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マルコ・パンターニ——坂で何度も加速して、ひとりになりたかったクライマー
山岳ステージには、上り坂でいきなり加速して、ライバルを置き去りにする選手がいます。1990年代のイタリアのマルコ・パンターニは、その走りがいまも語り継がれているクライマーです。どの坂で、どう加速したのか。4つの山の場面から見ていきます。
2026-10-13 公開
1994年、モルティローロで様子を見てから飛び出した
マルコ・パンターニは1970年にイタリアのチェゼーナで生まれ、アドリア海に面した町チェゼナーティコで育ちました。身長172cm、体重は60kgに届きません。プロの選手のなかでも小柄で軽い体が、いちばん生きるのは上り坂です。
1992年の夏にプロになり、1994年、3週間かけて走るジロ・デ・イタリアで初めてステージに勝ちます。ステージとは1日ごとの区間のことで、毎日の勝者とは別に、全区間のタイムの合計で総合順位が決まります。6月4日、メラーノに着くステージの最後の峠で、続けざまに3度加速して抜け出し、下りで1分以上の差をつけました。
翌日のステージには、急な坂が続くモルティローロ峠がありました。レースのあと、本人はこう話しています。「モルティローロで、何度か軽く仕掛けてみた。本気のアタックではなく、ちょっと突いてみただけで、ほとんど見せかけだった。ほかのエースたちの調子を確かめたかったんだ。自分がいちばん元気だと分かったところで、飛び出した」
ついてきたのは、総合首位のピンクのジャージ、マリア・ローザを着たロシアのエフゲニー・ベルジンだけでした。「顔を見ていたら、苦しんでいるのが分かった。ときどき前に出ようとするけど、すぐにやめてしまう。だから加速して、彼も置いてきた」。1991年から95年までツール・ド・フランスを5連覇したスペインのミゲル・インドゥラインは、頂上で50秒遅れていました。
下りでは、監督の助言で少し速度を落とし、インドゥラインたちに追いつかせます。そして最後の上りで、もう一度ひとりで逃げました。ゴールでは、インドゥラインに3分30秒、ベルジンに4分06秒の差をつけています。翌日のイタリアの新聞は、こう書きました。「坂がきつくなったとたん、パンターニは飛び立つ」。このジロで、パンターニはベルジンに次ぐ総合2位に入りました。
出典(6件)
Il Resto del Carlino(2024年):「Alto un metro e 72, pesava 56 chili」。体重は資料により56〜58kg ↗Il Resto del Carlino:「Nell'agosto 1992 esordì come professionista con la Carrera Tassoni」「La prima vittoria arrivò nel 1994 al Giro d'Italia nella tappa di Merano」 ↗Il Foglio(2017年4月12日):「Dalla cima dell'ultimo Gran premio della montagna all'arrivo quarantadue chilometri di discesa e falsopiano」「Uno, due, tre scatti」「Guadagnò oltre un minuto a naso all'ingiù」 ↗l'Unità(1994年6月6日、31面、本人談):「Dopo, sul Mortirolo, ho cominciato a dar qualche colpetto. Non veri attacchi, ma piccole punture, quasi delle simulazioni. Volevo verificare come stavano gli altri big. Ad un certo punto, quando ho visto che stavo meglio di tutti, sono partito.」「io però lo guardavo in faccia e vedevo che soffriva. Ogni tanto cercava di superarmi, di starmi davanti, ma subito dopo frenava l'azione.」「Allora ho accelerato lasciando indietro anche lui. Nella discesa, seguendo il consiglio di Martinelli, il mio direttore sportivo, ho rallentato un po' per farmi riprendere da Indurain e Rodriguez.」「ho tentato di nuovo la fuga solitaria」 ↗l'Unità(1994年6月6日、37面):「Il Mortirolo, con le sue rampe micidiali」「Lo spagnolo scollina con 50 secondi di ritardo」「Appena la strada s'impenna, Pantani piglia il volo.」。結果欄「1) Marco Pantani (Ita/Carrera) in 6h55'58"」「5) Indurain (Spa) a 3'30" 6) Berzin (Rus) a 4'06"」 ↗Corriere della Sera(1994年6月13日):「e' salito sul secondo gradino del podio, subito dietro il coetaneo Eugeni Berzin e davanti a Miguel Indurain」 ↗
1997年、アルプ・デュエズを立ちこぎのまま上った
パンターニの上り方は、遠くからでも分かりました。サドルから腰を上げて立ちこぎをし、ドロップハンドルの下側を握ります。剃り上げた頭にバンダナを巻き、仕掛ける直前にはそれを外しました。イタリアの新聞は、それがレースの山場の始まりの合図だったと書いています。その頭とバンダナ、耳のピアスから、ファンは彼を「イル・ピラータ(海賊)」と呼びました。
