへ仕掛けて1分近くを奪い、2位まで29秒に迫りました。

今年、ポガチャもヨナス・ヴィンゲゴーも落車の怪我でグランツールを失っています。ガルはそれを免れました。免れなかったのは、彼が山で頼ってきた選手のほうです。第13ステー、1級アルト・デ・ラ・バンタ・デ・ラ・セバダで落車したグレゴール・ミュールベルガは、いちど乗り直しましたが、走り続けられませんでした。そのとき彼は総合9位でした。

ガルが感謝を向けた先には、そのチームがありました。各ステージで上位3人の合計タイムを足し上げるチーム総合を、デカトロン・CMA CGMが制しています。そしてORFは、これがガルにとってデカトロンでの最後のグランツールだと書きました。取り沙汰されているリドル・トレックへの移籍の発表が目前で、移るときはミュールベルガーも一緒だと見られています。

出典(3件)

Gall schafft Historisches: Dritter bei Vuelta(オーストリア初のブエルタ表彰台、1957年からの69年、シーズンの組み立て、「seinem höchstwahrscheinlich letzten Einsatz für den Decathlon-Rennstall」。ドイツ語)— ORF チロルVuelta: Gall schreibt erneut Radsportgeschichte(本人の言葉「Ich habe es aufs Podium geschafft und bin sehr, sehr glücklich」、ツールを走らない決断、1957年のアドルフ・クリスティアン、今季2つのグランツール表彰台は彼だけ。ドイツ語)— ORF スポーツEl ciclista de Almería que brilla en la Vuelta de Enric Mas(各賞の一覧。「Decathlon la tabla por equipos」。スペイン語)— La Voz de Almería

ゼッケンのない生活の話を、2人はもう始めていた

最終日、引退する5人のために、残る137人が自転車を垂直に立て、前輪を頭上に掲げて花道を作りました。その5人のうち2人は、この夏のあいだに、そのあとの話をしていました。

ステフェン・クライスヴァイは39歳、ヴィスマ・リースアバイクのオランダ人です。24回目のグランツールが最後でした。第16ステージの朝、オランダの公共放送NOSがその言葉を伝えています。「土曜のきつい山のステージのあとは、こう思った——このあと終わるのがうれしい、と。17年も苦しめば、もう十分だからだ。いまはゼッケンのない生活を楽しみにできる」「もう計画はある。やめたあとに何もなくなるのが怖い、とは思っていない」

その計画は、選手のお金の相談に乗る仕事に移ることでした。大きな契約をどう扱うか、投資や資産をどうするか、契約の最初の時期に何をしておくか。「本人たちはそこに目を向けたがらないけれど、キャリアの終わりのためには必要なんだ」。マネージャーと2人で、その準備を始めているといいます。「僕のキャリアは17年あった。でも10年で終わることもある。そのキャリアのあとには、また丸ごと新しい人生がある」

最後のグランツールのスタートは、自宅の前でした。モナコです。家族と友人もそこにいました。「僕らはあの瞬間に向かって働いていた。集団の中を走るのはこれが最後だと、よく分かっていた。そして来年からは、別の人生がある」

マグナス・コルは33歳、ウノエックス・モビリティのデンマーク人です。6月に引退を発表したとき、デンマークのメディアFeltetにこう説明していました。「少しずつ年を重ねている。いまがいい時期だと思う。たくさん勝った。ワンデーレースで少し復調もしたけれど、急に大きく良くなると信じるのは難しい」「まだ楽しいうちに、そしてまだいちばん上のレベルにいるうちに、やめたいとも思う」

そのあと何をするのかは、まだ決まっていません。インスタグラムでホテルの感想を書いていることを聞かれて、彼は笑いました。「計画は何もない。旅をしてホテルの感想を書くのが食べていく道になるなら、すごく面白いだろうけど、そうなるとは思えない」

出典(3件)

