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ジュリアン・アラフィリップ——「ルールー」の走りが人を惹きつける理由
勝った数より、攻めて負けた回数のほうを覚えられている選手がいます。2026年に現役を退いたジュリアン・アラフィリップは、なぜこれほど愛されたのか。走り方そのものを言葉にしてみます。
2026-08-29 公開
石畳を、ひとりで登った
2026年7月26日、ツール・ド・フランスの最終日。パリのモンマルトルを回る最終周回で、ひとりの選手が集団から少しだけ離れました。観衆で埋まったリュ・ルピックの石畳を、沿道とハイタッチを交わしながら、ゆっくりと登っていきます。順位はもう関係がありません。彼はこの日、勝ちにいっていませんでした。
「ものすごい応援だった。とても心を打たれた。最後の周回は、観客に挨拶する時間にしたんだ」——ジュリアン・アラフィリップは、レース後にそう話しています。フランスのファンが「ルールー」と呼ぶ男です。
この光景は、少し不思議です。この年のツールは184人で始まり、パリまでたどり着いたのは158人でした。その全員が、同じ石畳を通っています。それなのに、彼のところで群衆の音が変わる。彼が特別に強かったから、ではありません。この年の彼は1勝もしていませんでした。
では、何がそうさせるのか。この記事はその問いだけを扱います。何を成し遂げた人かは選手ページに書いてあります。ここで書きたいのは、その手前にあるもの——人が反応しているのは、彼の走り方のどこなのか、です。
出典:RMC Sport: Les belles images de Julian Alaphilippe seul dans Montmartre ↗TUDOR Pro Cycling 公式(英語で公表): 別れの挨拶を「Merci, Loulou!」で締めている ↗
泥から来た
アラフィリップはロードレースの選手として育っていません。フランス中部の小都市サンタマン=モンロンで、まずシクロクロスの選手でした。秋から冬にかけて、泥と砂と芝生のコースを1時間ほど走り、走れないところは自転車を担いで越える競技です。
引退を告げた文章で、彼は自分をこう呼んでいます。「シクロクロスと、父と一緒に村のダンスパーティーで叩いたドラムから始まった、サンタマン=モンロンの子どもです」
この出自が走りに何を残すのかを、指導者の言葉で見てみます。ロード・マウンテンバイク・シクロクロスを教えるフレデリック・ユルランは、シクロクロス出身者はまず自転車の扱いがうまいのだと言います。「シクロクロスやマウンテンバイクの選手は、何よりもまず自転車を操るのがうまい。とても狭い場所で動くので、自転車を意のままに扱うことを覚えないといけない。路面も走りやすくはない。それが選手の巧みさを——集団スプリントで、人の間を縫って前へ出ていく能力を育てるんです」
もうひとつ、ユルランは「読み」の話をしています。「シクロクロスの選手は、週末ごとに、走りやすい平坦な路面から急な斜面や荒れた小径へと移ります。何が待っているか分からないまま、自分でなんとかするしかない」。そして、こう続けます。「戦術を読む力が育つのは、無線がないからです。よく観察して、目を開いて、自分の頭で考えるしかない」
中継で彼の下りやコーナーの入り方に感嘆の声が上がるとき、見えているのはこの何年ぶんかの蓄積です。彼の攻撃が成立していたのは、勇気だけの話ではありませんでした。
出典:franceinfo(2019年): 「Le cyclocrossman ou le vététiste est d'abord un bon pilote」——シクロクロス出身者はなぜ強いのか ↗TUDOR Pro Cycling 公式(英語で公表): 「a kid from Saint-Amand-Montrond who started out in cyclo-cross and playing the drums at musette dances with my father」 ↗
脚が焼けるように痛いときに攻撃した
2026年8月21日、アラフィリップは現役引退を発表しました。2027年まで契約を残したままの決断でした。その日にチームが公表した別れのインタビューに、この記事がいちばん必要としていた一節があります。
「僕はいつも本能で走ってきた。脚が焼けるように痛いときに攻撃したのであって、数字にそう言われたからじゃない」。そしてこう続けます。「感情を隠さずに走ってきた。そこから出てくる失敗も込みで。チームカーに走り方を指示されて1回勝つより、攻撃して10回負けるほうがいい」
ここでいう「数字」は、パワーメーターが示す出力の値です。いまの選手はハンドルの脇に小さな画面を載せていて、自分がいま何ワット出しているかを見ながら、どこで踏むかを決められます。彼はそれに従わなかった、と言っています。
ロードレースは、じつは我慢の競技です。空気抵抗を分け合う集団のなかで力を温存し、決めた場所で使う——そう走るほうが、たいてい速く走れます。逃げがゴールまで残る確率は、けっして高くありません。つまり彼の言っていることは、自分の勝率を下げる宣言でもあります。
それでも観客の音が変わるのは、たぶん、私たちが結果ではなく選択のほうを見ているからです。同じ坂で、誰かが待ち、誰かが前に出ます。出た人が勝つとは限りませんし、むしろ多くは集団に飲み込まれます。それでも出た、という事実だけが、その日の記憶に残ります。
もっとも、彼が何も考えずに走っていたわけではありません。2024年のジロ・デ・イタリアで勝った日について、本人はこう説明しています。「自分の好きなようにやりました。作戦はありましたし、レースの序盤はそのとおりに動きました。でもそのあとは、何も決まっていなかったんです」。組み立てはあります。決まっていないのは、そこから先だけです。
