Daisuke Imanaka

今中大介

1997年引退
国籍
Japan(日本)
生年月日
1963年7月24日
経歴
ポルティ(1994–1997)

Story

この選手を知る — シマノの社員のまま、1996年のツールを走った

1963年、広島に生まれた。中学生のころ、地元の川沿いを細いタイヤで走る大学生たちに憧れた。大学院を出て1990年にシマノへ入り、その年のツール・ド・北海道で総合優勝した。1994年、シマノの社員のまま、31歳になる年にイタリアのポルティへ渡り、アシストとして走った。1996年、川室競の初出場から70年後に、日本人としてツール・ド・フランスを走り、第14ステージで制限時間に間に合わずレースを去った。最後のレースは1997年のジャパンカップで4位、勝ったのはシマノの後輩の阿部良之だった。2009年には、日本人で初めてツールを完走したひとりの別府史之と対談している。

#献身

出典(6件)

Daisuke Imanaka — Wikipedia (en) ↗ファンライド(2022年11月17日、本人へのインタビュー前編):「地元広島の川沿いを、近くの大学生たちが革製のカスクをかぶって当時ロードレーサーと呼ばれていた自転車で走っているのを何度も見かけた。」「最初は下宿の1年生にたくさん入ってもらって自転車競技愛好会(のちに同好会、部に昇格)を作りました。」「1990年にシマノに入社し」「さっそく1年目でツール・ド・北海道で総合優勝を飾る。」「最終的にイタリアの名門ポルティと契約。」「すぐ帰されると思い、毎日ジャンルイジ・スタンガ監督へトレーニングした内容のメモを書いて渡しに行っていた。」「ボトル運び、パンク対応…….」「その勝利は何度もアシストした。」「すでに31歳になる年だった」「シマノの社員でもあったので、機材に関するレポートも送っていた。」「1963年生まれ、広島県出身。大分大学で工学修士過程修了後、株式会社シマノに入社。」 ↗ファンライド(2022年11月17日、本人へのインタビュー後編):「1996年に少年時代から憧れだったツール・ド・フランスに初出場する。」「実は今中さんの出場を機に過去の記録を調べた後に明らかになったこと。」「「日本のみなさんが待ってるので、一言お願いします」と言われ」「最後のレースは宇都宮のジャパンカップで、4位と奮闘した。」「インターマックスを創業した。」 ↗J SPORTS(2025年6月24日、ツールを走った日本人ライダーたち):「それから70年のときを経て、ツールの扉を開いたのは今中大介さん。」「チーム ポルティの一員として1996年に初出場を果たすと、第14ステージでタイムアウトに終わった」 ↗ジャパンカップ公式(1997年大会の記録):「今中大介の引退レースとなったこの年、最大のライバルはマペイチームに所属するシマノ時代の後輩、阿部良之だった。」「優勝の栄冠は阿部が手にして日本人の勝者が初めて誕生した。」「4. 今中大介 (ポルティ 日本) +13」 ↗cyclowired(2009年9月3日、別府史之×今中大介 対談):「振り返るツール・ド・フランス2009 13年の空白を経て日本人がツールに残した足跡」 ↗

つながり

ひとくちメモ

  • 毎日のメモポルティに入って2週間、何の連絡も無く、帰されると思って毎日スタンガ監督に練習のメモを渡しに行った 出典 ↗
  • 待っている人1996年のツールで取材を断ろうとしたとき、「日本のみなさんが待ってるので」と頼まれて考えを改めた 出典 ↗
  • 埋もれた記録1926年に日本人がツールを走っていたことは、今中の出場を機に過去の記録を調べて分かったと伝えられている 出典 ↗

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次はこの選手 — クリス・フルーム

30代でヨーロッパへ渡った男の次は、2007年にツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージを勝った選手。ケニアで育ち、のちにツールを4度制します。

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