De laatste dagen van Kruijswijk als profrenner: 「Het afzien is na 17 jaar wel genoeg」(第2休息日のインタビュー。モナコのスタート、7勝の目標、引退後の計画。オランダ語)— NOSSteven Kruijswijk-s final Vuelta: Monaco, Van Aert, Pogacar and life beyond the peloton(引退後の計画。「We-ve made a plan, and we-re thinking of going into the financial side of the sport and focusing more on the athletes themselves」「I had a career of 17 years, but it can also be 10 years, and after that career, yeah, it-s a whole new life again」。英語)— DomestiqueCort forklarer karrierestop(6月の引退発表の理由。「Jeg kunne også godt tænke mig at stoppe, mens legen er god」とホテルの感想の話。デンマーク語)— Feltet

グランツールがブエルタだけになった年に、表彰台で2度呼ばれた

ワウト・ファンアールの2026年の予定には、ツール・ド・フランスとブエルタの両方が入っていました。

6月、ツール・オーヴェルニュ・ローヌ・アルプが始まる前の週に、彼は練習で転んで肘に擦り傷を作ります。それでもそのレースの第5ステージを集団スプリントで勝ちました。

おかしくなったのは、その勝利のあとです。レースを降りたときには肘が腫れ、炎症の兆しが出ていました。ベルギーで傷を洗って抗生剤を始めても効かないまま、腕は手から脇の下まで腫れ上がり、血液の炎症の数値は上がり続けます。ヘレンタルスの病院で、スポーツ外科医が手術に踏み切りました。彼は敗血症——感染に対して体の防御が過剰に反応し、命に関わることもある状態——の危険にさらされていました。ここまでが、チームでパフォーマンスを統括するスタッフの説明です。

6月17日、ツール欠場が発表されました。「これは大きな失望だ。ツール・ド・フランスは毎年、僕のいちばん大事な目標のひとつだ」。こうして、2026年に彼が走ったグランツールは、ブエルタだけになりました。

その3週間で、彼は5回逃げに乗りました。第13ステージと第15ステージを勝ち、ポイント賞の緑のジャージを獲り、山岳賞では2まで行きました。獲得標高4,850m、この大会で2番目に重い第20ステーでも、レースが正式に始まったところから自分で前へ出ています。そして3週間、マシュー・ブレナセップ・クのためにも走りました。

その第20ステージを終えた土曜の夜、山を下りてきた彼を、チームは緑に塗ったチェルヴェロで迎えました。緑のジャージには緑の自転車を、というわけです。

翌日のグラナダの周回は彼向きのコースでしたが、脚は残っていませんでした。「最初の上りでもう感じた。もう少し良ければ、マシューを助けて一緒に前を保てたのに」

そして表彰台です。ファンアールトは最初に呼ばれ、緑のジャージのためだと思って上がりました。「上に立ってから初めて分かった。緑のジャージから始めるなんて変だな、と思っていたら、それがスーパー敢闘賞だった」。3週間を通していちばん果敢だった選手に、大会でひとつだけ贈られる賞です。

数分後、彼はもう一度呼ばれました。緑のジャージです。2年前、彼はその緑をほとんど手にしていました。最終週に落車して膝をひどく痛め、ポイント賞と山岳賞の首位のまま大会を降りています。走り切らなければ、ジャージは持ち帰れません。「あれは僕のキャリアでいちばん大きな失望のひとつだった。重い怪我にもなったから。ここに無傷で立って、この勝利を持って帰れるのが本当にうれしい」

「これは調整レースじゃなかった。それ自体が目標で、一日一日、全部を出そうとしてきた」。火曜日、彼はモントリオールへ発ちます。ポガチャが応援に来る、あの世界選手権です。

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出典(6件)