出典:TUDOR Pro Cycling 公式(英語で公表): 「I've always raced on instinct, attacking when my legs were burning, not when the numbers told me to」「I'd rather lose ten times while attacking than win once because the team car dictated how I should race」 ↗Le Journal du Dimanche(2026年1月・Wayback): 「Je n'en ai fait qu'à ma tête」 ↗
イモラで、空を指した
走り方の話を続ける前に、一度だけ、成し遂げたことのほうに触れます。
2019年のツール・ド・フランスで、彼はマイヨ・ジョーヌを14日間着ました。「エペルネーで黄色いジャージを取ったとき、2日か、もって3日だと思った。14日続いた」——引退の日に、本人はそう振り返っています。
そして2020年6月、父ジョが長い闘病の末に世を去りました。その約3か月後、イモラの世界選手権で、アラフィリップは初めて世界王者になります。いちばんの日はイモラかと聞かれた彼は、「いちばん個人的な日です」と答えて、こう続けました。「ゴールラインを越えて、空を指した。父に向けて」。翌2021年、ルーヴェンで連覇します。
経歴と数字は、選手ページのほうがきちんと書いてあります。この記事が追いかけるのは、この先——勝てなくなってから何が残ったか、のほうです。
出典:TUDOR Pro Cycling 公式(英語で公表): 「I crossed the finish line and pointed to the sky, to my father」 ↗Cycling Weekly: 父ジャック(通称ジョ)の逝去を伝えた記事 ↗
勝てない二年間、残ってくれた人がいた
世界王者のジャージを2年着たあと、彼は勝てなくなります。落車が続き、体調を崩し、成績は下がりました。その時期を本人はこう説明しています。
「運が悪かったのは確かです。でもそれは、どの選手のキャリアにもあることです。それ以上に、体の不調がとても多かった。しょっちゅう病気になった。しかも決まってシーズンの大事な時期で、100%になれないまま走っていました。コンディションを追いかけているあいだは、もう勝利を追いかけられない。悪循環になって、それを生きるのはしんどいことです」
引退の日には、その二年間の別の面も語っています。「肺に穴が空き、肋骨と肩甲骨を折った。そのあとの二年間は、僕の成績について誰もが意見を持っていた。ときには、それが落車より痛かった」
そして、こう続きます。「でもその時期から僕が覚えているのが何か分かりますか。残ってくれた人たちです。僕のために走り続けてくれたチームメイト、僕が50位で峠を越えてきても声を上げてくれたファン」。勝っているときに支えてもらうのは簡単だ、負けているときに支えてもらえることのほうが稀なのだ、と彼は言います。
それでも走り続けた理由を、彼は勝った日に説明していました。2024年のジロでの勝利と、チューダーへ移ってから初めて挙げた2025年のグランプリ・シクリスト・ド・ケベック——この2つを並べて、「こういう瞬間のために、僕はキャリアを続けているんです」。
出典:Le Journal du Dimanche(2026年1月・Wayback): 「quand on court après la condition physique, on ne court plus après la victoire」 ↗TUDOR Pro Cycling 公式(英語で公表): 「The people who stayed」 ↗
人は選択のほうを覚えている
2026年ツールの第20ステージ、アルプ・デュエズ。勝者から26分遅れの集団に、8回目のツールを走るアラフィリップがいました。ゴール後、路上に座り込んだ彼は、母国のテレビカメラにこう答えています。
「ひどいステージだった。感情がこみ上げる。このツールでは本当に苦しんだから。これはたぶん、僕の最後のツールなんだ。だから味わい尽くしたし、全部出し切った。成功は多くなかったけれど、何ひとつ諦めなかった。それも自転車なんだ」
この大会で彼が逃げに乗ったのは第11ステージでした。集団が与えたリードは最大でも1分40秒。捕まることは、たぶん本人がいちばんよく分かっていました。実際、ゴールまで40kmを切ったあたりで力尽きています。
ロードレースには、勝てないと分かっている逃げに乗る選手がいます。初めて見た人はまず、それを不思議に思います。テレビに映るから、ポイントが要るから——理由はいくつも挙げられますが、いちばん近いのはたぶん、もっと単純なことです。その日を、自分の走りにしたいから。
アラフィリップが引退の日に残した言葉は、その答えのようにも読めます。攻撃して10回負けるほうがいい、というのは、勝敗の話ではありませんでした。自分の走りを誰にも決めさせない、という話です。
群衆の音が変わるのは、たぶんそこです。人は勝者に拍手しますが、記憶に残すのは選択のほうなのだと思います。
出典:franceinfo: 「C'est peut-être mon dernier」——第20ステージ後のアラフィリップ ↗
この記事の選手
📷 Wikipedia2018年の写真
この記事を書いた人
Grand Tour Hub 管理人
ロードレースの面白さを初心者目線で伝えるファンサイトの管理人。いちばん好きなのは、ゴール直前までもがいてスプリンターを発射させたアシストが、仲間の勝利を確信して、自分はまだゴールの手前なのにガッツポーズをする瞬間です。