その姿がよく見えるのが、1997年のツール・ド・フランス、7月19日のアルプ・デュエズです。21のカーブが続くこの坂で、パンターニは2つ目のカーブまでに、かぶっていた黄色いキャップを投げ捨てていました。そして3つ目のカーブで加速します。すぐ後ろに4人がつき、そのなかに、総合首位の黄色いジャージ、マイヨ・ジョーヌを着たドイツのヤン・ウルリッヒがいました。翌日の記事には、こう書かれています。「パンターニはずっと立っている。ウルリッヒはずっと座っている」
カーブを重ねるごとに1人、また1人と離れ、最後にはウルリッヒも離れました。パンターニはこの瞬間を、こう振り返っています。「いちばんうれしい瞬間だった。クライマーには、ひとりになることが必要なんだ。全員を後ろに置いてきたと分かることがね」。ゴールでは、2位のウルリッヒに47秒の差をつけていました。
アルプ・デュエズでは、1995年にも勝っています。そのときの登坂タイムは、2026年にタデイ・ポガチャルが更新するまで、この坂の最速記録として広く扱われてきました。もっとも、数字は資料によって36分40秒とも36分50秒ともされています。
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出典(7件)
Il Resto del Carlino(2024年):「La bandana che si toglieva prima di piazzare l'allungo avviava la fase mistica della corsa.」 ↗ジロ・デ・イタリア公式(英語):「Pantani is portrayed attacking, his hands in a low grip on the handlebars, looking back at his defeated opponents.」 ↗Cyclingnews(2004年2月15日、Wayback):「who named the beloved Pantani "Il Pirata" (The Pirate), for his radical look with a personalized bandana, shaved head and earring.」(英語) ↗la Repubblica(1997年7月20日、Wayback):「Già al secondo tornante」「Ha buttato via il cappellino giallo, luccica di sole e sudore. Al terzo tornante, come nel '95, Pantani fa saltare la corsa. Basta un allungo e gli restano a ruota in quattro. Nell' ordine: Virenque, Ullrich, Riis e Casagrande.」「Pantani sempre in piedi. Ullrich sempre seduto.」「E' stato il momento più bello, uno scalatore ha bisogno di star solo, di sapere che li ha tutti dietro」。結果欄「2) Ullrich (Ger) a 47''」 ↗Cyclingnews(2026年7月24日):「1:14 faster than the widely-recognised time Pantani set in the 1995 Tour de France, when he ascended the time in what most record books agree was 36:40.」(英語) ↗Sporza(2020年2月17日):「36 minuten en 50 seconden, zo veel of beter zo weinig tijd had Pantani op 12 juli 1995 nodig om de 21 bochten van de 13,8 km beroemde alp te bedwingen.」 ↗Domestique(英語):「reported as 36:40 by L'Équipe and the Climbing Records website」 ↗
雨のガリビエで、ゴールまで47kmを残して飛び出した
1998年、パンターニはまずジロ・デ・イタリアを勝ちます。総合を争ったライバルは、山頂ゴールへの坂で最後まで食らいついてきました。残り2.5kmで、パンターニはサングラスまで投げ捨て、3度続けて加速して、ようやく振り切ります。
同じ年の7月27日、ツール・ド・フランスの第15ステージ。このときマイヨ・ジョーヌを着ていたのは、前年のツールを勝ったウルリッヒでした。この日は、標高2,642mのガリビエ峠を越えます。雨の峠の頂上で、気温は7度まで下がっていました。
パンターニは、ゴールまで47km、頂上まで数kmのところで加速しました。本人はこう振り返っています。「少し前から、いくつもアタックが続いていた。だからその一瞬をつかんで、今度は自分の番だと言い聞かせた。誰もすぐには追ってこようとしなかったのには、驚いた」
風の吹きつける頂上で、パンターニは自転車を止め、雨具を着ました。貴重な数秒を失ってから、濡れて光る、ガードレールの無い下りへ飛び込みます。下りきったとき、ウルリッヒの集団との差は4分近くに開いていました。ウルリッヒはパンクにも遭い、ゴールでは9分近く遅れます。パンターニはステージに勝ち、マイヨ・ジョーヌを着ました。
このツールに勝って、パンターニはジロとツールを同じ年に制しました。イタリアの選手のツール優勝は、33年ぶりでした。「遠くから、ひとりで、全力でアタックした。途中で力尽きる危険もあった」と、本人はこの日を語っています。
出典(6件)