Wout van Aert belandde door infectie zelfs in ziekenhuis: 「Was even een heel serieuze situatie」(6月17日。ヴィスマのパフォーマンス責任者がベルギーの新聞 Het Laatste Nieuws に語った経緯と、敗血症の危険。オランダ語)— WielerFlitsWout van Aert moet passen voor Tour de France door aanslepende elleboogblessure(6月17日。本人の「Dit is een grote teleurstelling. De Tour de France is ieder jaar een van mijn belangrijkste doelen」。オランダ語)— SporzaVan Aert door oog van de naald: schokkende blessure-details bekend(「was zijn arm veranderd in een rode, gezwollen massa die zich uitstrekte van zijn hand tot aan zijn oksel」。原出典はベルギーの新聞 HLN で、これはその要約。オランダ語)— WielerNieuwsVuelta 2026: Wout van Aert wint prijs voor de Superstrijdlust(逃げに乗った回数「Hij zat vijf keer in de vlucht van de dag」、第20ステージの走り。オランダ語)— WielerFlitsVuelta 2026: Wout van Aert zal slotrit op speciale fiets afwerken(最終日の緑のチェルヴェロ。「werd de tweevoudig ritwinnaar zaterdagavond … verrast met een groen gepimpte Cérvelo-fiets」。オランダ語)— WielerFlits「Ik vond het al raar」: Van Aert wordt tot eigen verbazing 2 keer op eindpodium geroepen(表彰台で2度呼ばれたこと、最終日の脚、2024年の落車について本人の言葉。「Ik had het pas door toen ik op het podium stond」「Dat was een van de grootste teleurstellingen uit mijn carrière」。オランダ語)— Sporza

ジロの最中、チームの代表は彼の成績を「落第」と呼んでいた

グラナダで赤いジャージを着ていたのは、モビスターのエンリク・マ、31歳でした。ブエルタの総合表彰台はこれが5回目で、いちばん上に立ったのは初めてです。2018年、2021年、2022年に2位、2024年に3位。そのあいだ、グランツールのステージ勝利は1つも増えていません。2018年の1勝の次が来たのは、今年の第9ステージ、アルト・デ・アイタでした。

最初の2位は23歳のときでした。そのときスペインの媒体は、彼を「コンタドールの後継者」と紹介しています。総合優勝はその8年後です。スペインの地方紙 Noticias de Gipuzkoa は最終日の記事で、その歳月をこう書きました。「何度も強者たちのすぐ近くまで行き、それでも最後には陰に置かれ、勝利からは遠かった」。そして、「そのうちに、マスに期待するかどうかは信じるか信じないかの話になった。ブエルタで大きな走りをすると信じていたのは、たぶん彼のいちばん近くにいる人たちだけだった」

落車も重なりました。とくに2022年、ツールの3週間前にクリテリウム・デュ・ドーフィネで転んだあと、彼はこう話しています。「あれ以来、下りに対する恐怖が自分の中にある」。その恐怖を消すために、心理の専門家の助けを借りました。

同じ2022年のブエルタでは、第4ステージで沿道の男が彼を「パケテ」と呼びました。役に立たない選手、という意味のスペイン語です。マスはその男のそばまで自転車を寄せて問い詰め、そのやりとりの動画がSNSで広まりました。今年、彼はこう言っています。「批判はいつも冗談の種にしてきた。もう何年もSNSは何も読まないし、何を言われても、もう引っかからない」

2025年のシーズンは血栓で早く終わり、冬に手術を受けています。8か月走らずに迎えた5月のジロ・デ・イタリアでは、総合首位から30分以上離されました。ジロの第14ステージのあと、モビスターのゼネラルマネージャー、エウセビオ・ウンスエはスペインのスポーツ紙ASにこう語りました。「本当のテストはレースで、そしてそこでは、残念ながら成績は落第だった」

マスはその2日後に答えています。「まったく失望させるものじゃない、ただ長いあいだ競技から離れていただけだ。冬に手術を受けたけれど、それをいま言い訳にするつもりもない。この最後の週にはとてもいい機会が6つあるから、それを生かさないといけない」

その3か月後、このブエルタの第6ステージで、彼は土の道ポガチャに追いつきました。ポガチャルが落車する2日前です。グラナダで3週間を振り返った彼の言葉は、「めちゃくちゃ楽しかった」でした。