l'Unità(1998年6月5日、8面):「butta via anche gli occhiali. Ormai mancano 2 chilometri e mezzo.」「Un botto, due botti, tre botti: e anche il cemento armato di Pavel Tonkov finalmente si sgretola」 ↗La Gazzetta dello Sport(1998年7月28日、Wayback):「A 47 km dal traguardo di Les Deux Alpes l' attimo che esalta l' Italia intera: Pantani scatta e fa il vuoto.」 ↗OA Sport(2013年):「Quindicesima frazione di quel Tour de France, 189 km da Grenoble a Les Deux Alpes. Jan Ullrich è in maglia gialla」「Pantani parte, quando mancano 47 km al traguardo, 4 alla vetta di quel Galibier」 ↗l'Unità(1998年7月28日、7面):「ai sette della cima del Galibier」「a circa cinque-sei chilometri dalla vetta」「Sulla cima, sferzata dal vento, Pantani deve fermarsi per indossare la mantellina. Perde tempo, preziosi secondi」「alla fine della discesa del Galibier, il distacco dal gruppo Ullrich è di quasi quattro minuti」「Per Ullrich, attardato anche da una foratura, è la disfatta.」「seppellendo Ullrich sotto una montagna di minuti, quasi nove」「dopo la vittoria dell'anno scorso」 ↗l'Unità(1998年7月28日、14面、本人談):「C'erano diversi attacchi già da un po'. Allora ho colto l'attimo e mi sono detto adesso tocca a te. Sono rimasto sorpreso che non abbiano nemmeno provato a riprendermi subito.」「Ho attaccato a fondo, da solo e da lontano. Ho rischiato di saltare per aria.」 ↗Sky Sport:「regalando all'Italia la Grande Boucle a distanza di 33 anni da Felice Gimondi」 ↗
「苦しみを短くするため」に、坂で速く走った
長くパンターニを取材したイタリアの記者が、ツール・ド・フランスで聞いたことがあります。「どうして、そんなに坂で速いんだ」。パンターニは少し考えてから答えました。「苦しみを、短くするためさ」
同じ記者は、当時のロードレースをこう振り返っています。主役は、ひとりずつ走ってタイムを競うタイムトライアルに強い選手たちで、彼らは上り坂ではライバルを見張るだけだった。そういう競技を、パンターニは土台から揺さぶった。「上り坂で、とんでもないパンチを繰り出した。計算をしなかった」
なぜ、加速が上り坂でこれほど効くのでしょうか。前の選手のすぐ後ろについて風を避けるドラフティングは、速度の出る平地で大きく効く技術です。速度の落ちる上り坂ではその助けが小さくなり、脚の差が、そのまま選手と選手のあいだの距離になって表れます。
出典(2件)
Open(2019年6月5日)、記者ジャンニ・ムーラの談:「Un giorno, al Tour, gli avevo chiesto: "Perché vai così forte in salita?". E lui ci aveva pensato un attimo e aveva risposto: … "Per abbreviare la mia agonia"」 ↗Il Fatto Quotidiano(2014年2月14日、ジャンニ・ムーラのインタビュー):「scuoteva dalle fondamenta uno sport di ragionieri o, per essere più precisi, di grandi passisti che andavano forte a cronometro e in salita si limitavano a controllare. Pantani in salita tirava colpi pazzeschi. Non calcolava.」 ↗
除外の翌2000年、モン・ヴァントゥで6度加速した
1999年のジロ・デ・イタリアで、パンターニは総合首位のまま、朝の血液検査で、血液に赤血球が占める割合(ヘマトクリット値)が規定の上限を超えたとして大会から外されました。
翌2000年のツール・ド・フランスで、パンターニはもう一度、山で勝ちます。7月13日、南フランスのモン・ヴァントゥ。木の生えない白い岩肌の山頂へ向かう坂で、パンターニは6度加速し、マイヨ・ジョーヌを着たアメリカのランス・アームストロングを除く全員を振り切りました。最後は2人でゴールに向かい、パンターニがステージを勝ちます。イタリアの新聞によると、アームストロングはゴールのあと、何度もアタックしたパンターニが勝つのが筋だったと話しています。
3日後、アルプスの山頂ゴールで、パンターニはゴールまで15kmのところから仕掛けます。3段階の攻撃で、残り6kmで一緒にいた選手たちを置き去りにし、前に残っていた逃げの選手も次々に抜いて、アームストロングに50秒の差をつけて勝ちました。これが、パンターニのプロとして最後の勝利になりました。
この勝利のあと、アームストロングは「モン・ヴァントゥでは勝ちを贈った。贈ったのは間違いだったとも思う」と言い出します。パンターニはイタリアの新聞に、アームストロングの施しはいらないと語っていました。
出典(5件)
Sky Sport:「il suo valore di ematocrito è del 51,8%, di poco superiore al margine di tolleranza dell'1% sul limite massimo consentito dai regolamenti. Pur non risultando positivo a un controllo antidoping, viene escluso dal Giro」 ↗la Repubblica(2000年7月14日、Wayback):「Sei pugni, sei scatti per staccare tutti, questa è la verità, tranne Armstrong.」「Pantani ha attaccato tante volte, era giusto che vincesse lui」(英語での発言の伊紙による訳) ↗ESPN(2000年7月、AP配信):「"It was a gift at Mont Ventoux and I also feel like it was a mistake to give the gift,"」「Pantani has been telling the Italian press he doesn't need handouts from Armstrong.」(英語) ↗la Repubblica(2000年7月17日、Wayback):「L'azione tritatutto di Pantani si svolge in tre tempi.」「Mancano 15 km al traguardo.」「Pantani pianta la compagnia (meno 6)」「Adesso Pantani è solo, mancano meno di 3 km」「cosa sono 50 secondi, meno di un minuto」 ↗Cyclingnews(2004年2月15日、Wayback):「his last pro win at the Tour De France in 2000 at Courchevel」(英語) ↗
モルティローロの像は、今も後ろを振り返っている
2003年のジロが、パンターニの最後のレースになりました。2004年2月14日、34歳で亡くなっています。
その2004年から、ジロ・デ・イタリアは毎年ひとつの上り坂を「パンターニの山」に指定しています。ジロで上り坂に選手の名前が付くのは、ほかにイタリアの英雄ファウスト・コッピだけです。ジロでは、その年のコースでいちばん標高の高い地点をチーマ・コッピと呼びます。2006年には、1994年にパンターニが独走したモルティローロ峠に像が置かれました。ハンドルの下側を握って攻めながら、置き去りにしたライバルたちを振り返る姿です。
パンターニの走りを、レースで見たことのない世代もいます。イタリアのアレッサンドロ・ファンチェルは2000年生まれです。夏休みを過ごした祖父母の村は、1994年にパンターニがモルティローロを越えて勝った日のゴール、アプリカでした。ある夏、パンターニの古い映像に触発されて、マウンテンバイクでモルティローロを上ります。翌年、16歳でロードレースを始め、いまはプロの選手として走っています。
出典(6件)
Sky Sport:「Fa un'ultima apparizione al Giro 2003」 ↗Marco Pantani — Wikipedia (en):2003年のジロについて「It was the last time he rode a professional cycling race.」(PezCyclingNews 2008年4月30日を出典とする) ↗Il Post(2014年2月14日、Wayback):「Marco Pantani morì a Rimini sabato 14 febbraio 2004, a 34 anni.」 ↗Open(2019年6月5日):「Da quell'anno, ininterrottamente, l'organizzazione del Giro d'Italia assegna a una salita il nome di "Montagna Pantani". Il Pirata condivide questo onore soltanto con Fausto Coppi」 ↗ジロ・デ・イタリア公式(英語):「In 2006, a sculpture was placed at the 8th kilometre of the Mortirolo」「Pantani is portrayed attacking, his hands in a low grip on the handlebars, looking back at his defeated opponents.」 ↗MBH Bank CSB Telecom Fort — Alessandro Fancellu(「ispirato dai vecchi video di Marco Pantani, andai a scalare il passo del Mortirolo in mountain bike」「In estate andavo in vacanza ad Aprica, paese dei nonni」「iniziai a correre su strada all’età di 16 anni」) ↗
この記事の選手
管理人のひとこと
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ハンドルの下側を握り、立ちこぎで山を上っていくパンターニの姿は、本当にかっこいいです。いまリチャル・カラパスのアタックを見ると、パンターニを思い出します。
紹介するのは、パンターニを描いたドキュメンタリーの日本版です。題名にも「海賊」が入っています。
もうひとつは、海賊つながりで。樽に剣を刺していくと海賊が飛び出す、あのおもちゃです。ロードレースとは、一切関係ありません。
パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト
ドキュメンタリー映画/DVD・日本語字幕(2016年発売)
黒ひげ危機一発
タカラトミー/おもちゃ
この記事を書いた人
Grand Tour Hub 管理人
ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。
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