🔰 初心者向けメモ: 「次のコンタドール」と呼ばれる側

スペインは1990年代にミゲル・インドゥラインがツール・ド・フランスを5連覇し、2000年代から2010年代にはアルベルト・コンタドールが3つのグランツール(ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ)すべてを勝った国です。だから若い選手が総合で上位に来ると、その名前はすぐ「次の◯◯」として紹介されます。期待は応援と同じ形で届きますが、重さは別物です。

出典(5件)

Enric Mas reivindica su Vuelta(「Con el tiempo, Mas se convirtió en una cuestión de fe」。8年の評価とエイバルの場面。スペイン語)— Noticias de GipuzkoaEl ‘paquete’ que perdió el miedo a caer y ha ganado la Vuelta a España(下りの恐怖「Desde entonces, tengo un miedo interno en las bajadas」、心理の専門家、2025年の血栓と冬の手術。スペイン語)— Infobae「La nota es un suspenso」: Eusebio Unzué, sobre el Giro de Italia de Enric Mas(5月24日。ウンスエがAS紙のインタビューで第14ステージ後に語った内容の要約。スペイン語)— ciclismoaldiaEnric Mas responde a Eusebio Unzué(5月26日。ウンスエの「los verdaderos test son las carreras y ahí, desgraciadamente, la nota ha sido un suspenso」と、マスの返答「No ha sido decepcionante ni mucho menos, simplemente vengo de un periodo largo sin competir」。スペイン語)— COPE「Cara de tonto」: respuesta de Enric Mas a aficionado que lo llamó 「paquete」(2022年第4ステージの場面。「de inmediato lo encaró para reclamarle」「En las redes sociales circula el video」。スペイン語)— Semana

町は祭りの最中だった。それでも100人がグラナダへ行った

アルタはマヨルカ島の北東にある町です。マスはそこで生まれ、シーズンの前には帰ってスキューバダイビングをしています。

最終日、その町の人たちはグラナダにいました。市長が友人と近所の人たち100人ほどと一緒に来ていて、マヨルカの地元紙にこう話しています。「アルタの誇りだし、歴史的な日で、僕らはここにいなければならなかった。ちょうどフィラ(町の祭り)の最中だけど、こんなことが起きたのは初めてで、これが最後にならないことを願っている」

「エンリクはアルタでよく知られている。ずっと追いかけてきた。ここには3日も4日も彼を追いかけている人がいる。来ないわけにはいかなかった」

町に残った人たちは、屋内市場で最終ステージを見ました。役所がそこにスクリーンを立てたからです。700km以上離れた2つの場所で、同じ一日が見られていたことになります。

ゴールのあと、マスが最初に抱き合ったのは妹でした。両親と、妻と、2人の小さな子どもも来ていて、家族を代表して話したのも彼女です。「言葉が出ません。うまく言い表せなくて……こんな瞬間は思っていませんでした。思っていたよりずっと見事で、この一日に経験したこと全部が誇らしいです」「うれしくて誇らしいのは、この裏に何年もの、人には見えない仕事があるからです」

マス自身も同じことを言いました。「町からたくさんの人が来て、家族もいて、だからとても特別な日でした」「2017年にブエルタに初めて出て、ずっとこれを夢見て、そのために働いてきました」

市長は、自転車クラブとチームと一緒に祝賀の準備を始めたと言っています。「顕彰であり、同時にエンリクとまわりの人たちのための祭りであり、アルタとマヨルカ全体のための祭りにもする」

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出典(3件)

«Enric es un orgullo para Artà y este un día para la historia»(市長の発言。「aunque tenemos Fira, pero es la primera vez que se logra algo así」。スペイン語)— Ultima HoraLa hermana de Enric Mas: «No tengo palabras»(妹の発言と、ゴール後に最初に抱き合ったこと。「son muchos años detrás de esto y mucho trabajo que no se ve」。スペイン語)— Ultima HoraArtà surrenders to Enric Mas after winning the Vuelta(屋根付き市場のスクリーン、700km離れた2つの会場、マスの発言。英語版)— Ara Balears

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この記事を書いた人

Grand Tour Hub 管理人

ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。

※ 観戦記は管理人による独自の執筆コンテンツです。選手タイプの解説はタイプ図もどうぞ。